読みもの
2023.12.16
川口成彦の「古楽というタイムマシンに乗って」#17

未来に続くタイムマシン

第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回の2023年10月に開催に向けて理解を深めてきた本連載はついに最終回。コンクールの総括からフォルテピアノのための現代音楽まで、「未来に連れていってくれるタイムマシン」について語ります。

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

《Bridging Realms》初演時、楽曲の中間部に移行する瞬間。
©︎NIFC

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古楽は既存の作品像から解放してくれる

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2022年6月より「第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクール」を目標にしながら古楽に関するこの連載を執筆させていただきましたが、ついに今回最終回を迎えることとなりました。そして10月5日に開催されたコンクールのオープニングコンサート出演のために僕も久々にワルシャワを訪れ、6日と7日には第一次予選も少し拝聴してコンクールの空気を楽しむことができました。懐かしさもありましたが、5年前の第1回のコンクールが、まだ5日前なのでは!? と思うほどに、時間の流れの速さも強く感じました。今回の滞在では僕のポートレート動画も国立ショパン研究所の方々が作ってくださり、そちらもとても良い思い出となりました。

川口成彦ポートレイトビデオ

この動画の終盤でも語っていますが、このコンクールは僕が古典派だけでなくロマン派以降の作曲家も古楽器で積極的に弾くようになった大きなきっかけにもなり、人生の大きな転機とも言えるものでした。「古楽」というものは遡ればバロック音楽やルネサンス音楽のリバイバルから始まりましたが、21世紀の現代ではその領域がロマン派や近代の作品にまで拡大しており、古楽に取り組む演奏家がさらに新しいことを模索している時代となっていると思います。

20世紀以降にモダン楽器と共に現代的な演奏スタイルで、録音媒体などを通じて広く築きあげられた作品像というものが楽曲によってはあったりします。そして「古楽」はそうしたものから私たちを一度解放してくれます。

メトロノームの話をテーマにした回でも述べたように、シューマンが容認した速度表記では「速い」部類に入る《トロイメライ》も、今日では20世紀の名演奏家たちの演奏も少なからず影響してゆっくりめのテンポの作品と広く思われていると思います。またショパンの《バラード第4番》のコーダの前のフェルマータ付きの4小節の長い静寂のセクションも、なぜなのか半分以下の長さですぐにコーダに入ってしまう演奏ばかりです。

そのような「楽譜よりもみんながやってるほうが正しい」というようなマジョリティ至上主義とも捉えられる慣習というのは山ほどあります。そのマジョリティ至上主義に反する精神というのものは古楽器奏者に必要なものであり、人から演奏解釈を批判されることを恐れてはなりません。

バロックや古典派の作品では「こんな演奏聴いたことがない!! しかも確かに楽譜はそう読むことができるではないか!」と大きなショックを与えてくれる演奏に僕自身も多く出会ってきましたが、ロマン派以降の作品は未だに反マジョリティ至上主義が大きく打ち出された鮮烈な演奏というものは比較的少ないと思います。だからこそ「新しいことを模索している時代」の今後の行方は実に楽しみではないでしょうか。

そんな時代を象徴するかのようにできたショパン国際ピリオド楽器コンクールは、ショパンを中心にロマン派の演奏解釈に新しい切り口を提示してくれる若手古楽器奏者の輩出が、期待されるものであるかもしれません。そして僕自身もこのコンクールに入賞したことで、自分がそういう存在に少しでも近づけたらと思いながら入賞後も過ごしてきました。

実際尊敬すべき第1回優勝者のトマシュ・リッテルが最近出したCDに収録されたショパンの《スケルツォ第1番》は、上記のような衝撃を僕に与えてくれたもので、ロマン派作品の「古楽」の風を強く感じました。彼のような若手古楽器奏者が世に出たことにコンクールの意味を強く感じました。

第1回で上位入賞はしなかったものの、審査員ではなく国立ショパン研究所自体に才能を評価され、今年はフライブルク・バロック・オーケストラとの共演も果たしたドミトリー・アブロギンが世に知られたことも素晴らしいことでした。彼は修復されたショパンの最後のピアノ(1848年製プレイエル)で初めてNIFCのレーベルからCDを出すピアニストに選ばれました。僕は彼らのような尊敬できる奏者とコンクールをきっかけに親交を深めながら大きな刺激をもらっていることを心から誇りに思っています。

ショパンの最後のピアノを使用したCDのためのアブロギンのインタビュー

第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで感じたこと

第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクールは、2018年の第1回も踏まえられたのか、演奏に対してオリジナリティあふれる攻めの姿勢の奏者も多かったように思います。リスクを恐れずに自分の意思を貫いている演奏に多々触れて、コンペティターのショパンや古楽器への思いに感動しました。

そして、第1回のコンクールの入賞者とはまたガラリと雰囲気の異なる入賞者およびファイナリストの顔ぶれも、興味深い結果でした。エリック・グオは古楽器の経験はまだほとんどない状態の奏者でしたが、優勝者として見出されました。このコンクールは「未来を担う若者に広く古楽器の普及を促す」ことも大きな目的に掲げているようですが、彼がコンクールをきっかけに古楽器と大きな縁ができたことが、今回未来に向けて撒かれた大きな種の一つだと言えるでしょう。撒かれた種が、美しい花を咲かせ、美味しい果実を実らせたとしたら、どんなに喜ばしいことでしょうか。コンクールというスタートラインから、まだ21歳のグオがどのような演奏家に変貌を遂げていくのか。コンクールの結果自体よりもこれからの未来の方にこそ真の意味があるでしょう。

エリック・グオ ©︎NIFC
2024年1月下旬に日本でバッハ・コレギウム・ジャパン(指揮: 鈴木優人)との協奏曲の公演やソロリサイタルを行なう。

僕個人としては2016年にブルージュ国際古楽コンクールで出会ったマルティン・ヌーバウアー(ブルージュで3位入賞)の演奏を久しぶりに聴けて、嬉しいことの一つでした。彼の7年間が凝縮されたような素晴らしい予選のステージは圧巻で、実際、各審査員のYesとNoによって結果が出される一次と二次予選において、ヌーバウアーはすべての審査員からYesをもらっていました。そんな人は第1回でもいませんでした。

大ホールのファイナルでも繊細なショパンを追い求める姿勢を僕はとても好きでした。第1回のドミトリー・アブロギンのように彼が審査結果に関係なく世の中に大きく見出されることを心から願っています。ヌーバウアーの演奏が素晴らしすぎて、「僕ももっともっと頑張るぞ!!」と背中を押されました。彼の演奏に感謝でいっぱいでした。

マルティン・ヌーバウアー ©︎NIFC

フォルテピアノによる「現代音楽」

話は大きく変わりまして、マルタ・アルゲリッチが緊急出演したことで祝祭感が増したコンクールのオープニングコンサートで、彼女やブルース・リウ、トマシュ・リッテルによるベートーヴェンのピアノ協奏曲(1番をアルゲリッチ、3番をリッテル)や合唱幻想曲(リウ)の前に、藤倉大さんのフォルテピアノ独奏のための新曲《Bridging Realms》を世界初演させていただきました。本当に貴重な経験でした。

「あらゆるRealms (人間同士、あるいは国同士など解釈は多様)に橋渡しが行なわれる」ことを夢見させてくれるこの作品は、「平和」というものを願わざるを得ない今日において、祈りを込めて弾くような心境でした。藤倉さんがフォルテピアノの繊細な部分にもかなり意識を向けて作ってくださったので、初演で用いた1819年のグラーフを復元したポール・マクナルティをはじめ、多くの方が喜んで下さいました。僕も本当に嬉しかったです。作品の日本初演は2024年3月に、18世紀オーケストラとの演奏会で行なわれます。

ブルース・リウ、マルタ・アルゲリッチ、トマシュ・リッテルの6手連弾。
オープニングコンサートにて。©︎NIFC
《Bridging Realms》初演後に紹介される藤倉大さん ©︎NIFC

古楽というタイムマシンはきっと未来にも連れて行ってくれる

20世紀以降、リコーダーやチェンバロなど、古楽器が現代の作曲家にインスピレーションを与えることは多くありましたが、フォルテピアノのために新曲が書かれることは実はほとんどありませんでした(もちろんまったくなかったわけではありません)。だからこそ僕は現代音楽の鍵盤作品の新しい分野を考えるうえで「20世紀がチェンバロの時代だとしたら、21世紀はフォルテピアノの世紀」とイメージしていたりします。

藤倉さんの作品だけでなく、フェニーチェ堺が委嘱したことで誕生した杉山洋一さんの約20分の壮大な《山への別れ》も2021年に初演させていただき、僕の大切なレパートリーとなっています。またベルギーのフランク・アグステリッベもフォルテピアノのために多くの作品を残していることで注目すべき作曲家でしょう。今後もさまざまな作曲家が「新しい」響きを求めてあらゆる時代のフォルテピアノに興味を持ってくださったら面白いな、とひとりの奏者として思っています。

2024年1月16日に東京オペラシティの「B→C」に出演しますが、そこでアグステリッベや杉山さんの作品を演奏するのに加えてイタリアのフルビオ・カルディーニの新曲をピアノの原点であるクリストフォリ(復元: 久保田彰)で初演します。今からたいへん楽しみです!

またフォルテピアノだけでなく、ハイドンが協奏曲を残したリラ・オルガニザータなどまだ現代作曲家に「発見」されていない古楽器も沢山あるので、今後昔の楽器が未来に向かって新しい楽器として日の目を浴びることも面白いだろうな、と妄想しています。「古楽器が新しく未来の楽器になる」としたら、僕たちのタイムマシンは未来にもきっと連れて行ってくれるでしょう。

リラ・オルガニザータとそれを復元したヴォルフガング・ヴァイヒゼルバウマー。ウィーン郊外の彼の工房にて(2016年)。ハーディーガーディーを中心に製作を行なう彼のホームページ→https://weichselbaumer.cc

さて全17回に渡る連載が終わりを迎えました。読んでくださった読者の皆様には毎回感謝でいっぱいでした。先日友人が「戦争が起きたり、ネット上で人が人を傷つけあったりする時代だからこそ、音楽や芸術は人の心を思い出すためにも必要なのかもね」と僕に言ってくれました。たしかに! と思わざるをえませんでした。まだまだ奥深い古楽、そして音楽の世界ですが、今後とも皆様の心に潤いやエネルギーを与えてくれるものであったら良いなと願っています。

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

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