ハバネラ:中米ハバナ発祥でヨーロッパに逆輸入! 実はコントルダンスと深い関係
楽譜でよく見かけたり耳にしたりするけど、どんな意味だっけ? そんな楽語を語源や歴史からわかりやすく解説します! 第78回は「ハバネラ」。
1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...
ハバネラといえばビゼーの歌劇《カルメン》に登場する「ハバネラ」が特に有名で、おそらく耳にしたことのある方はたくさんいらっしゃると思います。
ビゼー:歌劇《カルメン》〜第1幕より「ハバネラ」
このハバネラの起源、実に面白いのです!
リズミカルながらも、少し艶かしい音楽のハバネラ。なんと社会情勢によって何度も海を越えた壮大な旅から成立した音楽だったのです! それではハバネラの旅へ、出発です!
ヨーロッパからカリブ海へ!
ハバネラの始まりは、コントルダンスまで遡ります!
コントルダンスについて、少しおさらいです。コントルダンスは、イギリスの田舎で踊られていたものがイギリス宮廷を経由し、17世紀からフランスで踊られるようになった踊りです。2拍子系の速い音楽が特徴ですね。
さて、ここからは当時の社会情勢を見ていきましょう。17世紀のフランスは、世界中に植民地を増やしており、強大な力を誇っていました。そのなかでも、中米カリブ海に浮かぶハイチは、砂糖(サトウキビ)の生産において非常に重要な植民地となっていました。すなわち、ハイチで砂糖の生産を行なえば、一儲けできたわけです! こうして、フランスから土地を買う余裕のある小金持ちの白人たちが、多くハイチへ渡りました。
「パンがなければケーキを食べればいい」マインド(?)の贅沢なフランス人たちにとっては、砂糖でお金儲けをすることには夢がありました。しかし、砂糖を生産するには、多くの力作業を要し、それを黒人奴隷にすべて行なわせており、奴隷の不満は募るばかり……。
そんな最中、1789年にフランス本土でフランス革命が起こります。掲げられた標語は「自由、平等、友愛」。その影響は、フランスの植民地ハイチにも届き、黙っていられない黒人奴隷たちも、一念発起し、革命を起こします(ハイチ革命)。フランス本土から送り込まれた軍も破り、1804年に独立国家を作りました。
このときにハイチから、革命で居場所を失ったフランスの小金持ちの白人たちが、おとなりキューバ(当時はスペイン植民地)へ逃げ込んできます。
ここで、キューバへ逃げてきた人たちが、もともと彼らが踊っていたコントルダンスと、キューバで踊られていた踊りをフュージョンさせ、ハバナ風コントルダンスを踊るようになります。
大きな特徴は、“ターッタ、タッタッ”もしくは“タタータ、タッタッ”というリズムを終始演奏し続けることです。
この「ハバナ風コントルダンス」は、スペイン語でcontradanza habaneraと書くのですが、ハバナ風を指す言葉、habaneraが独立し、ハバネラと呼ばれるようになるのです!
もっとも古いハバネラは、1836年に出版された「コショウ(La pimienta)」という作品です。曲を聴いてみるとわかるのですが、もともとはウキウキとした元気な踊りでした。
作者不詳:コショウ(La pimienta)
そしてカリブ海からヨーロッパへ逆輸入!
こうして、スペインの植民地キューバへ逃げ込んだフランス人が踊ったハバネラは、他のスペインの植民地へ瞬く間に広がります。その人気の熱は、カリブからスペイン本土へ伝わり、こちらでも大流行。しかし、当時のヨーロッパの音楽趣味を反映させ、テンポはゆったりとしたものになりました。
19世紀半ばには、ハバネラのリズムを用いた「ラ・パロマ(La Paloma)」が、スペイン本土、そしてまたもや海を渡って中南米の植民地で歌われるようになります。
イラディエル:ラ・パロマ
さらにハバネラは、スペインからフランスやイギリスへも伝わります。長旅を経て、そして社会情勢に翻弄されたコントルダンスは、実に様変わりした姿で帰ってきたのです!
こうして、もはや大衆音楽となったハバネラは、多くの作曲家によって書かれるようになりました。
ハバネラを聴いてみよう
1. 作者不詳:私のおじいちゃん
2. ゴットシャルク:キューバ舞曲「ラ・ガリーナ」
3. サン=サーンス:ハバネラ 作品83
4. シャブリエ:ハバネラ
5. ラヴェル:ハバネラ形式によるヴォカリーズ練習曲
6. ラヴェル:スペイン狂詩曲〜第3曲 ハバネラ
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