
ショパンの生きた19世紀パリへの“魔法の旅”をつくる——映画『ショパン、ショパン!』美術監督に聞く創造哲学

ショパンのパリ時代を描いた映画『ショパン、ショパン!』(2025年ポーランド制作)が、ポーランド映画祭(2025年11月14日(金)〜20(木) YEBISU GARDEN CINEMA)で日本初公開された。本作は本国ポーランドで、ショパン国際ピアノコンクール期間中に公開され、大きな話題を呼んだ。
本作のみどころとなるのは、エリック・クルム演じる人間的なショパン像と、ショパンを取り巻いていた光、色、匂いをありありと感じさせてくれる映像美、そして忠実に再現された19世紀前半のパリの町並み、ブルジョワの人々の暮らしぶりといった映画美術の美しさだ。作曲家の生きた時代を精細に描いた本作は、ショパンをよく知っている人にも、そうでない人にも、ショパンについて新しいインスピレーションを与えてくれる映画である。
映画祭に合わせて来日した美術監督のカタジナ・ソバンスカさんとマルツェル・スワヴィンスキさんに、美術監督としてショパンの世界をどのように描こうとされたのかを伺った。
失われた19世紀パリを求めて
——公開後、「19世紀前半のパリを丁寧に再現し、当時の雰囲気がしっかりと立ち現れている」と絶賛の声が寄せられました。制作に向けてどのような準備をされましたか?
マルツェル・スワヴィンスキ まず、台本を読み込むこと。それから、この映画に関わるすべてのクリエイターが一同に会して話し合う時間があります。このとき、予算は度外視して我々はイメージを語り合います。どのような世界観を作るか、どのようなメタファーを使うのか、湧き上がるインスピレーションを共有し合います。私たちクリエイターにとって、とても幸福な時間です。
そういった話し合いを経て、最終的にミハウ・クフィェチンスキ監督から「わかった。それでは君たち美術監督はとにかく美しいものを作ってくれ」と言われて制作に入るのです。私たちの役割は、19世紀への魔法のような旅に観客を誘うこと。登場人物だけでなく、世界観そのものが一つの重要人物でもあるのです。

土曜の朝の上映にも関わらず、客席はショパンファンで満席に
カタジナ・ソバンスカ 19世紀を忠実に描くことは、この映画にとって必要不可欠です。その世界観がなければ、役者も観客も没入することができないからです。
具体的にロケーションを探す前に、きちんとした根拠を探す必要があります。例えば当時はまだ写真がなかったので、代わりに市街の様子や室内の様子を描いた絵を探しました。絵の中から建物や風景、小物やランプの明かりなど、ディテールを読み解きイメージしました。
それからふさわしいロケーションを探してパリやボルドーに出向きましたが、最も難しかったのは“本物を探す”ということでした。

右がカタジナ・ソバンスカさん、左がマルツェル・スワヴィンスキさん
スワヴィンスキ なるべく自然な環境で撮影ができること、そしてこれまであまり映画で撮られたことのない場所を探しました。しかし、物語の舞台であるパリは、ショパンの死後に街全体が大改造されているので、当時の面影を残す場所は非常に少なく、そのほとんどは失われてしまっています。
結局は新たに街を作ることになりました。パリよりも古い時代の建物が残っているボルドーの町並みを土台にセットを作り、当時のパリを再現しました。
ソバンスカ フランスの美術スタッフの協力を得られたことも、とても幸運でしたね。
花が好きだったショパン
——本作では、スターであるショパン、身勝手なショパン、幼稚なショパンなど、ショパンの人間らしい面が描かれています。“人間・ショパン”を美術から描くためにどのような準備をされましたか?
ソバンスカ ショパン自身について、彼について書かれた本、手紙、伝記など手に入る限りの資料を読み込みました。そうしたことで、ショパンだけでなく、19世紀の人々は現代人と変わらないぐらい生き生きとした生活を送っていたことが浮かび上がってきました。
また、新たな発見もありました。例えばショパンは花が好きだったということ。結核を患っていた彼は、治療の一環として蒸気を吸う機械を使っていました。そこに香りを加えていたのです。だから彼は匂いにとても敏感だったし、非常に好みがあったということがわかりました。

二人は一つの縄を共有するクライミングのペアのように、一心同体となって制作に取り組む
——作品の中で「花」がどのように登場しているかにも注目したいですね。音楽的な面についてはいかがでしょうか。
ソバンスカ 人間的な面と同時に、音楽に注力するショパンもバランスよく忠実に描くことを大切にしました。当初からポーランド国立フリデリク・ショパン研究所(NIFC)の協力を仰ぎながら制作を進めました。NIFCからはときどき「そういった迫り方は現代的すぎるのではないか」とお叱りを受けることもありましたが(笑)。
ショパンを演じたエリック・クルムさんは、NIFCから紹介された先生の指導のもと7ヶ月かけて練習し、実際にピアノを弾けるようになりました。また、昨年亡くなられたヤヌシュ・オレイニチャクさんからもアドバイスをいただきました。きっと天国から見守ってくださったと感じています。
スワヴィンスキ リストについては、描き方を工夫しています。二人は当時文化のメッカだったパリに集った芸術家として、ライバルだった側面もありましたが、政治的な事情で母国に帰ることができなかった移民同士という背景もあります。ですから生活、音楽、精神的に、お互いに助け合っていたことを描こうとしました。

リスト(左)を演じたのはフランス人俳優のヴィクトル・ミュテレット
若い人たちにショパンをエモーショナルに感じてほしい
——あらゆる下調べの成果を“映画”としてどのように表現されましたか?
ソバンスカ 美術監督として光と色にこだわりました。ショパンはその人生の中で頻繁に住居を変えていきます。パリに来たばかりの頃はそんなに豊かではなくて、上層階の狭い部屋。そこから次第に広くて明るい部屋へというように、ステイタスとともに家をグレードアップしていったのです。彼がたどった歴史を、室内の色彩感や壁紙の色や模様で表現しようとしました。
例えば、彼が死を迎えるヴァンドーム広場の部屋は、日当たりの良い部屋として描かれています。日の光が差し込む様子を作るのは難しい作業でしたが、うまく工夫することで再現できたと思っています。
また、私たちが映画のためにしたことは、ただ事実を知ることだけではありません。ショパンのこと、当時のことを知ったうえで、さまざまなイマジネーションを働かせました。
なぜ彼はコレラの中、パリに残ろうとしたのか、そして彼にとってパリの街並みはどのように見えていたのか。当時の人々の様子や口にしていたジョーク。ろうそくで灯される室内は、どのように人々の目に映っていたのか……。そういった想像を働かせながら試行錯誤を凝らしました。また音楽もたくさん聴きました。音楽からもインスピレーションを得て、それを膨らませていました。

右はジョゼフィーヌ・ド・ラ・ボーム演じるジョルジュ・サンド
スワヴィンスキ 私たちはより真実に迫りました。しかし、忘れてはいけないことは、それは映画という芸術のためであったということです。つまり、クフィェチンスキ監督によるイメージを新たに創造するという使命があるのです。
ですので、例えば当時のサロンの描写については、そのままを描こうとはしませんでした。サロン生活を送る彼らのセレブぶりを現代的に描こうと考えたのです。
また、私たちはこの作品を伝記映画のようにはしたくありませんでした。だから作中の音楽についても、ショパンの音楽に限らず、バッハの音楽もあれば、現代的なサウンドも使いました。そうすることで、エモーショナルな部分を描き、より現代的なアプローチへと昇華されたいと考えたのです。
ショパンのことならなんでも知っているという人よりも、若い人たちにこそこの作品を届けたいというのが、クフィェチンスキ監督の願いでもあり、本作のみどころとしてアピールしたいことなのです。

オスミツカ所長と映画祭主催のマーメイドフィルム代表取締役、村田信男氏と共にYEBISU GARDEN CINEMAにて
ショパンの魂に近づくために
——日本にはショパンを愛し、彼の曲を演奏したり熱心に聴いたりする人がたくさんいます。そしてショパンはどんな人間だったのか、何を考えていたかを想像することをとても好みます。現代の私たちがショパンに近づくためのヒントを教えてください。
ソバンスカ ショパンに関しては世界中の人たちがいろいろと書いていますね。私がおすすめしたいのは、ショパンと交流のあった人たちによる彼の描写にあたることです。例えばリストは初めてショパンの伝記を書いた人でしたし、ジョルジュ・サンド、ジェーン・スターリング、ジャン=ジャック・エーゲルディンゲルらによる手紙などの伝聞もあります。
そこにはショパンの生活に関する細かなエピソードが描かれているので、彼の人となりが伝わってくるのではないでしょうか。そしてショパン像をより豊かで面白いものにしてくれるのではないかと思います。
スワヴィンスキ 世の中にはショパンが悲劇的な人生だったとか、ずっと郷愁にかられていたといったイメージに支配されがちだと思います。しかし、私たちのように少しでも彼のことを知ろうしたら、実はそうではないということがわかるでしょう。
死への恐怖に怯えながらも、今を生きることを楽しもうとしていた。自分が愛することもあれば、愛されることもあった。情熱な側面もあれば悲観的な一面もあった。そういった大きな喜怒哀楽がなければ、これほどの芸術を生み出せはしないのです。精一杯に生きようとした彼の魂。それこそが彼の音楽の源であるということがわかってくるのだと思います。
※日本での今後の公開は未定
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