ベートーヴェンとバッハ
年間を通してお送りする連載「週刊 ベートーヴェンと〇〇」。ONTOMOナビゲーターのみなさんが、さまざまなキーワードからベートーヴェン像に迫ります。
第〇〇回は、ベートーヴェンとバッハの関係に着目! 幼いころからバッハの音楽を勉強していたベートーヴェン。その影響は、どのような作品に表れているのでしょうか?
1993年生まれ、東京都出身。2022年、第1回ひろしま国際指揮者コンクール(旧:次世代指揮者コンクール)優勝。パリ地方音楽院ピアノ科、ミュンヘン国立音楽演劇大学古楽...
ベートーヴェンが生まれたのは1770年。バッハが1750年にこの世を去って、すでに20年が経っていました。今と同じように、当時も20年経てば音楽のトレンドは変わります。ベートーヴェンが生まれた時代は、神や身分が高い人のための音楽から民衆のための音楽へと変わる、ちょうど過渡期でした。バッハの音楽は、すでに時代遅れだったともいえます。
ベートーヴェン、バッハの音楽を学ぶ
ベートーヴェンがバッハの音楽に出会ったのは1782年。12歳からボンで習っていたネーフェ先生のレッスンで、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》を課題として勉強したのが最初でした。しかし、バッハの《平均律クラヴィーア曲集》が初めて出版されたのは1801年……どうやって未出版の曲を知ることができたのでしょう。
ネーフェは、学生時代をライプツィヒで過ごしました。バッハが長年、音楽監督(カントル)を務めたトーマス教会がある地です。ライプツィヒでバッハの音楽を身近に知ることができる環境にいたネーフェは《平均律クラヴィーア曲集》の手稿を写譜し、さらにそれをベートーヴェンが写譜したとされています。こうしてネーフェにより、ベートーヴェンの音楽の土台にバッハが植え込まれたのです。
リヒノフスキー侯爵やスヴィーテン男爵のようなバッハ好きのパトロンの影響もあり、ベートーヴェンのバッハへの興味は尽きませんでした。蔵書には、バッハの《フーガの技法》、1801年出版の《平均律クラヴィーア曲集》や《インベンションとシンフォニア》等の楽譜、そして自分で写譜したバッハの作品もありました。
ベートーヴェンが学んだバッハ・プレイリスト
ベートーヴェンの作品に見るバッハの影
ベートーヴェンのバッハに対する想いは、さまざまな作品に現れています。
例えば、バッハの《ヨハネ受難曲》内、イエスが十字架上で最後に残したとされる言葉の一つ「すべては成し遂げられた」を語る場面で演奏されるメロディを、自身のピアノ・ソナタ第31番に引用しています。ちょうどその部分に「Arioso dolente(嘆きの歌)」と書いているのも、ベートーヴェンの思い入れが感じられます。
また、ベートーヴェンは晩年にかけて、バッハが熱を入れていたフーガを積極的に書くようになりましたが、その際にバッハが書いた多くのフーガを研究し、参考にしたと思われます。
さて、少し時代を戻しましょう。1796年、26歳のベートーヴェンはベルリンへの演奏旅行の途中でライプツィヒに立ち寄ったとされています。ここでベートーヴェンがトーマス教会を訪ねたかどうかはわかりませんが、きっとこの地に足を止めた際に、きっと12歳から親しんだバッハを想ったのではないでしょうか。
こうして過去の作曲家や音楽に向けられたベートーヴェンの想いは、今私たちが生誕250歳を迎えたベートーヴェンに抱いている想いときっと変わらないことでしょう。
バッハの影響を聴くプレイリスト
ベートーヴェン:創作主題による15の変奏曲とフーガ 作品35〜フーガ
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第9番 作品59-3〜第4楽章
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 作品106《ハンマークラヴィーア》〜第4楽章
ベートーヴェン:《ミサ・ソレムニス》作品123〜第2曲グローリアより
ベートーヴェン:交響曲第9番 作品125〜第4楽章より
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 作品130〜「大フーガ」
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