インタビュー
2025.07.05
10月15日(水)浜離宮朝日ホールでバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの音楽史をつなぐプログラム

ゴルトベルク変奏曲は「人生のレジュメ」~ピアニスト、エル=バシャが満を持して挑む

クラウディオ・アラウに将来を嘱望され、19歳でエリザベート王妃国際音楽コンクールに審査員満場一致で優勝という華麗な経歴をもつピアニスト、アブデル・ラーマン・エル=バシャ。日本でも気鋭演奏家との共演や多数の録音などでその活躍ぶりがつとに注目される氏が、この秋浜離宮朝日ホールで「ゴルトベルク変奏曲」を主としたリサイタルを開催します。「自分にとってその曲が大切な作品か否か」を大切にしてプログラミングするという氏に、今回の作曲家や作品についての独自の考えを伺いました。

取材・文
道下京子
取材・文
道下京子 音楽評論家

2019年夏、息子が10歳を過ぎたのを機に海外へ行くのを再開。 1969年東京都大田区に生まれ、自然豊かな広島県の世羅高原で育つ。子どもの頃、ひよこ(のちにニワトリ)...

撮影:武藤 章

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バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンという音楽史的つながりをプログラムに

――10月15日に浜離宮朝日ホールでリサイタルを開催されます。プログラムのコンセプトをお聞かせください。

エル=バシャ 私がプログラムを作る時に大切にしていることは、まず、自分にとってその曲が大切な作品か否かということです。そして、バランスとコントラストを心掛けてプログラムを構成し、それぞれの曲のつながりも意識しています。

今回は、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンというプログラムです。モーツァルトが歴史に名を残す音楽家となったのは、バッハがいたからこそ、そして、ベートーヴェンが偉大になったのは、モーツァルトやバッハがいたからであり、そのようなつながりも考えました。

また、このプログラムでは、ト長調~ハ短調~ハ長調という調の流れを意識しました。

モーツァルトには、軽やかで楽しいイメージの作品が多いですが、「ピアノ・ソナタ第14番 K.457」はとてもドラマティックな音楽です。

その一方で、ベートーヴェンの作品はドラマティックと評されていますが、今回は、生きる喜びに満ちあふれた「ピアノ・ソナタ 第21番《ワルトシュタイン》」を選びました。

そして、バッハについて。彼の創作は、音楽のすべてにおける礎となっていると思います。

アブデル・ラーマン・エル=バシャ Abdel Rahman El Bacha

ベイルート(レバノン)の音楽一家に生まれる。1967年よりピアノをツヴァルト・サルキシアンに師事し、弱冠10歳でオーケストラと初共演を果たす。1973年、クラウディオ・アラウに将来を嘱望され、その翌年にフランス、ソ連、イギリスの奨学金によりパリ国立高等音楽院へ入学。ピエール・サンカンに師事し、ピアノ、室内楽、和声法、対位法の4科で首席となった。1978年、19歳の時にエリザベート王妃国際音楽コンクールにおいて審査員満場一致で優勝し、一躍世界の注目を浴びる。

これまでに世界の主要ホールに登場し、ベルリン・フィル、パリ管、スイス・ロマンド管、N響等のオーケストラと共演。
プロコフィエフの初期作品の録音でシャルル・クロ・アカデミー大賞を獲得し、授賞式ではプロコフィエフ夫人から賞を手渡された。ショパンのピアノ曲を作曲年代順に全曲録音しており、ラヴェルのピアノ・ソロ作品全集、バッハの平均律クラヴィーア曲集、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集等もリリース。

作曲家としての活躍も目覚ましく、自作曲の出版や、自作のピアノ作品のアルバム『アラベスク』をリリース。フランス政府よりフランス芸術文化勲章シュヴァリエを授与され、レバノン大統領より功労賞の最高位メダルを贈られた。フランスとレバノンの2つの国籍を持つ。

《ゴルトベルク変奏曲》で大切なのは正しいテンポの選択、感情表現、そして物語を語ること

――バッハの膨大な鍵盤作品のなかで、《ゴルトベルク変奏曲》はどのように位置づけられる作品だと思いますか?

エル=バシャ 「人生のレジュメ」のような作品だと思います。

《ゴルトベルク変奏曲》は、バッハの創作のなかでもユニークな作品です。そこには、対位法や組曲的な構成、ヴィルトゥオーゾ的な側面など、あらゆる彼の要素を垣間見ることができます。その中には、人生哲学に裏づけられた深い祈りにも似た信仰も感じられます。

――この長大で奥の深い作品を、演奏においてどのようにまとめられているのでしょうか

エル=バシャ 正しいテンポの選択、感情表現、そして物語を語ることです。

演奏において、聴き手に物語を語って聞かせることは、とても大切なことです。しかし、バッハの場合、物語性を作品に求めるのはひじょうに難しいところがあります。でも、作品を掘り下げ、そこに命を吹き込むことで、何かを語ることはできると思います。

 ――エル=バシャさんの《ゴルトベルク変奏曲》のCDを聴きました。滑らかで、心があたたかくなるような演奏でした。

エル=バシャ 偉大な音楽とは、スペシャリストのためだけのものではありません。楽譜を読めない人が聴いても感動できるのが、素晴らしい音楽なのだと思います。

モーツァルトは、10代前半に書いた作品について、「音楽が大好きな人たちにも、音楽の研究家にも好きになってもらえると思う」と、彼の父に語っています。実は、それこそが大切なのです。

パリ国立高等音楽院でピアノの他に和声法や対位法にも深く取り組んだエル=バシャ。《ゴルトベルク変奏曲》で何を語れるかは、作曲について造詣が深いことも大事と語る

ベートーヴェンの音楽には、人生の指針が秘められています

――モーツァルト「ピアノ・ソナタ第14番」は、よく「幻想曲 K.475」と組み合わせて演奏される機会が多いですが、今回はその後にベートーヴェンの作品が続きます。

エル=バシャ 「ピアノ・ソナタ第14番」は、私の大好きな曲です。ロマン派の先駆けとなる作品で、ベートーヴェンの創作の土台となった表現が数多くあります。この曲の冒頭は、ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ第5番」の冒頭に通じますし、モーツァルトのこの第2楽章の中間部は、彼の「ピアノ・ソナタ第8番」の緩徐楽章とそっくりで、相通じます。

モーツァルトの音楽は、力強すぎてはいけないけれど、それでいて決して弱いわけではなく、自由すぎてはいけないけれど、自由がないわけではなく、感情に任せてはいけないけれど、感情がないわけではない……そこがモーツァルトを演奏する難しさであり、面白さでもあります。

 ――エル=バシャさんは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲演奏を何度も行なっています。ベートーヴェンのピアノ・ソナタは、あなたにとって、どのような意味を持っていますか?

エル=バシャ スクール・オブ・ライフ! ベートーヴェンの音楽には、人生の指針が秘められています。

ベートーヴェンの作品は、彼のさまざまな思想を反映しています。音楽に対しては、彼は革命的な考え方を持ち、その考え方は、政治的な側面もあれば哲学的な内容もあります。

その一方で、ベートーヴェンの作品には、悲しいときにはその悲しみから救ってくれるような、良い意味でのエネルギーに満ちています。

人生観や感情、感動、美を心に秘め、それらすべてを彼は包括的に捉えています。「私の音楽は人間を救うことができる」と彼は語ったと言われていますが、それは真実だと思います。

公演情報
アブデル・ラーマン・エル=バシャ ピアノ・リサイタル

日時:2025年10月15日(水)19:00開演

 

会場:浜離宮朝日ホール

 

曲目

J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV988

モーツァルト:ピアノ・ソナタ第14番 ハ短調 K.457

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番《ワルトシュタイン》 ハ長調 Op.53

 

出演:アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)

 

料金:一般¥6,000、U30¥2,000(全席指定・税込)

 

問合せ:朝日ホール・チケットセンター 03-3267-9990(日祝除く10:00~18:00)

 

公演詳細はこちら

取材・文
道下京子
取材・文
道下京子 音楽評論家

2019年夏、息子が10歳を過ぎたのを機に海外へ行くのを再開。 1969年東京都大田区に生まれ、自然豊かな広島県の世羅高原で育つ。子どもの頃、ひよこ(のちにニワトリ)...

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