フランスで話題のオペラ《シャルリー〜茶色の朝》――小さな「諦め」が招く世界とは?
自由を奪う管理・監視社会の不条理を描いた物語「茶色の朝」を原作とする、オペラ《シャルリー〜茶色の朝》が、10月30日・31日に神奈川県立音楽堂で上演される。自由はどこにあるのか? 閉塞感がオーバーラップする今、オペラ化を手がけた作曲家ブルーノ・ジネールに、パリと東京をつないでオンライン・インタビュー!
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...
フランスで200万部を越えるベストセラーとなり、全世界で読み継がれている小さな物語「茶色の朝」(フランク・パヴロフ作)は、子どもにも親しめると同時に、ファシズムや全体主義が何気ない日常の中でどうやって危険な広がりを見せていくかを洞察した警鐘の文学として、いまもなお必読の書である。
ある日突然、「茶色のペット以外は飼ってはいけない」という法律ができたら? そんな仮想社会における日常生活のひとコマから物語は始まる。主人公と友人のシャルリーは、当局の動きに対して肩をすくめながらも、日々の暮らしを楽しみ続けるうちに、いつの間にかどんどん追い詰められていく……。
それを1920年代の音楽様式でオペラ化した注目作《シャルリー〜茶色の朝》が、いよいよ神奈川県立音楽堂で日本初演される。その作曲家ブルーノ・ジネールにオンライン取材して話をうかがった。
「茶色の朝」から流れでる音楽をつかまえて
――オペラ《シャルリー》の記録映像を拝見しました。前衛的で親しみやすいポップなところもある音楽、含蓄に富む洒落た舞台は、ぜひ日本での実際の上演を観たいと思いました。
原作「茶色の朝」は、文学として非常に完成度の高いものです。それに対してジネールさんは、音楽によって何を加えようとしたのでしょうか?
ジネール 順を追って申し上げますと、まず偶然に本屋で「茶色の朝」を手に取って読み続けるにつれて、音楽がどんどん頭に流れてきたんです。それでオペラにしようと思った。短い文章なので、オペラにできるという直感がありました。テキストにはほとんど手を加えていません。そこで私が何を表現したかったかというと、とにかく親密なものに仕上げたかった。
――オペラ化にあたって、作者パヴロフとのコミュニケーションは?
ジネール 面識がなかったので、手紙を書きました。数週間後に返事が来ました。読書会や演劇などさまざまな話をいただいているが、オペラという話は初めてで驚いた、非常に興味があるという内容でした。
その後、直接彼とやりとりがありました。当初は会えなかったので電話が主でした。彼は「どうやってオペラでやるの?」と。そこで私は電話口で歌ってみせました。それでも不安そうでしたが(笑)。パリでの公演には来てくれましたけど、変な顔をしていました。伝統的なオペラだと思っていたようで、納得していない様子でした。その後、コンサート・バージョンを再度聴いてもらって、ようやく納得してくれました。
――では共同作業というよりは、ジネールさんの中で作ったんですね。
ジネール その通りです。この作品を、私は「ミニチュア・オペラ」(あるいは「ポケット・オペラ」)と呼んでいます。演奏をするアンサンブルKは、ソリストと5人の演奏家で構成されています。まずコンサート形式で作り、のちにオペラ・バージョンを作りました。両方ともうまくいきましたし、ソリストひとりが演技をしているという点では、さほど大きな構成の違いはありません。
――記録映像では、鍋を叩く音が入っていたのが印象的でした。
ジネール そのシーンは、二人の友人たちがテレビで1998年のサッカーW杯を見ている日常の表現でした。その後にジャズのパートがあるんですが、それはテレビから出てくる商業音楽の象徴でした。アンサンブルKはテレビを舞台に置く演出をするので、メディアから流れる音楽を想像させてくれるし、鍋の音も日常性の表現として理解しやすいと思いますよ。
――とてもわかりやすかったです。室内楽作品集のCDも拝聴しましたが、シンプルでフレッシュな驚きと遊び心があって、今の若い人たちにもフィットする、壁を作らない、偉そうに、小難しそうにしない、フレンドリーな音楽だと思いました。
ジネール ありがとう。おっしゃってくださったことは、まさに私がやりたいと思っていることなんです。とてもうれしい。
1960年南フランスのペルピニャン生まれ。フランス・トゥールーズ、スペイン・マドリッド等で学び、パリに移る。パリのコレージュ・ド・フランスでブーレーズのレッスンを定期的に受け、イヴォ・マレク、ルイス・デ・パブロ、ブライアン・ファニホウ等のもとで作曲、電子音響などの創作研究に携わる。フランス国内外で、アンサンブル・アンテルコンタンポランやアルディッティ・クァルテットなど多数のソリストや世界的現代音楽アンサンブルにより作品が演奏される。
©︎Jean-Pierre Bouchard
声(ソプラノ)、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、パーカッションで構成する室内楽と、文学、舞台芸術、造形芸術、ダンスなど他の形式の芸術表現の結合を、美学的な面と歴史的な面の両方からのアプローチで探求するアンサンブル。2008年「退廃芸術」をめぐるプロジェクトを中心に誕生し、全体主義、特にナチズムによって迫害された作曲家によるあまり知られていない作品を復活させてきた。20世紀の音楽の研究と創造に関わる学際的なプロジェクトにも携わる。
1920年代ヨーロッパの気配を感じながら
――その一方で、《シャルリー》の音楽は、物語に寄せているという意味で、少し違うと思いました。もちろん親しみやすいんですが。何というか……1920年代、30年代っぽさを感じたんです。それはヨーロッパでファシズムの傾向が強まった、あの時代の雰囲気を反映しているのでは?
ジネール その通りです。ヒンデミット、ミヨー、アイスラー、ヴァイルらが活躍した1920年代、ドイツのバーデン=バーデンで現代音楽祭があり、オペラも上演されていました。《シャルリー》はそれを意識しています。アイスラーやブレヒト的な要素が反映されるのは必然でした。
――当時の文化状況や音楽の特質をどうとらえていらっしゃいますか?
ジネール 真っ先に思い浮かぶのは「自由」という言葉です。1918年にドイツ帝国が崩壊し、すべてにおいてパッと視界が広がったようになり、モダンな要素が一気に入ってきた。コマーシャル、ダダイズム、ジャズ……すべてがそうです。大きな新しい動きがグワッと入り込み、次第にそれが閉じていく。そういう流れだったと思います。
こんにち、我々の時代も自由です。新しいスタイルとさまざまな様式の混合に満ちています。1960年代から70年代にかけては、堅苦しい現代音楽の時代でしたが、それはもう終わりました。正直ホッとしていますよ。
――神奈川県立音楽堂での公演では室内楽コンサートが第1部にあります。パウル・デッサウ(1894-1979)やクルト・ヴァイル(1900-50)、アルヴィン・シュルホフ(1894-1942)の曲が演奏され、1920年代ヨーロッパの音楽を意識し、それから《シャルリー》が上演されるということですね?
ジネール その通りです。
――その第1部では、ジネールさんの作曲による《パウル・デッサウの“ゲルニカ”のためのパラフレーズ》が入っています。現代ではデッサウの曲はあまり演奏されているとは言えませんが、それをご自身の作品の中で取り上げた理由は?
ジネール あの時代に興味を持つなら、やはりデッサウは避けては通れません。1939年に彼は亡命してアメリカに渡ることになりますが、その前にパリにいたときに「ゲルニカ」に接して強い衝撃を受け、その日のうちに《ゲルニカ〜ピカソに捧げる》という短い曲を書いたのです。それに感銘を受けて私も《パラフレーズ》を作曲したのです。
――デッサウにとって「ゲルニカ」がどんなにショックを与えたかが、音楽によって追体験できそうですね。ところで、デッサウが関わっていたブレヒトの演劇との関係は《シャルリー》にはありますか?
ジネール 確かにデッサウはヴァイルやアイスラーと同じようにブレヒトに近い人でした。今回のオペラでは、物語の中心にあえて女性を据えたところはブレヒトの演劇でいうところの「異化効果」(劇中の出来事を客観的・批判的に観ることができるようにする方法)と言えるでしょうし、スローガンを叫ぶようなシーンも、しいて言うならブレヒト的かもしれません。
自由になるために
――原作と違って女性が主役になっている理由は? 「茶色の朝」という原作なのに、なぜオペラの題を《シャルリー》にしたのでしょうか?
ジネール 契約的なことをいうと、女性ソリストというコンセプトは最初から決まっていました。そういう実際的な側面もあります。やろうと思えば男性ソリストも加えられたのですが、そういう条件があったので、かえって異化効果を出せるのではないかと思ったのです。一種の距離感が出てくる面白さがある。ソリストは登場人物として歌ったり、ナレーションをしたり、何役もできる……それで女性のほうがいいと思いました。
題を《シャルリー》にした理由は、まずは「茶色の朝」の知名度に便乗したと思われたくなかったし、オペラは私の作品だったので。そもそもシャルリーは登場しない人物なのです。この物語が語られ始めたときは主人公の友人シャルリーはすでに警察につかまっていた。存在していながら存在していない人物なのです。
――原作のメッセージは明確で、世界中で起きていることだと思うんです。いつの間にか進んでいく独裁的傾向、個人の自由に対する管理・監視の強化という問題です。それをどう変えていくのかは大きな問題ですが、このオペラもそれを意識されていますね。ジネールさんはどうしたらこの状況を変えられると思われますか。
ジネール 残念ながらオペラの上演だけでは世界の問題を解決はできるとは思いませんが(笑)、我々一人ひとりの小さな諦め、「ま、いいか」が積み重なっていくことが、いつの間にかやってくる恐ろしい事態を招いてしまう。街中どこにでもある諦め――その結果として、抵抗するにはあまりにも遅すぎたということになってしまう。「諦め」が一番の問題ではないでしょうか。
今の状況ですか? 楽観的に考えたとして、芸術や文化にはまだ自由が残されているかもしれないですがね。
ジネールは、音楽も人柄も気さくで、自由な精神を感じさせる、親しみやすい人だった。
作曲家としてのみならず20世紀音楽の研究者としても旺盛な活動を続けていて、ナチスの強制収容所やスペイン内戦における音楽状況や亡命音楽家たちの群像についての著書、さらにはエリック・サティ、クルト・ヴァイル、エドガー・ヴァレーズについての伝記も書いているという。
戦後フランス最大の作曲家・指揮者ピエール・ブーレーズ(1925‐2016)のクラスで学んだジネールだが、「音楽的な父親はブーレーズなのですか?」と尋ねると、「いいえ。音楽的にはまったくというか、嫌いではないけれど……。確かにブーレーズの教養は並はずれたものでしたし、皆さんが思っているようなイメージ以上に自由を求めてきた人です。彼の音楽への献身と深い教養は、音楽家のモデルとして影響を受けたかもしれません。ただ音楽は好きじゃない」との答えだった。
むしろヤニス・クセナキス(1922‐2001 ギリシャ系フランス人の建築家・作曲家)の音楽に衝撃を受けたとのことで、コンサートを聴きに来てくれたクセナキスから「作曲家として続けていくように」との力強い励ましをもらったエピソードを教えてくれた。
そのほかにも1920年代のドイツの音楽や、イタリア・バロック初期の作曲家クラウディオ・モンテヴェルディ(1567‐1643)、そして日本の音楽からも影響を受けているそうだ。
ジネールの2枚組CD「室内楽作品集」(Bruno Giner「Musique de chambre」)の中に《K》という曲があるが、これはカフカの「K」であると同時に、リコーダーを吹くときの口の中で発する「クッ」という音であり、カフカの小説「城」の登場人物「K」のことでもあるという。一緒にいるようで失われて、また戻ってきて、また失われて、という流れが感じられて、遊びの精神に満ちた、とても楽しめる曲だった。
今回の《シャルリー〜茶色の朝》は、そうした知的で幅広いジネールの活動の集大成といえる上演となる。
林田直樹
日時:2021年10月30日(土)・31日(日)15時開演
会場:神奈川県立音楽堂
プログラム
〈第I部〉室内楽コンサート(演奏:アンサンブルK)
パウル・デッサウ:ゲルニカ~ピカソに捧げる
ブルーノ・ジネール:パウル・デッサウの‟ゲルニカ”のためのパラフレーズ(日本初演)
ベルトルト・ブレヒト/クルト・ヴァイル:『三文オペラ』より「メッキー・メッサ―の哀歌」「大砲ソング」
モーリス・マーグル/クルト・ヴァイル:「セーヌ哀歌」
ロジェ・フェルネ/ヴァイル:「ユーカリ」
アルヴィン・シュルホフ:「ヴァイオリンとチェロのための二重奏」より
(曲順不同)
〈第II部〉ブルーノ・ジネール作曲《シャルリー〜フランク・パヴロフの小説『茶色の朝』にもとづくポケット・オペラ》(日本初演/フランス語上演・字幕付)
〈第III部〉作曲家ブルーノ・ジネール(オンライン)を囲むクロストーク(日仏通訳付)
ゲスト・スピーカー:
やなぎみわ(美術作家・舞台演出家)10/30(土)
高橋哲哉(哲学者・東京大学名誉教授)10/31(日)
キャスト&スタッフ
作曲:ブルーノ・ジネール
原作:フランク・パヴロフ「茶色の朝」
演奏:アンサンブルK
アデール・カルリエ(ソプラノ)、エロディー・ハース(ヴァイオリン)、テレーズ・マイヤー(チェロ)、グザヴィエ・フェルタン(クラリネット)、セバスチャン・デュブール(ピアノ)、グレゴリー・マサット(パーカッション)
演出:クリスチャン・レッツ
照明・舞台監督:アントニー・オーベリクス
プロダクション:アンサンブルK/CCAMヴァンドゥーヴル・レ・ナンシー国立舞台センターの共同プロダクション
料金:全席指定 一般5,000円 U24(24歳以下)2,500円 高校生以下無料
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