音楽表現と深く関わる音律の話〜リゲティ、ショパン、バッハなどから考察
第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される2023年10月まで、古楽や古楽器に親しみましょう!
1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...
リゲティの作品から音律について考える
今年はリゲティの生誕100周年。トッパンホールにて企画された2日間に渡るバースデーコンサートで、彼のチェンバロ曲全3曲を初めて演奏し、僕にとって最高に刺激的な経験でした。そしてこの演奏会は「音律」についても深く考える機会となりました。
ピアノのトーマス・ヘルさん、ヴァイオリンの毛利文香さん、ホルンの福川伸陽さんによって演奏された《ブラームスへのオマージュ》というタイトルのホルン三重奏曲は、平均律と純正音律をぶつけることで音の揺らぎを生じさせるすさまじい発想が組み込まれています。
また僕が演奏した《ハンガリー風パッサカリア》には、チェンバロを中全音音律(註:ミーントーンとも呼ばれ、3度音程を純正にするために完全5度を
ハンガリー生まれのオーストリアの作曲家。1941〜43年コロジュヴァールの音楽院で学び、大戦後にリスト音楽院でヴェレシュらに師事した。49〜50年ルーマニアで民俗音楽の収集と調査にたずさわる。50〜56年にリスト音楽院で教授をつとめるが、56年12月に亡命し、ケルンの西部ドイツ放送電子音楽スタジオで創作をおこなう。61〜71年ストックホルム音楽大学で客員教授を、73〜89年ハンブルク音楽大学で教授をつとめる。各国での受賞多数。
リゲティのめざす表現は、亡命以前から今日まで一貫して網状組織、すなわち精確に構成されたテクスチュアによって高密度に音を集積し,そのなかでさまざまなできごとを湧出させる音楽である。
リゲティ:《ハンガリー風パッサカリア》(演奏:エリーザベト・
ピタゴラス音律からの発展
「音律」というのは、音階を構成する音の高さの相対関係を規定するもので、オクターヴの分割方法のことです。そしてそれは前回話題にした「ピッチ」と共に、音楽の歴史において多様に存在してきました。
音高の相対関係というのは、数値的には音の振動数の比率によって表すことができます。例えば1オクターヴの比率は2:1(高い方の音:低い方の音)で、完璧に美しく調和する5度(すなわち純正5度)の比率は3:2です。この純正5度というのはあらゆる人間の感覚に共鳴した宇宙の産物であり、中国やエジプト、ギリシャの古代文明でも音楽の母体となる音程として重んじられ、古代文明以降もさまざまな民族によって大切にされてきました。
そして、古代ギリシャの哲学者および数学者のピタゴラス(紀元前582〜紀元前496)は、純正5度の音程関係を元に1オクターヴ中のすべての12音を定めていくピタゴラス音律を考案します。すべての5度が完璧な美しさで響くこの音律は、まさに理想的と思われますが、5度で導いていった結果、同じ音(例えばドから始めて行き着いた先のもう一つのド)が一致しないという問題が生じてしまいました。
19世紀にイギリスの音楽学者アレクサンダー・エリス(1814〜90)が1オクターヴを1200分割して生み出した「セント」という単位があるのですが、ピタゴラス音律が直面した音程のずれは24セントで、「コンマ」という微分音程を指し示す言葉と共に「ピタゴラス・コンマ」と呼ばれています。
このピタゴラス・コンマを解消するためのさまざまな実験や思索によって、多様な音律が生まれていきました。ヴェルクマイスター(1645〜1706)、キルンベルガー(1721〜83)、ヴァロッティ(1697〜1780)などの音楽理論家や作曲家に由来する音律が代表的なものです。
1オクターヴを構成する12音それぞれの間隔を均等にする(すなわち1オクターヴを均等に12分割する)「平均律」は古くから注目され、今日では一般的に用いられています。純正5度をはじめとする完璧な響きを追い求めては必ずどこかの音程に問題が生じてしまうので、どのような調性や和音でも過剰な音程のずれが生じることがない平均律は転調もスムーズに行なえる大変実用的なものです。
平均律のアイデアは西洋に限らさまざまな国で生み出され、日本でも中根元圭(1662〜1773)という和算家が平均律を提唱しました。
完璧な理想の響きを追い求めて
しかし、平均律はすべての音程が純正の響きよりは少し狭くなっているので、平均律で完璧な理想の響きを求めることには限界があります。純正なる響きによる合唱などを聴くとハモりの美しさにもうっとりしますし、そのハモりによる色彩感は音楽の表情を豊かにします。けれど鍵盤楽器など奏者が音高を自由に操れない楽器ではそういったことは容易ではなく、それゆえに調律法へのこだわりが出てくるのです。
例えばショパンが演奏会において4台の違う調律のピアノを並べて作品ごとに変えて弾いたという説があります。これが本当だとしたら、作品が一番美しく響くことを追い求める意識の高さに驚かざるをえません。彼はフィンガリングやペダリングにも尋常ではないこだわりを持っていたので、感受性豊かで繊細な彼なら音律および調律にも手を抜きそうにありません。
それでもやはり大きく問題になるのは、平均律以外の調律法では、転調の際に音程のずれが大きく出てきやすいということです。けれど、音程のずれから生じる転調時の不安定な響きと、主調時の純度の高い響きのギャップこそが、より和声の移ろいをドラマチックにするスパイスになったりもします。そして平均律が一般的に用いられるようになってくる近代以前は、鍵盤楽器など、音律を明確に定めなければならない楽器での演奏において、そのギャップも音楽のキャラクターの一部として楽しんでいたのではないかと思われたりもします。
実際、あの複雑な和声感の作品をたくさん作ったマーラーが、彼の時代に中全音音律が用いられなくなってきているということに対して嘆いていたという話もあります。音律ごとにそれぞれの表現の可能性があるのに、均整の取れた平均律が一般的に浸透することに対して、音楽芸術の危機を感じたのかもしれません。
18世紀にキルンベルガーが述べた「(平均律によって)実際何も得られないだけでなく、非常に多くのものを失った」という言葉も頭をよぎります。そういう言葉が出てくるほどに、音律と音楽表現がもともと大きく結びついていたのです。
バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の「平均律」の本来の意味は?
ところでJ.S.バッハの『平均律クラヴィーア曲集』の「平均律」は誤訳である可能性が高いことはここでは記しておくべきことでしょう。曲集の原題“Das Wohltemperirte Clavier”の Wohltemperieteは「よく調整された」ということを意味し、それが「平均律」であるわけではありません。
第1巻の自筆譜表紙に記された渦巻模様が音律を指示しているという説もあり、曲ごとにバッハが調律法にこだわっている可能性もあります。鍵盤楽器奏者の武久源造さんが『適正律クラヴィーア曲集』という邦題でこの作品集のCDを出されていますが、この邦題と共にこの曲集が正しく認識されるべきかもしれません。
さて今僕はリゲティの音律へのこだわりをチェンバロで実体験し、音律の面白さにようやく興味を持ち始めています。楽器の生音による響きでいろいろな音律を実験できたら理想的ですが、所有しているRolandの電子ピアノにさまざまな音律に切り替えられるシステムが付いているので、そちらで気軽に遊んでみたりしました。
同じ作品も音律を変えてみるとまったく違う景色が見えるので面白いです。ショパンのように楽器4台を並べてしまうほどに、感性を働かせられるようになりたいものです……。
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly