祝祭感に満ちたJ.S.バッハ《ブランデンブルク協奏曲》全曲演奏会で鮮やかな新年を!
いまクラシック音楽の世界でもっとも面白い潮流のひとつが、古楽である。2022年の年明けには、内外で活躍を続ける第一線の演奏家たちが集結して、《ブランデンブルク協奏曲》全曲演奏会がおこなわれる。その主要メンバーの3人――平崎真弓(ヴァイオリン)、菅きよみ(フラウト・トラヴェルソ)、西山まりえ(チェンバロ)――に、古楽全体から見たJ.S.バッハについて語っていただいた。
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
カメレオンのようにカラフル
――今回《ブランデンブルク協奏曲》をきっかけに集まるお三方ですが、バッハというのは、どういうイメージの作曲家として受け止めていますか?
平崎さんは、「スコルダトゥーラ(変則調弦)の技法」という多様なヴァイオリン作品集のアルバムを出されています。CDのジャケットにはカメレオンの写真があって、色彩をカラフルに変化させていくユニークなバロック音楽のあり方をイメージされていますよね。
平崎 バッハもある意味、カメレオンの一つだと思います。
今回の《ブランデンブルク協奏曲》の6曲の一つひとつをとっても、バッハがどの楽器を、どういうコーディネーションで、それらの音色や特徴を最大限に生かす組み合わせや編成で巧みに、料理でいうなら「調理」したか、ということを感じます。
自筆総譜を見ると、各曲のタイトルのところに、オーケストレーションが細かく明記されています。たとえば、ただ単に一括して「バッソ・コンティヌオ」(通奏低音)と書くのではなくて、《第2番》だったらヴィオロンチェロ(チェロの正式名称)とチェンバロ、そしてヴィオローネ(大型の低音弦楽器)、というようにどんな楽器を使いたかったか、通常よりも具体的な指示があります。
バッハの初期から中期、後期の作曲のスタイルの変遷を見ても、いろいろな国や世代の音楽家からも影響を受けて、いろいろなものが万華鏡のように見えていると思います。
2011年よりコンチェルト・ケルンのコンサートミストレスに抜粋され、バロックのレパートリーを始めとした多彩なプログラムで演奏活動を行っている。ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学古楽科バロックヴァイオリン教授。ドイツ・ケルン在住。
©Harald Hoffmann
揺れ動く人間の心に魅せられて
――菅さんは、ルネサンス・フルートのアンサンブルでも活躍されていますが、フルートの視点から見てバッハはどうでしょうか?
菅 ルネサンスでは旋律どうしの絡み合いが大事で、それがバッハにつながっていくというのは感じますね。
バッハは、フルートの曲はそれほど多くないので、いつもどちらかというと聴き手なんです。カンタータの中でも、フルートが登場するのはときどきなのですが、その使われ方が素晴らしいですよね。
桐朋学園大学古楽器科および同大学研究科を修了後、ブリュッセル王立音楽院を卒業。バロック・フルートを有田正広、バルトルド・クイケンらに師事。欧州各地で公演後、2007年に帰国し、現在はバッハ・コレギウム・ジャパン、リベラ・クラシカ、クラシカル・プレーヤーズ東京などのメンバーとして活躍。
――バッハ・コレギウム・ジャパンでも菅さんのソロを聴くことができますが、《マタイ受難曲》《ヨハネ受難曲》をはじめ、ここぞという重要な場面でフルートが出てきますよね。
菅 私もそれはいつも不思議に思うのです。リコーダーは神様の天からの声や摂理を表していて、その一方でフルートは人間のことや心、エロスや愛を表しているとも言われています。たとえば《マタイ受難曲》の〈Aus liebe〉(第2部のアリア〈愛ゆえに〉。イエスが十字架にかけられる直前に歌われる)でも、愛を歌うところだったから、あえてフルートを使ったのかなと思ったりしますね。
ちなみにフルートって、当時はリコーダー(縦笛)のことだったんですよね。それから、当時はリコーダーのことをフルート・ドルチェともいいます。
今のフルートのことは、ちゃんとフラウト・トラヴェルソ(=横のフルート)と言っていたんです。《ブランデンブルク協奏曲第5番》でも、バッハはただのフルートではなくて「トラヴェルソ」(横笛)と明示しています。
フラウト・トラヴェルソって音程もかなり不安定ですし、出る音とか出ない音の違いが割と激しい。そういう不安定さが人間や揺れ動く心、愛を表してるのかなと思います。でも、リコーダーはかなり安定した、透明感のあるクリアな音で、あれはやっぱり天からの声かなという感じですね。
バッハ:《マタイ受難曲》第2部より〈愛ゆえに(Aus liebe)〉鈴木雅明指揮 バッハ・コレギウム・ジャパン
――音程の不安定な魅力という意味では、ヴァイオリンも、完全にぴったり音程が合っているのではなく、音程が微妙に揺れているとか少しだけピッチがずり下がるとか、そういう意図的な表現に魅力がありますよね。
平崎 不安定さの魅力……ヴァイオリンも人間の心の声を表現するために発展してきた楽器ですからね。バッハもフルートとヴァイオリンをユニゾンにすることがよくあるのですが、そのミックスのさせ方は本当に難しい。技術だけではなく、たとえばオーボエと、リコーダーと、トラヴェルソと、一緒に弾く。そういうとき、合わせていても、音色の作り方が本当に繊細だなと思います。そこからいつも学びますね。
時代の最先端を走る
――西山さんは、中世・ルネサンスからバロックまで何世紀ものさまざまなレパートリーをハープやチェンバロで演奏してこられて、バッハにはどういう印象がありますか。
西山 まだ音大でピアノ科だったころ、初めてチェンバロに携わったときに、バッハ以前の膨大なレパートリーがあるというのに驚いて、こういうのを知らないでバッハをやるってどうなのかなっていうところで勉強したいと思ったのが、始まりだったんです。実際にバッハが直接影響を受けたオルガン音楽の巨匠ブクステフーデはもちろんですが、もっと前のスヴェーリンクやフレスコバルディの鍵盤作品を見ていくと、バッハは昔の音楽を勉強しながらも最先端を目指し、同時にいろいろな楽器にも熟達していった人のように感じます。
私がバッハを演奏するときには、もちろんチェンバロということを意識しますが、オーケストラだったら、カンタータのアリアだったら、オルガンのソロだったら、というように、他の楽器のイメージで弾くことが多いです。
バッハはたまたま仕事していたところが教会だったわけで、バッハがライプツィヒに着く直前まではそこにオペラハウスがあったんです。もしまだそれが続いていたらバッハはオペラを書いたかもしれませんし、本当は当時のいろいろな音楽の頂点にいた人でもあるのだろうと思います。
東京音楽大学ピアノ科卒業、同大学研究科修了後、ミラノ市立音楽院、バーゼル・スコラ・カントールムに留学。チェンバロとヒストリカル・ハープの2種の古楽器を自在に操る稀有なプレーヤーとして、数多くのコンサートや録音に参加。
©Naoya Yamaguchi
――バッハというと後期バロックの、過去からのいろいろな流れを総合した人というイメージがありますが、今のお話をうかがうと、最先端でもあろうとしていたと……。
西山 そうですね。ライプツィヒ時代(1723~50、バッハの後半生の大部分)も、毎週ドレスデンに馬車を走らせて、イタリア人たちのオペラや楽団の演奏を聴きに行くとか、すごく好奇心をもって、新しい刺激を求め続けていたわけです。ドイツから一歩も外には出なかったにしても……。バッハは対位法の頂点ですけれど、それだけでなく、いろいろなことに挑戦しようとしていたと思います。
――バッハにとって鍵盤楽器というのは、オルガンにしてもチェンバロにしても、音楽的な思考のベースだったのかなと思うんです。いろいろな楽器やオーケストラを全部いったん鍵盤に翻訳しているというイメージがあるんですが。
西山 そうなんです。1台で完結できる、いろいろなオーケストレーションを全てここに取り込めるという。そういった意味で、バッハにとって音楽は鍵盤1台だけで成り立つ。だからこそ、オーケストレーションも面白い。《ブランデンブルク協奏曲》も、フィーチャーしている楽器が1曲ずつ全部違って、全員が大スターになれる。
バッハの色彩感あふれる《ブランデンブルク協奏曲》全曲を聴くチャンス!
――《ブランデンブルク協奏曲》って、まとめてライブで聴ける機会って滅多にないと思うんですけど、すごく貴重な機会というだけでなく、バッハの協奏曲やそれぞれの楽器に対する態度が明確に感じられるような、そういうチャンスですよね?
平崎 そうですね。今回私もメンバーの中でまだお会いしたことがない方も多いので、再会できる方も含めて、このバッハの曲と精神を前提としながら、私たちのディアログ(音楽上の対話)がどういうものになって出ていくのか、すごく楽しみですね。
菅 とにかくこの6曲全部を生で通して聴けるチャンスがあまりないので、1曲ごとの違いも含めて、ぜひ聴いていただきたいですね。私も特にこの3人で演奏するのが楽しみです。どんな音楽が出てくるか――。
西山 今年は《ブランデンブルク協奏曲》ができた1721年からちょうど300年の記念イヤーだったんです。こんなにいいコンチェルトが6曲、しかもそういう当時の珍しい楽器がずらっとサントリーホールの大ホールに並ぶ、視覚的にも貴重な機会です。300年前の素晴らしい宮廷の響き、ヨーロッパの香りを存分に味わっていただきたいですね。
バッハ:《ブランデンブルク協奏曲》全6曲 コンチェルト・ケルン
今回、お三方とリモートで話してみて、自分の楽器のことだけでなく、他の楽器のパートをとてもよく知っていて、それを愛しているということが、ひしひしと感じられた。
「ディアログ(音楽上の対話)」という言葉も何度も出てきたが、そうやって演奏者どうしがコミュニケーションする感覚がとても強い、それも古楽演奏家の特徴かもしれない。指揮者の統率のもと、全員が交響的空間を作り出すモダン・オーケストラと違い、ある意味、古楽アンサンブルでは全員が指揮者になれるのではないだろうか。
それにしても、ニューイヤーコンサートに《ブランデンブルク協奏曲》全6曲を、というのは素晴らしいアイディアである。華やかで、祝祭感もあって、バッハについて集中的な体験ができる親しみやすい曲たちだし、それぞれの曲で複数の主役がどんどん入れ替わるアンサンブルの形も、変化に富んでいる。2022年は「いい年にしたい」という気持ちが共有できそうである。
なお、《第1番》から《第6番》までの各曲についてのお三方との興味深いやりとりは、「音楽の友」本誌の12月号に掲載されているので、ぜひそちらもお読みいただければ幸いである。
林田直樹
日時:2022年1月19日(水)18時30分開演
会場:サントリーホール
プログラム:
J.S.バッハ/ブランデンブルク協奏曲
第1番 ヘ長調 BWV1046
第2番 ヘ長調 BWV1047
第3番 ト長調 BWV1048
第4番 ト長調 BWV1049
第5番 ニ長調 BWV1050
第6番 変ロ長調 BWV1051
出演:
平崎真弓(ソロ・ヴァイオリン/リーダー)
西山まりえ(チェンバロ)
菅きよみ(フラウト・トラヴェルソ)
福川伸陽(コルノ・ダ・カッチャ、ホルン)
藤田麻理絵(ホルン)
荒井豪/森綾香/小花恭佳(オーボエ)
宇治川朝政/伊藤麻子(リコーダー)
永谷陽子(ファゴット)
廣海史帆/小玉安奈/朝吹園子/髙岸卓人(ヴァイオリン、ヴィオラ)
丸山韶(ヴィオラ)
懸田貴嗣(チェロ)
エマニュエル・ジラール/島根朋史(チェロ、ヴィオラ・ダ・ガンバ)
角谷朋紀(ヴィオローネ)
料金:全席指定 S席7,000円 A席6,000円 B席5,000円 学生2,000円
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