読みもの
2023.07.31
川口成彦の「古楽というタイムマシンに乗って」#14

20世紀の「古楽器」~微分音が出せる楽器やラヴェルが意図した響きを再現できると絶賛したピアノ

第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される2023年10月まで、古楽や古楽器に親しみましょう!

川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

ミニピアノのレコーディングより。一番左が日本楽器(現YAMAHA)のピアネット。アップライト型はKAWAI製。

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日本の古楽器「ミニピアノ」

アムステルダム音楽院での学生生活を終えて1年ほど経った2018年5月に、アムステルダムの西公園を初めて散歩していたら、トイピアノを店頭に飾っているアップライトピアノの専門店を見つけました。そのお店で私が初めて知ることになったのは、“Mini Piano”とネームプレートに記された日本のKAWAI製の小さいピアノでした。

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トイピアノのように金属棒をハンマーが打っているような鉄琴のような音色ではなく、ショパンの時代のピアニーノ(アップライトピアノ)のような天上の響きがして、一気に引き込まれました。そしてこの楽器について店主に尋ねてみました。

「このピアノは一体何なんですか?」

「それはミニピアノといって20世紀前半に日本で独自に作られた貴重なピアノだよ。まさにピアノを小さくしたもので、各音ごとに弦が一本だけ張られているんだ。本当に珍しいもので僕の宝物だから絶対に売らないよ!」

そんなものがあったとは……しかも日本製!? 自分の中に新しく刻まれたミニピアノというものの存在に私の胸は大きく高鳴り、ピアノワールドがまた一つ開拓された気がしてワクワクしました。そして翌年、フランスのピアノの修復と同時にミニピアノの修復も手がけているアトリエ・ピアノピア(大阪府)の小川瞳さんと日本で知り合いました。日本でもミニピアノに再会することができて、それ以来彼女の楽器と共にミニピアノにハマっていきました。

ミニピアノは1902年に築地でオルガン製作をしていた松本新吉によって開発され、主に大正時代から昭和初期にかけて製造されたようです。ミニピアノには今日のピアノの「スタンダード」とは異なる楽器の時代性があり、僕は「これは日本の古楽器だな」と感じています。18世紀や19世紀以前の楽器は現代の一般的な楽器とは性質が大きく違うものばかりですが、ミニピアノをはじめとする20世紀の楽器にもそういったものはいろいろとあります。

広い音域と音色を変える装置が備わったモダンチェンバロ

例えば、19世紀末以降のチェンバロ復興運動のなかで誕生したモダンチェンバロは、その代表的なものです。高い張力の太い弦を支える鉄骨フレームなどピアノ製造の発想も導入されたこのチェンバロは、20世紀に多く作られました。通常の音よりも1オクターヴ低い音が出る16フィートの弦や、1オクターヴ高い4フィートの弦も備わっているのに加え、音色を変える装置も古典的なチェンバロよりも充実し、それらを複数のペダルによって操作することができます。

プレイエル社のモダンチェンバロ

なかでもポーランドのチェンバロ奏者ワンダ・ランドフスカ(1879~1959)の構想の下で1912年にプレイエル社によって製造されたモデルは大きな影響力を持ち、彼女とモダンチェンバロのためにファリャが「クラヴサン協奏曲」(1926年)を、プーランクが《田園のコンセール》(1927年)を作曲しました。その他にもこの楽器に触発されて生まれた作品は数多くあります。

ファリャ:クラヴサン協奏曲、プーランク:田園のコンセール

半音よりも細かい音程が出せる四分音ピアノ

ドイツのAugust Förster というピアノメーカーが開発した四分音ピアノも大変面白い楽器です。このピアノには鍵盤が3段(!)もあり、半音よりもさらに細かく分けられた微分音を出せるように調律された鍵盤も備わっています。20世紀には、微分音を活用した作品も多く書かれるようになり、このピアノはそのような背景もあって誕生しました。微分音と共に生み出される宇宙的なサウンドはクセになります。

四分音ピアノ
写真提供:Hába Quartet

ラヴェルが大絶賛したモール式ピアノ

「エマヌエル・モール式ピアノフォルテ(Emánuel Moór Pianoforte)」、または「デュプレクス=カプラー・グランド・フォルテピアノ(Duplex-Coupler Grand Pianoforte)」と呼ばれる作曲家エマヌエル・モール(1863~1931)が開発した2段鍵盤のピアノも20世紀初期の大変興味深い楽器です。

このピアノは両鍵盤が同じ弦を共有し、上の鍵盤は下より1オクターヴ高い音を打弦できるようになっています。そして同じ位置にある上下のキーを一緒に押すとオクターヴを響かせることができ、両鍵盤を駆使すれば片手で2オクターブ以上の音域を支配することができます。キーは全部で164鍵あり、下段が88鍵で上段が76鍵です。

1940年頃のベーゼンドルファーのモール式ピアノ
写真提供:メトロポリタン美術館

さらにペダルは3つあり、ダンパーペダルとソフトペダルに加えて付いている第3のペダル(真ん中)は上下の鍵盤が連動することを可能にします。このペダルによって、片手でどんなに困難なオクターヴユニゾンの高速パッセージも奏でられます。

また両鍵盤の中間に下の鍵盤の白鍵が黒鍵の位置まで盛り上がっている部分があり、その部分を使って半音階グリッサンドも容易にできます。ポルタメントの音響効果はピアノでは困難ですが、半音階グリッサンドによってそれに近いものを表現できるのです。これらの多彩な機能を備えたモール式ピアノをラヴェルが大絶賛し、彼の作品が真に意図した響きを再現できると高く評価したそうです。

半音階グリッサンドを可能にする部位

モール式ピアノの第1号機はスイスのピアノメーカーSchmidt-Flohrによって1921年に作られ、プレイエル、ウェーバー、チッカリング(1台のみ)、ベヒシュタイン、スタンウェイ(1台のみ)、そしてベーゼンドルファーなども製造しました。第二次世界大戦後に完全に廃れてしまいましたが、60台ほど作られました。製作台数がもっとも多かったのは、ベーゼンドルファーでした。

ウィニフレッド・クリスティによるモール式ピアノの演奏

なぜ20世紀に作られたピアノたちの息の根が絶えてしまったのか?

さて、多機能なモール式ピアノや微分音が出せてしまうピアノがあるにもかかわらず、未だに前時代的なモダンピアノが弾かれていることは、よく考えると不思議ではないでしょうか。ラヴェルが「真に意図した響きを再現できる」と絶賛しましたが、モール式ピアノで彼の作品を演奏する人は今日誰もいません。

20世紀前半に作られていた創造性あふれる楽器の中には、第二次世界大戦を機に作られなくなったものもあり、戦争が文化の動きを捻じ曲げたと思ってしまうほどです。歴史を俯瞰すると電子楽器の発展に意識が向けられるようになったことも大きいかもしれませんが、本来(電子でない)ピアノという楽器において当たり前だった多様性や創造性が、戦後確立された「スタンダード」によって薄らいでいると感じるのは僕だけでしょうか。仮に戦争の影響で20世紀前半の面白い楽器たちの息の根が絶えたとのだとしたら、それはなんだか悲しいことです。

モール式ピアノや四分音ピアノに注目する作曲家も中にはいますが、21世紀の今こそ新しく普及したらきっと面白い音楽がますます生まれるのではないかと思います。

モールとモール式ピアノ
川口成彦
川口成彦 ピアノ・フォルテピアノ・チェンバロ奏者

1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...

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