「物」のように置かれた顔と楽器〜ポートレートが表す「ヴァニタス」
配信だけではもったいない! 演奏が素晴らしいのはもちろん、思わず飾っておきたくなるジャケットアートをもつCDを、白沢達生さんが紹介する連載。12cm×12cmの小さなジャケットを丹念にみていると、音楽の物語が始まります。
英文学専攻をへて青山学院大学大学院で西洋美術史を専攻(研究領域は「19世紀フランスにおける17世紀オランダ絵画の評価変遷」)。音楽雑誌編集をへて輸入販売に携わり、仏・...
いかにも意味ありげなポートレートの正体
演奏家の顔がわかる写真がCDジャケットを飾る例がクラシック音楽の場合にも多いのは、昔からのレコード産業全般の特徴と共通するところかもしれません。そこに単なるポートレートや演奏中のショットを使うのではなく、アルバムのテーマに関わる写真でメッセージ性を打ち出してゆくスタイルも、クラシックの音盤では古今を問わず珍しくありません。
ルーマニア語に近い言語が使われるバルカン半島の小国モルドヴァでソ連時代に生まれ、ロシア語話者も多い環境で育ちながら後年ドイツに拠点を移し、裸足でステージに上がり明らかにユニークなヴァイオリン芸術を繰り出す名手パトリツィア・コパチンスカヤも、アルバムごとに凝ったジャケット写真を打ち出し続けている一人。近作の『月に憑かれたピエロ』でも道化師の姿に扮して登場したりしていましたが、ここでは2019年に大きな話題を呼んだ『つかの間と、永遠と』(原題“Time and Eternity”)の場合を見てみましょう。
テーブルの上に首だけ出して表情を崩さないコパチンスカヤの顔は、モノクロームの写真だけに顔の白さが際立ち、どこか髑髏のようにも見えます。傍らにはヴァイオリン。裏側がこちらを向いていて、少し傾けてあるだけでなく、よく見ると裏板が割れて内面がむき出しになっています。中央付近まで割れているので、本来そこにあるはずの、弦から駒を経て表板に伝わる振動(音)を裏板側に渡す魂柱も見あたりません(余談ですが、魂柱はCD制作元の母語であるフランス語でも「魂 âme」と呼びます)。
ヴァイオリンと、人間の頭部。どちらも卓上に置かれた「物」のようで、並列に配置されていることからくる静かな印象も手伝ってか、どこか静物画めいた印象も与えます。そこから連想される(ことを制作者が企図しているであろうもの)は、おそらく動かない「物」を集めて画面を構成する、昔日の静物画――それも、とりわけ壊れかけの物や髑髏などを小道具に使うことも多い、ヴァニタス画と呼ばれる種類の絵ではないでしょうか。
リンクする17世紀と第二次世界大戦後の死生観
「万物は空虚〔ヴァニタス〕なり Vanitas uanitatum et omnia uanitas」とは、西洋で古くから言われてきたキリスト教的倫理観にもとづく標語。ヴァニタス画はその感覚から派生して、静物画が大きく発展した17世紀のオランダ語圏、あるいはフランスや英国など広く各地で、さまざまに描かれました。
髑髏もしばしばヴァニタス画に登場しますが、他の定番モチーフとしては消えてしまった蝋燭、人間の見栄をあらわす鏡、鮮やかな色を放っているのは束の間だと誰もが知っている切花や御馳走、知の集積が詰まっていながら埃をかぶっている分厚い書物などがあり、弦が切れてしまったリュートやヴァイオリンなどの楽器もよく使われます。
舞踏の伴奏などにも使われたポシェット(ヴァイオリンの一種)も描かれている
(蘭ミッデルブルフ・ゼーラント美術館所蔵)
ヴァニタスのモチーフは17世紀以降もたびたび取り上げられた。
『つかの間と、永遠と』と題されたこのアルバムは、死と隣り合わせの生を見つめる選曲になっていて、中世の教会祭壇画にインスピレーションを得たフランク・マルタンの作品。そして、第二次大戦前夜の暗い世情のなかK.A.ハルトマンが作曲した「葬送協奏曲」を軸にしたプログラムは、欧州人たちが見据え続けてきた死生観をそこかしこで感じ取れる内容。そのようなアルバムのジャケットに、壊れたヴァイオリンを使って古典的なヴァニタス画に通じるポートレートを配してみせたコパチンスカヤと制作陣のセンス。
レーベルはALPHA、20世紀末に創設された当初はユニークなトリミング絵画をあしらったジャケットの美で注目された個性派メゾン。ディレクターが変わってもなお、そうした総合演出の感覚はこのレーベルに息づいているのですね。
パトリツィア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)カメラータ・ベルン
ALPHA(フランス)2019年9月発売
ALPHA545(原盤)/NYCX-10086(日本語解説添付版)
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