読みもの
2022.06.08
川口成彦の「古楽というタイムマシンに乗って」#1

時間旅⾏が楽しくて

第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される来年10月まで続く、古楽や古楽器に親しみがわいてくる連載です。

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

1843 年製のプレイエルによるショパン・リサイタル(2021 年盛岡市⺠⽂化ホールにて )

この記事をシェアする
Twiter
Facebook
続きを読む

子どもの頃はコンビニ旅行も夢のようだった

今思えば、⼦どもの時は⽬の前に映る世界が新しいものづくしで、わくわくの毎⽇でした。⼩学校 2 年⽣のとき、僕がクラスの友達に「今⽇何して遊ぶ?コンビニに⾏ってみない!?」と⾔ってみたら、友達も「⾏く⾏く⾏く!!!」と⼤盛り上がり。いざコンビニに来てみると、うまい棒やガリガリ君がキラキラと輝いており、お⼩遣いで買ったお菓⼦を、お宝を⼿にしたかのような⾃慢気な⾯持ちでみんなで⾷べました。

僕は⾃分⾃⾝が本質的には昔と変わっていないと思っているのですが、やはり様々なことを経験することで、世界の⾒え⽅は少なからず変わってきました。そのことが、ふと寂しく感じられたりすることがあります。

あの時のコンビニ旅⾏がなぜだか頭から離れず、⼦どもの頃の⼼の有り様は⼤⼈になっても忘れたくないな、と感じます。

⺠族⾳楽は異国への扉を開いてくれる

⾳楽は⼤⼈になっても果てしなく好奇⼼を満たしてくれる貴重な存在です。

⻄洋芸術⾳楽に限らず、あらゆる⾳楽がくまなく魅⼒的ですが、中でも⺠族⾳楽は異国への扉を開いてくれる不思議な⼒を持っています。

⾳楽は、絵画や彫刻のように具体的な物質として存在しないという点から、とても抽象性を帯びたものだと思います。そしてその抽象性ゆえに、⼈間の⾼度な脳は⾳楽から様々なイメージを引き起こします。

たとえインドネシアに⾏ったことがなかったとしても、ガムランの響きを聴くと、「なんだかインドネシアにいるような」気がするのは本当に⾯⽩いことです。

イマジネーションが⽣み出すものはさまざまなので、同じ⾳を聴いても⼈によって感じ方が違うとは思います。しかしながら、現実の世界とは別の場所に⼀瞬でも⾝を置くことができたような感覚を、多くの⼈が⾳楽を通じて体験しているのではないでしょうか。

ピアノも歴史の中では⽝のごとく(!?)多様

幻覚までをも引き起こす⾳楽のマジックは、私たちに時間旅⾏の可能性さえ与えてくれます。それは、⻄洋芸術⾳楽においては古楽器がなすことのできる魔法です。

僕がフォルテピアノ、すなわち歴史的ピアノの演奏家ということもあり、ピアノについて書きますが、ピアノは 18 世紀初頭にフィレンツェのメディチ家に仕えた発明家のクリストフォリによって⽣み出された後、⽬まぐるしい変化を遂げてきました。時代によってまるで違う上に、製造された⼟地によっても趣きが⼤きく異なります。

⽝にはチワワ、柴⽝、ゴールデンレトリバー、ボルゾイ、ブルドック、シベリアンハスキー……と多様な種類がありますが、ピアノも歴史の流れの中で⾒ると、⽝のごとく多様です。「ピアノといっても、時代や地域ごとにこんなにも違うのか!!!というか、もはや別物?」という感想を抱かざるを得ないほどに。

だからこそ、現代のピアノとは⼤きく異なる昔のピアノの⾳⾊に触れた時に、「現在」とは違う時空間に⾝を置けるような感覚を得ることができます。

1726年製のクリストフォリ (ライプツィヒ⼤学楽器博物館にて)

作曲家が生きた時代の楽器は時空を超える

ショパンが⽣きた時代のプレイエルの⾳⾊を聴きながら、ふと瞳を閉じると、1830 年代あるいは 40 年代のパリのサロンにタイムスリップして、ショパンが⽬の前にいるような気分になります。18 世紀末のイギリスの楽器で画家ゴヤの⽣きた時代のスペインの作曲家の作品を演奏すると(当時のスペインにはイギリスの楽器が渡っていました)、ゴヤの絵の世界に描かれたマハやマホたちが僕に微笑んできます。

それらは僕⾃⾝のなんらかの願望が勝⼿に⽣み出した妄想かもしれません。しかしそれは、現代のピアノの⾳⾊では決して得ることができない夢想なのです。

左)1792 年製のブロードウッド。CD『ゴヤの⽣きたスペインより』のレコーディングにて。上)1890年製のエラール。2019年の東京文化会館でのリサイタルにて©︎Taira Tairadate

古楽の魅力に取りつかれた衝撃的な体験

古楽器の魅⼒に取りつかれて間もない頃に、フォルテピアノ奏者のクリスチャン・ベズイデンホウトによるベートーヴェンの「ピアノ協奏曲 第2 番」を東京⽂化会館の⼩ホールで聴きました。その演奏は、今でも鮮明に記憶に残っている衝撃的なものでした。管弦楽はピリオド楽器によるオーケストラ・リベラ・クラシカで、指揮は僕が当時⼤学でもお世話になっていた鈴⽊秀美先⽣でした。

第 3楽章が終わった後、拍⼿が鳴り響く前に、聴衆が皆呆然としているようなため息混じりの静寂がありました。

僕も「今聴いたのは⼀体何だったんだ……」と呆然としました。

演奏⾃体の素晴らしさを超えて、魂がベートーヴェンの時代にすっかりタイムスリップして、現実世界に戻るのに時間がかかったという感覚でした。

さらに⾔えば、ベートーヴェンの精神世界に魂が没⼊することができ、単なるタイムスリップにとどまらない⼼が満たされる時間でした。

楽器が昔のものだというだけでなく、演奏者が楽器を通じて当時の⾳楽語法で雄弁に語ってくれることで、よりいっそう聴衆は古楽器による⾳楽の「再創造」に引き込まれます。

聴衆としてのあの経験は、古楽器奏者としての今の僕の⼼に、未だに⼀つの理想として刻まれています。

           *              

タイムマシンがまだ発明されていない今、「古楽」を通じて⾃分だけの時間旅⾏をすることは、僕の⽇々の楽しみです。⾃分の知らない未知なる世界がまだまだたくさんあり、⼦どもの頃のようにわくわくできることはとても嬉しいことです。         

時間旅⾏の中で⾒つけていく宝物を、⼤切に⼼にしまっていきたいと思っています。

1769 年ツンペ製作のスクエアピアノ(オランダのヘールフィンクミュージアムのコレクションより)
川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ