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2021.07.16
日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.27

ネコと音楽で語られる未来の建築〜隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則​​

日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さんが、美術と音楽について思いを巡らし、“ラクガキ”に帰結する連載。第27回は、東京国立近代美術館で開催中の日本を代表する建築家・隈研吾の展覧会。「都市の未来はネコに学べ」「僕らの設計プロセスは作曲に似ている」と語る隈の考えから、ラクガキストが読み取ったものとは?

小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

隈研吾展会場風景

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国立競技場や根津美術館などの設計に参画したことで知られる建築家の隈研吾さんの、幾多の実績を顕彰する「隈研吾展」(東京国立近代美術館)のタイトルには、極めて興味深い言葉が連なっている。

「新しい公共性をつくるためのネコの5原則」

しかも、同展の図録の表紙を見ると、「ネコ」の文字の部分が黒猫の頭部を描いたユーモラスなイラストになっている。ネコに対する入れ込みようが半端ではないことがわかる。ネコのなにかを建築の思想に取り入れようという、隈さんの柔軟で破天荒な考え方が反映されているのだ。

以下は、会場の掲示および展覧会の図録の文章等からその原則の一部を筆者が読み解き、解釈を試みた内容であることをお断りしておく。

図録の表紙と同じく、会場入り口に掲示された展覧会名でも「ネコ」の文字はイラストで表現されている。

ネコに倣い「ハコ」から「孔」へ

ネコの5原則は、「孔」「粒子」「やわらかい」「斜め」「時間」という言葉で表されている。たとえば、ネコは孔を通ってさまざまな場所に出入りする。そこに着目すると、孔は2つの空間をつなぐ出入り口であることに気づかされる。

さらに、ネコから教わった孔の重要な働きの一つとして隈さんは、「さまざまなことを隠し、守ってくれるという働き」を挙げる。ネコは「孔の中に身を隠すことを大事にしている。コロナ後の人間もまた、ハコによって守られるのではなく、孔によって守られる時代をむかえるだろう」と図録の論考に記している。

ここで登場した「ハコ」という概念が、隈さんの考え方の中では特に重要だ。そもそも、多くの建築物は「ハコ」である。ところが、コロナ禍が人間にもたらしたのは、「ハコ」が必ずしも人間を幸福にしてくれる存在ではなかったということだ。狭い「ハコ」の中で密にしていることが、時に不幸を呼ぶこともあるからだ。

一方、ネコはえてして「ハコ」の中にはいたとしても長くは滞留せず、屋外をもそもそと歩き回る傾向を持つ。まるで、誰からも束縛を受けずに気の向くままに歩いているかのように見えるネコは、人間にとっての新たな行動の指針を提示しているのではないか。そう考えれば、「ハコ」たる建築のありようも変わってくるのではないか、というわけだ。

「ハコ」であることに疑問を投げかけるかのような隈建築の例。中国蘇州市 陽澄湖観光交通センター(2018年)の模型。

隈さんはただネコに着目しただけではなく、研究の仕方も独創的である。普通、建築家の仕事といえば、建物の設計図を引くことだろう。だが、隈さんが試みたのは、ネコが歩いた軌跡をたどることだった。

ネコが歩いた軌跡をCG映像で再現する試み。

猫は、あるときはぴょんと段差のあるところを飛び上がり、進んで狭い通路をくぐりぬけ、何食わぬ顔をして、のそのそと歩きまわる。その軌跡や歩く様子をCGで描き出すと、ネコがどういう視点で風景を見ながら移動しているかが見えてきた。「孔」の重要性はどうも、そんな思考と研究の中からあぶり出されてきたようなのである。

軌跡の立体模型と映像を隣接させた展示もあった。

モノは楽器、設計は作曲やジャムセッション

いきなりだが、ここで、ネコと音楽の重要なかかわりが見えてくる。隈さんは『アメリカ大都市の死と生』​​という著作で知られる米国のジャーナリスト、ジェイン・ジェイコブスの考え方を借りて、公共空間を音楽にたとえている。そして、「設計プロセスは作曲に似ている」という。

筆者は、かねてより音楽と建築の共通性をかぎ取っていた。どちらも構築物であるという視点だ。ところが、隈さんが考えていたのは、そんな浅はかなレベルのことではなかった。「公共空間を音楽にたとえたとき、モノは楽器であり、楽器が発するひとつの音、音符である」「僕らの設計プロセスは作曲に似ているし、作曲よりも、演奏、ジャムセッションにより近いかもしれない」というのである。

「遠くから眺めて形態をうんぬんするのではなく、すぐ目の前で発せられた音のことを考え、その場を支配するリズムに注意を払う」「音色がどんなに美しくても、それぞれがリズムにしっかりとのってこないと話にならない」とも言う。

南フランス、エクサンプロヴァンス市にあるダリウス・ミヨー音楽院(2013年)の建築模型の展示風景。

日曜ヴァイオリニストを自称する筆者はこの言葉を知って、目を見開かされた。演奏家は全体の設計を考えながらも、まずはその瞬間その瞬間をいかに充実させるかということを意識しながら楽器を弾き続けているものだと思う。目の前の風景は、演奏が進むにつれてどんどん変わっていく。建築空間を歩くときも、同じである。

歩く人が感じているのは目の前の風景が作る空気感だ。そこで、いかに心地いい音のようなものを感じるか、が重要なのだ。演奏家の音楽が、その場の空気を次々に作り出すように、建築もその場の空気を作り出す。

考えてみたら、ネコの話と同じではないか。箱から飛び出して歩き始めた猫は、自分の興味の赴くままに、心地よさを求めて歩きまわる。そして、いい建築はいい演奏と同じようにネコを満足させるのである。

ぜひ今度筆者は、ネコの気持ちになってヴァイオリンの演奏に臨んでみたいと思う。

新潟県長岡市のアオーレ長岡(2012年)建築模型より
Gyoemon作《ネコと建築と音楽の素敵な関係あるいは三つ巴》
素敵な音楽を追いかけるネコの身になれば、きっと素敵な建築ができる、という概念を表した意味不明の図(Gyoemonは筆者の雅号)。
展覧会情報
隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則​​

会期: 2021年6月18日〜9月26日

会場: 東京国立近代美術館

詳しくはこちら

小川敦生
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

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