デビュー12周年に振り返る 音楽の道を本気で進み始めた12歳のころ
人気実力ともに若手を代表するピアニストの一人、牛田智大さんが、さまざまな音楽作品とともに過ごす日々のなかで感じていることや考えていること、聴き手と共有したいと思っていることなどを、大切な思い出やエピソードとともに綴ります。
私にとって毎年3月の数週間には特別な、そして複雑な意味があります。多くの人々が運命の波に揺さぶられた、いまだ忘れることのできない13年前の3月11日。その1年後には私の音楽的なキャリアが始まりました。ここ数年、3月には東北をはじめ各地でソロ公演の機会をいただいていて、本番のたびに当時のことを思い出さずにはいられなくなります。
ラヴェル「ソナチネ」と大切な先生の教え
私事ながら3月は私のデビュー12周年だったので、それにちなんで昔の思い出を少し振り返ってみようかと思います。いま私はちょうどラヴェルの「ソナチネ」を勉強していて、この作品に初めて触れた12歳の終わりごろを思い出しているところです。
2012年7月、東京オペラシティでのデビュー公演を終えた私に故・中村紘子先生からメッセージがありました。「このままではあなたの成長は止まってしまう。あなたがこれからも音楽の道を本気で進むつもりなら、新しいステージに進むつもりなら、もっとしっかり基礎を学んだほうがいい」ーーそして、中村先生がとても信頼されていたキム・デジン(Dae-jin Kim)先生をご紹介いただき、韓国芸術総合学校に定期的に足を運んで学び始めることになりました。
キム先生との学びの日々は、私の経済的な(日本とソウルを毎週往復するという)事情や日韓関係の複雑な問題、そしてなにより当時の私に先生の言葉を受け入れられる素地ができていなかったことも相まって半年ほどで区切りがつくことになりました。しかし改めて考えてみるとあの期間は本当に特別なもので、事実いまの私の音楽的な志向は当時のキム先生に近づいてきたと感じています。最初のレッスンで言われたのは「きみは音楽家として必要なこと、この年齢ならばすでにマスターしていなければならないことを学んでいない。商業的にはいいかもしれないが、それは音楽家ではない」ということ。実際先生の教えはなにか高度な内容というよりまさにあらゆる意味で基礎的なことで、ときに強く厳しい言葉を使いながらも私に正面から向き合ってくださったことにいまでは心から感謝しています。
なかでもよく思い出すのはレパートリーの選択について話したことです。当時の私は、基本的にどこの公演でも5~10分のいわゆる「有名な小品」を中心にプログラムを組んでいました。音楽性もテクニックも充分でない状態のなか大きなレパートリーはこなせないと感じていて、充分なレベルに達しないことを恐れたのです。しかし先生は、音楽家として成長するためにはもっとプロフェッショナルな作品を学ばなければならず、それを妨げる要因になりうるなら演奏会の仕事は制限したほうがいいという考えでした。いまになって考えればそれは当然のような話なのですが、当時の私にはそれもまた(仕事がなくなるように感じて)怖かったことを思い出します。
紆余曲折を経て、私は演奏会の時期を限定して設定することで毎年必ず数か月の「集中して勉強できる期間」を確保する、という現在のスタイルに辿り着きました。演奏会での「アウトプット」と、自分自身を成長させるための「インプット」を両立させるための、キム先生のアドバイスを多く取り入れることにしたのです。そしてラヴェルの「ソナチネ」は、私がデビュー後に初めて準備する2013年度のプログラムのためにキム先生が提案してくださった作品のひとつ。当時の私には技術的にハードルが高く、直前まで迷った末に本番には乗せませんでしたが、それから長い月日を経てこの作品に取り組むたび、ソウルや浜松でお会いした先生のことを思い出して目頭が熱くなります。もし先生のお許しがいただけたら、どこかでまたご挨拶できたらと願っています。
中村先生のご助言をいただき、その後私はロシアの先生たちのもとで学び始めることになりました。そしてそのはじめ(クラスの主任だった)ユーリ・スレサレフ先生のレッスンで、私はふたたび同じ言葉を受けとることになるのです――「きみは音楽をするうえで必要な知識と技術が足りていない。才能にいつまでも頼ることはできない。これから時間をかけて取り組まなければならない問題がたくさんあるよ」。
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