友愛、夫婦愛、そして神への愛。ベートーヴェン唯一のオペラ《フィデリオ》
日本の年末の風物詩《第九》は大変な人気作ですが、この《第九》が持つ「自由・博愛」の主題を持つオペラをベートーヴェンは書いています。不当に囚われた夫を、男装の妻が助け出す救済オペラ《フィデリオ》が爽やかな5月の東京に登場します!
学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...
まだ若い夫婦。ある日突然、夫が逮捕される。政治犯としての逮捕だが、理由ははっきりせず、証拠も不十分。それなのに拘束は長引き、妻であるあなたにもまったく接見が許されない。そんなとき、あなただったらどうするだろうか?
ベートーヴェンが書いた、たった1つのオペラ
楽聖、と呼ばれるベートーヴェン。交響曲などで有名だが、じつは1曲だけオペラを書いている。それが《フィデリオ》。
舞台は18世紀スペインのセビリャ郊外にある刑務所。主人公のフロレスタンは、権力者の不正を暴いたために不法に投獄され、2年経った現在では、彼がどこにいるのかも、その生死さえもわからなくなっている。妻レオノーレは夫を救うために男装してフィデリオと名乗り、彼が囚われていると目星をつけた牢獄に看守の下働きとして潜入し、夫を救い出すチャンスを待つのだった……
苦難の末に正義が勝つという内容と、妻による夫の救済という理想の夫婦愛が描かれた《フィデリオ》は、自らの理念を音楽で表現しようとするベートーヴェンにぴったりの題材だった。日本では知らない人がいないくらい有名な交響曲第9番〈合唱付き〉は、第1楽章から第3楽章までの紆余曲折の末に、第4楽章で登場する合唱が〈歓喜の歌〉を歌いカタルシスが訪れる。そこで歌われている友愛、夫婦の愛、そして神への愛は、この《フィデリオ》のテーマでもある。
《フィデリオ》は、オーケストラの充実、理想を謳う高揚感、そして一流の技量をもった歌手を必要とすることなどから、特別な機会に演奏されることが多い。日本でも1963年に日生劇場が開場したときにベルリン・ドイツ・オペラの来日公演で《フィデリオ》が上演されているほか、名演が多いオペラである。
1つのオペラに序曲を4つも書いたベートーヴェン
1805年の初演時から数えて、ベートーヴェンはこのオペラに4つの序曲を書いた。3曲目までは《レオノーレ》序曲と題されている。このうち1806年に作曲された《レオノーレ》序曲第3番は、主題、展開部、再現部をもつソナタ形式で書かれており約14分という長大なもの。音楽的に充実した名曲として、コンサート等で取りあげられることが多い。一方、オペラとしての《フィデリオ》の上演には、1814年に改訂された、このオペラの最終版のために書かれた序曲が使用されるのが通常である。
フィデリオの聴きどころ
1.レオノーレ序曲第3番
2.レオノーレの第1幕のアリア「おぞましい男!」
〈夫を救おうとするレオノーレの愛と勇気が溢れる名曲。〉
3.第2幕フィナーレ「万歳 この日に万歳!」
〈オペラの大団円を飾る合唱曲。第九の合唱のようなカタルシスがある曲。〉
2つの《フィデリオ》演奏会形式と最先端の演出
この5月には東京で、2つのエキサイティングな企画で《フィデリオ》を聴くことができる。
チョンの音楽に期待! 演奏会形式の《フィデリオ》
1つ目は東京フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会で、シリーズのオープニングを飾る演奏会形式の《フィデリオ》だ。演奏会形式のオペラは舞台がない分、演奏に集中できるので、オーケストラ・コンサート好きの人には最適だ。しかもベートーヴェンのオペラならなおさらである。
このコンサートの凄いところは超一流の指揮者と歌手陣。東京フィルハーモニーの名誉音楽監督であり、世界のトップ指揮者の一人であるチョン・ミョンフンがタクトをとる。チョンは今年、東京のすぐ後に、ミラノ・スカラ座でも《フィデリオ》を指揮する。シンフォニーとオペラの両方で活躍するチョンならではのベートーヴェンの解釈が楽しみだ。(東京フィルのWebサイトによるとチョンは通常の《フィデリオ》序曲の代わりに《レオノーレ》第3番を演奏する予定だという。)
キャストでは大注目がフロレスタンのペーター・ザイフェルト。若いときから日本でも有名だったが、近年も活躍は続いており、今年はウィーン国立歌劇場で同オペラを歌っているし、昨年のザルツブルクでのティーレマン指揮《ワルキューレ》(ブルーレイ他で発売中)におけるジークムント役も輝かしい声で素晴らしかった。その他の役にもヨーロッパで第一線で活躍する歌手たちが出演する。
©ヴィヴァーチェ
©Winfried Hosl
曲目:ベートーヴェン 歌劇《フィデリオ》 (ドイツ語上演・字幕付・全2幕・演奏会形式)
指揮:チョン・ミョンフン(東京フィル名誉音楽監督)
フロレスタン (テノール):ペーター・ザイフェルト
レオノーレ (ソプラノ):マヌエラ・ウール
ドン・フェルナンド(バリトン):小森輝彦
合唱:東京オペラシンガーズ
お話:篠井英介
日時・会場:
5月6日(日)15:00開演(終演予定17:30) Bunkamuraオーチャードホール
5月8日(火)19:00開演(終演予定21:30) サントリーホール
5月10日(木)19:00開演(終演予定21:30) 東京オペラシティ コンサートホール
チケット:
SS席:15,000円
S席:10,000円
A席:8,500円
B席:7,000円
C席:5,500円
カタリーナ・ワーグナーが演出する《フィデリオ》の革新性に期待!
こけら落としから20周年を迎えた新国立劇場では今シーズン、記念特別公演が続いている。その1つが《フィデリオ》だ。同劇場での上演は2006年以来の12年ぶりとなる。今シーズンで任期が終了する芸術監督の飯守泰次郎が指揮。ワーグナーのスペシャリストであり、ドイツ音楽に造詣が深い飯守のベートーヴェンは2013年の日生劇場《フィデリオ》公演でも実証済みである。
そして、この公演で何より注目されているのがカタリーナ・ワーグナーによる新演出だ。カタリーナはリヒャルト・ワーグナーの曽孫にあたり、現在はバイロイト音楽祭の総監督を務めている。彼女はベルリンで演劇を学び、オペラ演出家として活動してきた。《ローエングリン》《ニュルンベルクのマイスタージンガー》《トリスタンとイゾルデ》などのワーグナー作品だけではなく、プッチーニ《蝶々夫人》《三部作》などの演出も手がけており、その手法はドイツで主流の時代や内容の読み替えだが、《ローエングリン》における独裁政治への言及、《マイスタージンガー》における芸術の権威主義へのアンチテーゼ、《トリスタンとイゾルデ》における死への希求の表現など、音楽と言葉を深く読みこんだ上での、独特な発想の転換が面白い演出家だ。
円熟期に入った彼女が、《フィデリオ》のニュー・プロダクションを新国立劇場のために作るのは実にエキサイティングなことだ。キャストも、新国立劇場への出演が多く人気が高いステファン・グールドとリカルダ・メルベートをフロレスタンとレオノーラに迎えるほか、外国からの歌手と日本人歌手が半々なのも楽しみである。
演奏する人、歌う人、そして舞台を演出する人によって、さまざまな解釈を可能にするのは一流のオペラの懐の深さだ。ベートーヴェンが書いた《フィデリオ》から何を見つけられるかは、この春の大きな楽しみなのである。
©Enrico Nawrath
©武藤章
指揮:飯守泰次郎
演出:カタリーナ・ワーグナー
出演:
ドン・フェルナンド(バリトン):ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
フロレスタン (テノール):ステファン・グールド
レオノーレ (ソプラノ):リカルダ・メルベート
東京交響楽団 、新国立劇場合唱団
公演日:2018年5月20日(日) ~ 2018年6月2日(土)
会場:新国立劇場 オペラパレス
チケット:
S席:27,000円
A席:21,600円
B席:15,120円
C席:8,640円
D席:5,400円
Z席:1,620円(舞台が見えない音のみの席)
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