大ヴァイオリニストたちの秘密──パガニーニ、クライスラー、エネスコ
9月の特集は「秘密」。クラシック音楽の長い歴史の中には、さまざまな秘密が眠っているようです。
歴史に名を残した名ヴァイオリニスト――パガニーニ、クライスラー、エネスコ。演奏家としてだけではなく、作曲家としても名曲を残している。ビッグネームだけあってそれぞれ秘密を抱えていたらしい!?
謎めいたヴァイオリニストたちの「秘密」、ちょっと覗いてみましょう。
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
秘密主義者のパガニーニ
歴史的名ヴァイオリニストたちには秘密が多い。
天下無双のヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニ(1782~1840)はあまりの超絶技巧ぶりに「悪魔に魂を売り渡して技巧を手に入れた」と噂された。もし本当に悪魔と契約していたなら、これほどの秘密はないだろう。
だが、後世の私たちにとって気になるのは、パガニーニが残した作品のほうだ。「24のカプリース」やヴァイオリン協奏曲など、彼の超絶技巧を伝える作品が残ってはいるものの、これらはほんの一部。秘密主義者のパガニーニは、自身の技巧が他人に知られることを嫌い、死に際に多くの楽譜を燃やしてしまった。オーケストラの団員には演奏会の直前になって楽譜を渡して、終わるとすぐに回収したというほどの徹底ぶり。
もしも彼の作品が残っていたら、そこにどんな傑作が残されていたことか。パガニーニの秘密は秘密のまま、歴史のなかに埋もれてしまった。
イタリアのヴァイオリニスト、作曲家
秘密がバレてしまった! クライスラー
一方、秘密がばれてしまったのはウィーン出身の名奏者フリッツ・クライスラー(1875~1962)だ。クライスラーが作曲した「愛の喜び」や「愛の悲しみ」といったヴァイオリンのための小品は、広く愛好されている。また、クライスラーはプニャーニやボッケリーニ、ヴィヴァルディなど、古い時代の作品を発掘しては、これを編曲して弾いていた。ところが、あるときジャーナリストがクライスラーの秘密に気がついた。古い時代の曲を編曲したというが、いったい原曲はどこに?
これをきっかけにクライスラーの30年来の秘密が明かされることになった。実はこれらの曲の作者はプニャーニでもボッケリーニでもヴィヴァルディでもなく、クライスラー自身だったのだ。本当は自分で作曲したのに、わざわざ昔の人の書いた曲だと偽って発表していたのである。逆ゴーストライターとでも言いたくなる話で、怒った批評家もたくさんいたようだ。
クライスラーが創作したニセ古楽作品群は「プニャーニの様式によるプレリュードとアレグロ」「ボッケリーニの様式によるアレグレット」といったように名前を変えて、現代まで生き残っている。本当の作者がだれであろうと、弾きたい人は弾くし、聴きたい人は聴く。
オーストリア、ウィーン出身のヴァイオリニスト、作曲家
ピアノ・ソナタ第2番はどこに? エネスコ
ルーマニアに生まれフランスで活躍したジョルジュ・エネスコ(1881~1955)にも、小さな秘密がある。エネスコの名はルーマニア狂詩曲第1番の作曲家としてよく知られている。そして、ヴァイオリニストとしては、クライスラーらと並ぶ20世紀前半を代表する大家でもあった。
さらに、エネスコはすぐれたピアニストでもあった。ラヴェルの弟子として知られるマニュエル・ロザンタールによれば、エネスコは「当時、最高のピアニストのひとりだった」という。ロザンタールは多少話を盛っているのかもしれないが、ピアニストとしても卓越した存在だったのだろう。
だから、エネスコはピアノ・ソナタも作曲している。ほかのヴァイオリニストたちと違って、彼はピアノの演奏技法にも通じているのだから、驚くことではない。ピアノ・ソナタ第1番嬰ヘ短調、ピアノ・ソナタ第3番ニ長調を録音で聴くことができる。
問題はピアノ・ソナタ第2番がない、ということだ。第1番の次に第3番が発表された。なぜ第2番がないのか。エネスコによれば「頭のなかではもうできあがっているが、まだ紙に書いていない」から、先に第3番を世に出した。
本当にピアノ・ソナタ第2番はできあがっていのか。実はそんなものはなかったのか。それとも本当はどこかに書き残してあったのか。それは秘密だ。
ルーマニアの作曲家、ヴァイオリニスト、ピアニスト
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