読みもの
2024.05.05
牛田智大「音の記憶を訪う」 #4

ピアニストにとっての調律師の存在。そしてシューベルトの音楽と「感情」について

人気実力ともに若手を代表するピアニストの一人、牛田智大さんが、さまざまな音楽作品とともに過ごす日々のなかで感じていることや考えていること、聴き手と共有したいと思っていることなどを、大切な思い出やエピソードとともに綴ります。

牛田智大
牛田智大

2018年第10回浜松国際ピアノコンクールにて第2位、併せてワルシャワ市長賞、聴衆賞を受賞。2019年第29回出光音楽賞受賞。1999年福島県いわき市生まれ。6歳まで...

撮影:ヒダキトモコ

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

私にとって4月は、ワルシャワに戻って勉強する期間となりました。ここではすっかり春めいたあたたかな風が吹き(たまに気温が下がって5度くらいになりますが)、連日穏やかな青空を見上げてから楽譜に目を落とす日々が続いています。

牛田 智大 Tomoharu Ushida
2018年第10回浜松国際ピアノコンクールにて第2位、併せてワルシャワ市長賞、聴衆賞を受賞。2019年第29回出光音楽賞受賞。1999年福島県いわき市生まれ。6歳まで上海で育つ。
2012年、クラシックの日本人ピアニストとして最年少(12歳)で ユニバーサル ミュージックよりCDデビュー。これまでにベスト盤を含む計9枚のCDをリリース。2015年「愛の喜び」、2016年「展覧会の絵」、2019年「ショパン:バラード第1番、24の前奏曲」、最新CD「ショパン・リサイタル2022」は連続してレコード芸術特選盤に選ばれている。
シュテファン・ヴラダー指揮ウィーン室内管(2014年)、ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管(2015年/2018年)、小林研一郎指揮ハンガリー国立フィル(2016年)、ヤツェク・カスプシク指揮ワルシャワ国立フィル(2018年)各日本公演のソリストを務めたほか、全国各地での演奏会で活躍。その音楽性を高く評価され、2019年5月プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管モスクワ公演、8月にワルシャワ、10月にはブリュッセルでのリサイタルに招かれた。2024年1月には、トマーシュ・ブラウネル指揮プラハ交響楽団日本公演のソリストとして4公演に出演。
20歳を記念し2020年8月31日には東京・サントリーホールでリサイタルを行い、大成功を収めた。また2022年3月、デビュー10周年を迎えて開催した記念リサイタルは各地で好評を博すなど、人気実力ともに若手を代表するピアニストの一人として注目を集めている。
続きを読む

調律師との大切な出会いとMo.プレトニョフのお守り

いまワルシャワの自宅に調律師の方が来てくださっていて、隣の部屋から聞こえる調律の音に耳を傾けながらこの原稿を書いています。ピアニストでもある調律師の彼が、自宅に来てピアノを触ってすぐに私が感じている楽器の問題を察知してくれたので、安心して仕上がりを楽しみに待っているところです。

ピアニストにとって調律師の存在はとても大切なものです。もちろんスヴャトスラフ・リヒテルの有名な「悪いピアノは存在しない、悪いピアニストがいるだけだ」という言葉のとおり、ピアニストはどんなに癖の強いピアノでもそこそこ自分の音楽を実現できるだけの技術を備えていなければなりませんが、ただ公演数をこなすだけならともかく良い音楽を追求しようとするなら、ppの弱音を出すのにタッチやペダルを全力で駆使しなければならない楽器と少し指先のコントロールを変えるだけでよい楽器があれば、誰だって後者を望むというものです。それはもちろん楽器の個体差によるところもありますが、同時に調律のさまざまな技術によって左右されるところも大きいのではないかと思うのです(普段の保守点検なども含めて)。

10代のころ、私は初台にある東京オペラシティのピアノ庫を訪れる機会が何度かありました。そこにはホールが所有するピアノが保管されているのですが、ときどき公演を間近に控えた巨匠が持ち込んだ「専用の」ピアノが置いてあることがありました。見た目は我々がいつも弾いている典型的な楽器なのですが、弾いてみると完全にそのピアニストの音がするように、あるいはそのピアニストの音楽的な方向性がもっとも生きるように調整されているのです。ラフマニノフを弾くには厳しそうなもののシューベルトやドビュッシーを弾くにはまさに理想的な状態に調整されていました。名だたる巨匠たちが作り上げるハイレベルな次元の音楽は、こうして調律師との共同作業によって成り立っているのだ、とそのとき妙に納得したものです。

各地で出会う楽器にはさまざまな特徴があります。それぞれ美点と欠点があり、作品との相性があるわけですが、基本的にはピアニスト自身が、自らが望む方向に楽器を引き寄せていかなければなりません。しかしごくたまに、奇跡的に楽器に対する私の志向を調律師の方が共有してくださることがあり、そうすると演奏するうえでの大変な工程を大幅にスキップできます。そんなとき自分自身の音楽的なアイデアがアップデートされるような感覚を持つのです。私のこれまでの人生のなかでも、そんな出会いがいくつかありました。例えば、いま関東圏での私の公演を支えてくださっている調律師の方とのご縁は私にとってもっとも大切なもののひとつで、いくら感謝しても足りないほどです。

ほかにも例えば新しい楽器を納入したときからずっと同じ調律師の方がメンテナンスとほとんどの公演調律を担当し「楽器を育てている」事例もあります。納入されたばかりのときと比べ、調律師の方が長い時間をかけて楽器の方向性を変えてくださったことで(もちろん私のためというわけではなく)、いまではとても好きな楽器のひとつになりました。

調律の話で思い出すのはMo.ミハイル・プレトニョフと初めて共演した15歳の時のことです。とある地方のホールだったのですが、ピアノの音がとても華やかで、ppのコントロールにいくらか難がありました。ゲネプロが終わって開場まであと5分ほどという時刻になって、マエストロが「A4用紙を3枚持ってくるんだ。それを縦半分に切って、アクションの後ろに挟めばppはもっと出るようになる」と突然仰ったのです。そのときは確かにppが出しやすくなったような気がしたものです。いまでもピアノの扱いがどうしようもなく不安な時だけ、お守りのように使うことがあります。

ワルシャワ・ピウスツキ広場近くの黄昏時の景色

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ