ガット弦との心地の良いアンサンブル~弦楽器の古楽器について
第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクールで第2位に入賞された川口成彦さんが綴る、「古楽」をめぐるエッセイ。同コンクール第2回が開催される2023年10月まで、古楽や古楽器に親しみましょう!
1989 年に岩手県盛岡市で生まれ、横浜で育つ。第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール第2位、ブルージュ国際古楽コンクール最高位。フィレンツェ五月音楽祭や「ショパン...
弦楽器との共演で感じること
今年の七夕は紀尾井ホールで僕が受けもたせていただいている「レジデント・シリーズII」の第2回の演奏会でした。このシリーズは、紀尾井ホールとアーティストが大いにクリエイティヴィティを展開することをテーマにしており、演奏者にとっては新しいことに大いに挑戦できる特別な機会です。そして、今回の公演は1800年頃のブロードウッドのピアノと共に「古楽器の時代性にとらわれない自由」を追い求めてバロックから近現代までのさまざまな作品を取り上げました。
古楽の仲間であるLa Musica Collanaの(写真左より)丸山韶さん、廣海史帆さん、佐々木梨花さん、島根朋史さん、諸岡典経さんによる弦楽五重奏とセイシャス、パロミノ、モーツァルト、リーの協奏曲を室内楽版で演奏し、ファリャ、アルベニス、グラナドス、マルティ、シュナイダー、ラヴェル、滝廉太郎の独奏曲も弾きました。
楽器というものは時代によって変容してきたので、時代性と結びつくのは当然のこと。僕もそれゆえに古楽器を「タイムマシン」のようだと思っています。しかし、古楽器が時代性に束縛されなければいけないということはまったくありません。そういったことを考える古楽器奏者はもちろんたくさんいて、最近ではジャン・ロンドーがドビュッシーの「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」をチェンバロで録音したのはセンセーショナルでしたし、平井千絵さんのCD『DREAM』では、古典派の時代のピアノでセヴラックの擬古趣味的な作品やケージを聴くことができます。
チェンバロで録音されたドビュッシー「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」
ところで、今回の公演のような弦楽器との室内楽でいつも感じるのは、「ピアノもヴァイオリンやチェロのように木でできている弦楽器なんだ」ということです。まだ鉄骨が内蔵されていない時代のピアノだとなおさらそれを感じ、古くからの古楽仲間である丸山くん、島根くんとのピアノトリオは「木心トリオ Kigokoro Trio」と最近新しく名前をつけ直したほどです。そして「木の楽器同士が楽しく共鳴し合う」という素朴で自然な状態を、古楽器のアンサンブルでは一層感じられると僕は思っています。
喩えるなら現代のピアノの音色は雑味がすべて取り除かれた純度の高い濾過された水のようで、フォルテピアノ(18世紀や19世紀のピアノ)は音色にさまざまな雑味も混ざっている川の水のようです。精製された白米と玄米にも似ているかもしれません。それはピアノ以外の古楽器にも多く当てはまり、自然本来の状態に近い音色でのアンサンブルの心地良さは現代の楽器では出せない特別なものです。
それぞれの古楽器とモダン楽器の違いとは?
現代のピアノとフォルテピアノの相違点は山のようにあります。弦が昔のピアノは交差ではなく平行に張られていたり、弦の素材が鋼鉄ではなく軟鉄の時代があったり、弦の太さが昔の方が細かったり、時代によっては金属板がまだなかったり、ハンマーヘッドの素材が時代ごとに違ったり、ハンマーアクションの構造が昔に遡るほどシンプルだったり……。
そしてヴァイオリン属の弦楽器も現代と昔では相違点だらけです。まず弦が現代のものは金属やナイロンのものが一般的ですが、そのスタイルになる以前は羊や牛といった家畜の腸から作られたガット弦が用いられていました。そして弓の木の棒の部分は、アーチが内側に反った今日の一般的なスタイルが1790年頃に確立される前は外側に反っていました。弓の頭の部分も時代ごとに様々な形状が見られ、弓の持ち方にも多様性がありました。
左:現代では当たり前となっているチェロのエンドピン(写真提供:島根朋史)
現代では当たり前に用いられるチェロのエンドピンの歴史は、ベルギーのセルヴェ(Adrien-François Servais、1807~1866)が1860年頃に彼の大型のストラディヴァリウスを容易に脚で支えるためにエンドピンを付けたことが由来の一つとして語られています。しかし、ブラームスの友人たちピアッティ(Carlo Alfredo Piatti、1822~1901)やハウスマン(Robert Hausmann、1852~1909)など当時の名のある演奏家たちは生涯エンドピンを使わなかったそうで、20世紀初頭まではエンドピンを用いないチェリストのほうが多かったようです。
またヴァイオリンの顎当ては19世紀前半にシュポア(Louis Spohr、1784~1859)が考案し、今日使われるような肩当ても第二次世界大戦前に発明されました。
丸山韶さん、島根朋史さんに弦楽器の古楽器について直撃!
さて、やはり演奏している本人たちにしかわからないことがあると思うので、上記の情報を含めて僕に弦楽器のことをいつも真剣に教えてくださる丸山くんと島根くんに質問してみました!
Q1. ガット弦でなければ表現できないことってありますか? また、違いがあれば教えてください。
丸山 とても難しいことだけれど、モダンの弦よりも多様な感情表現が可能で、特に、時間が止まったかのような音、痛みを感じるような「抵抗感」のある音、揺らぎながら艶やかに流れる「色気」のある音など、表現の幅が広いと思います。「声色」を使い分けることができ、表情が多彩になります。ガット弦は太さや質感が一本一本さまざまで、モダンの弦よりも音程を取るのは難しいです。曲の途中で弦が狂わない事はほぼなく、どの弦がどのように狂っているのか注意を払いながら押さえる位置も変えていく必要があります。当然、狂えば開放弦を使用することもできなくなってしまいます。
島根 自然に音が膨らんでいく「メッサ・ディ・ヴォーチェ」と、自然な音の減衰。それからヴィブラート無しで表情のあるさまざまな音色を作れること。現代の金属弦やナイロン弦での演奏は、インクによって半恒久的に字が書けるペンのような感じであるのに対して、ガット弦だと、硯に墨を溶かして筆で文字を書くような繊細さと難しさ、そして表現への無限の自由度があると思います。
Q2. 弓の形はどうして変わっていったのでしょうか?
丸山 弓の頭が大きくなることで弓先でもしっかりした音が出しやすくなります。弦から弓を離さず槌で打つような奏法のマルテレや、逆反りにしたことで生まれる弓のバネを利用したスピッカート(弓の中央部を弦の上ではねさせて連続した音を出しスタッカートのように聴こえる奏法)が楽曲の中で頻繁に求められるようになる時代の流れで、現代のスタイルの弓が流行し、主流になっていきました。
島根 18世紀後半に、求められる音楽がロングフレーズのものが増えていったり、長いスラーが流行したりしたのが要因のひとつでしょう。先の尖った狩猟用弓と同じ反りのバロックスタイルの弓は、弓元から弓先にかけて自然に音が減衰するような特徴があるけれど、古典スタイル以降の弓は逆反りで、音をレガートに保ちやすいです。
Q3. エンドピンを用いない利点はなんでしょう?
島根 脚で楽器を上げ下げしたり楽器の角度を変えたりして演奏できるので、昔のチェロ奏法の文献からも伝えられる「高音域を演奏する時は脚で楽器の位置を少し上げて、身体に近づけて弾く」という奏法ができます。これはモダンのチェロでは行なわれず、「忘れられた」奏法です。またエンドピンが無いと音が比較的明るく、通りやすい音になります。一方エンドピンがあると床を鳴らすことで低音の重厚感は増幅できます。音量というよりもエンドピンの有無は音色に大きく影響するものだと思います。
チェロの古楽演奏のレジェンド、アンナー・ビルスマ(1934~2019)によるJ.S.バッハ
なるほど……弦楽器の世界も本当に奥深いです。そして表現できることの多彩さ、自然さというのがやはり印象深い内容で、それはフォルテピアノの特色としても共感できます。ところで僕は古楽器にたくさん触れてきたせいか、日常の食生活でもオーガニックなものに興味を持つようになったり、外食先で米に選択肢がある場合は玄米とか雑穀米を注文するようになりました(笑)。食事も音楽もいろいろ興味の幅が増えると楽しいと感じています。
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