ノート・イネガル:16世紀半ばのフランス発祥でジャズにも通ずる奏法
楽譜でよく見かけたり耳にしたりするけど、どんな意味だっけ? そんな楽語を語源や歴史からわかりやすく解説します! 第92回は「ノート・イネガル」。
1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...
さて、今回はいつもより少し踏み込んだ内容の楽語をご紹介いたします。ノート・イネガル(notes inégales)です! 聞きなれない方もおそらく多いかと思うので、しっかりご説明いたします。ご安心ください!
ノート・イネガルとは?
イネガルは、フランスのバロックをはじめとした音楽では、大切な演奏方法の一種です。とっても簡単にいうと、均等に並んだ音符を、付点っぽく演奏することです(日本語ではイネガル奏法と呼ばれます)。
ノート(notes)はフランス語で音符を意味し、イネガル(inégal)は、フランス語で不均等を意味する言葉で、まさに、付点っぽく演奏することで、不均等になるわけです。
「え?楽譜通りにちゃんと均等に弾かないの!?」、と思われるかもしれません。ですが、音楽には楽譜に書けないことがたくさんあります。もしくは、その時代においてはあまりにも当然のことだったので、わざわざ楽譜に書く必要のなかったこともあります。ノート・イネガルは、その一種でもあるわけです。
まだなかなかピンとこない方もいらっしゃるかもしれません。フランスのバロック音楽における大家、フランソワ・クープラン(1668〜1733)が、自身の『クラヴサン奏法』(1717年出版)の中で、大変興味深いことを記しています。
私の考えでは、フランス音楽の書き方には、フランス語の書き方と類似した欠点がある。それは、私たちが演奏するのとは違うように書き記しているということである。このことにより、外国人がフランス音楽を弾いてもあまりしっくりこないのだ。(略)フランスでは、均等に演奏される8分音符を、付点が付いているように弾く。均等に書いてあるにも関わらず。私たちは、この習慣に従って演奏しており、それをずっと続けているのだ!
例えば、フランス語では、書いてある文字を読まないことがありますが、フランス音楽もこれと同じだと言っているわけです(例えば、フランスの首都パリは、Parisと書き、最後のsは読みません!)。
楽譜通りに弾いても、「んー、それは違うかも!」と言っているわけです……これは、とっても重要なことだと思います。
ノート・イネガルの歴史と演奏例
この演奏法は、だいたい16世紀半ばのフランスで始まったとされています。そしてその習慣は、18世紀末まで続きます。モーツァルトが亡くなった時期くらいまでと考えてください。
もちろん、どこでも付点にしていいわけではなく、ある程度のルールが決められています。そうでなければ、逆に盆踊りのような音楽になってしまいますからね……。
例えばフランスのオルガニスト、ミシェル・コレット(1707〜1795)が書いた教本の中には、次のような例が示されています。
音符の上にAとBの文字がありますね。コレットは、「Aの音符は長めに、そしてBの音符は短めに」と述べています。
ここでは、音階が例として示されていますが、音階をそのまま楽譜通りに弾いても、なんだかぶっきらぼうな音楽になってしまうので、少し揺らぎを作るためにも、付点をつけましょうと言っているのです。
普通のノート・イネガルは、2つの音のうち、拍の頭にある1つ目の音が少し長く、2つ目の音が少し短くなります。
では、ノート・イネガルは、フランスのバロック音楽でしか演奏されないの?と思いますよね。そんなことはありません! フランスは当時のヨーロッパにおける文化の中心地で、誰もが興味を持っていました。
バッハやヘンデルのような、フランスと接点の少ない作曲家も、フランス風の音楽をたくさん作曲しました。もちろん彼らがノート・イネガルで演奏していたかどうかの証言は残っていませんが、もし弾いていたとしても、「そりゃ、フランス風の音楽を弾いているんだから、ノート・イネガルで弾くのは当然だよね」とみんな思うので、わざわざそんな記録を残さないはずです。
そんな中でも貴重な証言として、ドイツの作曲家フリードリヒ・ヴィルヘルム・マルプルク(1718〜1795)は、同じくドイツの作曲家クヴァンツ(1697〜1773)が、非常にフランス風な奏法で演奏していたことも記録しています。
ノート・イネガルは、均等な音符を付点のように演奏することがわかったかと思いますが、「じゃあ、もともと付点の音符はどうなるの?」と思いますよね。付点の音符は、もとのリズムよりもっと鋭く(複付点のように)演奏することがあるんです!
例えば、テュルク(1750〜1813)も自身の教本「クラヴィーア奏法」(1789年出版)の中で、そのように弾くことがある旨を記しています。
この付点の弾き方もノート・イネガルの一種なのですが、バッハの作品をよくみてみると、非常に興味深いことがわかります。
下の譜例は、バッハの《フランス風序曲》より第1曲「序曲」です。赤で示しているのが普通の付点で、青で示しているのが複付点と同じリズムの箇所です。
こうして、バッハは細かいリズムまで実は書き分けており、むやみやたらと複付点にすることや、ノート・イネガルのように演奏することには注意が必要なのです。
バッハ:《フランス風序曲》 BWV831〜第1曲「序曲」より
レオポルト・モーツァルトも、ノート・イネガルについて述べており、古典派の中期くらいまではこの奏法が残っていたことがわかります。その後、1789年に勃発したフランス革命と共に、ノート・イネガルは廃れていきました。
しかし、ノート・イネガルは意外なところで再復興したのです……そう、新大陸のアメリカで! ジャズでいうスイングは、音のリズムを少し揺らして演奏することですが、まさにこれこそがノート・イネガルなのです!
これは、初期のジャズが確立されたのが、ニューオーリンズというフランスの植民地だったことが影響しているという説もあります。バロック音楽でも同じような感じで、いいテイスト(bon goût)で演奏されれば、自ずとリズムもスイングするよね、ということです!
どの時代の音楽も、やっぱりスイングが大事なのです!
ノート・イネガルを聴いてみよう
1. マレ:ヴィオールのための組曲 ト短調〜アルマンド「ラ・マリアンヌ」
2. モンテクレール:2つのフルートのための協奏曲第3番〜第6曲 アルマンド
3. クープラン:王宮のコンセール第2番〜第1曲 前奏曲
4. オトテール:組曲 ハ短調 作品5-2〜第4曲 メヌエット
5. バッハ:管弦楽組曲第2番 BWV1067〜第7曲 バディヌリー
6. グルダ:プレイ・ピアノ・プレイ〜第1曲
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