ショパン国際ピリオド楽器コンクールの思い出~予備審査動画の制作から本大会の準備編
第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される来年10月まで、古楽や古楽器に親しみましょう!
1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...
2018年に蘇ったワルシャワ時代にショパンが愛用したピアノ
2018年はポーランド独立100周年の年で、ポーランド国家の文化の象徴ともいえるショパンにまつわる印象的な出来事が二つありました。その一つが3月17日にワルシャワ大劇場で行なわれた、ワルシャワ時代のショパンが愛用したブッフホルツ(ワルシャワで活躍したピアノ製作者)のピアノの復元楽器のお披露目コンサートです。
ポーランドの詩人ツィプリアン・ノルヴィト(Cyprian Norwid、1821〜1883)が「ショパンのピアノ Fortepian Szopena」という詩で描いているように、ワルシャワ時代のショパンのピアノは、1863年の1月蜂起の際にロシア軍の兵士により建物の2階から投げ出され、破壊されました。長い時を経て、2010年、国立ショパン研究所によってFortepian Szopenaを現代に蘇らせる壮大なプロジェクトが国立ショパン研究所によって構想されました。そして、2018年に現代を代表する鍵盤楽器製作家のポール・マクナルティ(Paul McNulty、1953〜)によって、ついに復元されたのでした。
その復元楽器のお披露目を僕も聴きに伺ったのですが、「ワルシャワ時代のショパンの音色」が現代の聴衆の耳にようやく届いた瞬間は、なんとも感慨深かったです。
3月17日はショパンのピアノ協奏曲第2番が初演された日で(1830年)、この演奏会ではポーランドの若手クシシュトフ・クションジェクとヴァーツラフ・ルクスが指揮するコレギウム1704によって、この作品が初演時と同じブッフホルツで奏でられました。若き日のショパンの魂が楽器と共に蘇ったような感動的な夜でした。
鍵盤楽器製作家のポール・マクナルティによるブッフホルツ復元のドキュメンタリー動画
画期的なショパン国際ピリオド楽器コンクール
「印象的な出来事」の二つ目は、ショパン国際ピリオド楽器コンクールが開催されたことです。ブッフホルツを復元させプロジェクトの企画者で、有名なショパン国際ピアノコンクールを主催するショパン研究所が新たに設立した、ショパンの時代の楽器(ピリオド楽器)での演奏が審査されるショパンコンクールです。
ブッフホルツをはじめ、グラーフ、ブロードウッド、エラール、プレイエルといったショパンと縁のあるピリオド楽器が集結するコンクールは非常に画期的なもので、その開催に関するニュースが飛び込んだときには驚きと共に、参加してみたい!! という気持ちで胸が高まりました。特に、本選で憧れの18世紀オーケストラと共演ができると知ったときには、とにかく「一緒に演奏したい!」と夢が膨らみました。
18世紀オーケストラは、今は亡き偉大なるリコーダー奏者、フランス・ブリュッヘンによって設立された古楽オーケストラの名門で、オランダを拠点にしている団体です。僕は2015年から2年間アムステルダム音楽院の古楽科で学びましたが、古楽器の先生の多くは18世紀オーケストラのメンバーで、よく18世紀オーケストラのリハーサルや演奏会にも足を運びました。この憧れのオーケストラと共演できることは自分にはまたとない機会で、それを目標にコンクールの準備にも気合いが入りました。
リコーダー、フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者、指揮者。
アムステルダムに生まれ、アムステルダム音楽院、アムステルダム大学に学ぶ。21歳で王立ハーグ音楽院教授。
1950年代からリコーダー奏者として活動し、リコーダーの可能性を大きく広げた。1981年に18世紀オーケストラを立ち上げ、指揮者としても活躍した。
3台のフォルテピアノを使って審査用の動画を制作
さて、コンクールの舞台に立つためにはまず動画による予備審査に通過しなければなりません。私の場合、オランダのエンスヘデーという街にいる世界最高峰のフォルテピアノ修復家エドヴィン・ボインクさんの楽器とスタジオを提供してくださいました。フォルテピアノは、楽器の保存状態によっては楽器本来の魅力が埋もれてしまっているものもあるので、「楽器選び」は非常に重要です。
ショパン研究所は、参加者が動画制作に難航しないか危惧したのか、研究所が所有する楽器を録音のためにも開放していました。参加者の中には、ポーランド国外から動画制作のためにワルシャワを訪れた人もいました。
私はエドヴィンさんの協力により、《バラード第2番》、《練習曲 op. 25-10》、J. S. バッハの《前奏曲とフーガ ロ短調 BWV 893》を曲ごとに楽器を変えて、豪華に3台使わせていただきました。曲ごとに楽器の音色の違いも楽しめる動画を作ることで、どうにか審査員の印象に残らないだろうか……といろいろ考えた末の録音でした。
ところで、エドヴィンさんの楽器がワルシャワに運ばれてコンクールでも使用されることにもなり、動画制作を通じて事前にそれらの楽器に触れることもできて私はつくづくラッキーでした。そして、無事に動画審査に通過して、ワルシャワで演奏することが決まったときの喜びは忘れられません。何度も何度もコンクール事務局からのメールを見返して、ワルシャワで演奏する日に思いを馳せました。
コンクール準備を通して時代ごとの演奏様式を考察、多様なショパン像を模索
初めての開催となった古楽器でのショパンコンクール。審査員は、アレクセイ・リュビモフやアンドレアス・シュタイアーなど、古楽系の演奏家が4名とダン・タイ・ソンやヤノシュ・オレイニチャクなど(古楽器の経験もある)モダンピアノ系の演奏家の6名でした。
その顔ぶれからピリオド楽器で演奏するショパンに対して審査員全体でも意見が大きく分かれそうな予感がして、僕はコンクール事務局に1通のメールを送りました。それは古楽コンクールでは当たり前の「即興的な装飾やヴァリアント」を入れることが今回のコンクールでは容認されるかどうか、という質問です。モダンピアノのショパンコンクールで、コンペティターが即興的に音を足したときに、審査員が眉間に皺を寄せた、というエピソードを聞いたことがあり、念のため確認すべき内容でした。
ショパン研究所によるリュビモフのCD『At Chopin’s Home Piano』
事務局から出場者に向けて、それらがウェルカムだという内容のお知らせが届いたときには安堵しましたが、それ以外にも現代における価値観(20世紀に築き上げられたショパン解釈)と約200年前のショパンの時代の演奏様式がコンクールにおいて混在しかねないことを想定して、コンクールの準備を進めました。
でも、その過程で時代ごとの演奏様式について考察できたり、古楽的なアプローチだけでない多様なショパン像を模索したりできたので、私にとって大変良い経験になりました。
現代の演奏家は、演奏解釈においても幅広い選択肢や可能性を手にしています。その中で自分がどのような演奏をしていきたいのかをはっきりさせることは、演奏家としての自分自身を見つめ直すうえで大切なことだと思います。まさにショパン国際ピリオド楽器コンクールは、29歳の僕にとって、そういったことを考える貴重な機会になりました。
次回(4月更新)に続く
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