ピアニスト福間洸太朗——ファンとの交流から発想! 人に寄り添うバッハ編曲作品集
揺るぎないコンセプトと柔軟な発想力でリサイタルやアルバムを構成し、ファンを魅了してやまない福間洸太朗さん。CD発売に先立って配信がスタートされた新譜は『バッハ・ピアノ・トランスクリプションズ』、つまりバッハ作品の後世の作曲家たちによる編曲作品集だ。どのようなアイデアをベースに作り上げたアルバムなのだろうか。ストーリーやこだわりを伺った。
1974年生まれ。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、同大学院修士課程修了。Maqcuqrie University(シドニー)通訳翻訳修士課程修了。2008年よりクラシ...
フォロワーに背中を押されて
——J.S.バッハ作品のトランスクリプション(編曲作品)でアルバムを制作しようというアイデアはどのようにして起こったのでしょうか。
福間 バッハのトランスクリプションは、2020年1月に地中海のマルタ島で開かれているバロック音楽祭に出演した際に、一つのリサイタルとしてまとめて演奏したことがありました。
福間 また、2016年にはパリ・オペラ座のエトワールダンサーのマチュー・ガニオさんとコラボレーションし、彼の演じる一人芝居に合わせて、私がダルベール編曲の「パッサカリア」を演奏したこともあり、いつかアルバムにまとめてみたいという思いは持っていたのです。
福間 そうしたなか、昨年のステイホーム期間中、4月頃だったと思いますが、これからライブ配信などをやってみようというときに、SNSのフォロワーの方々に、私の演奏でどんな作曲家を聴いてみたいですか? と投げかけたのです。結果は、1位がショパンで、2位がバッハだったんですね。それでナクソスさんにお話を持ちかけて、実現することができました。
——SNSを通じてファンの方々と交流を図るだけでなく、実際にお声をレパートリーに取り入れておられるんですね。
福間 昨年のベートーヴェン・イヤーにも、ツイッターやフェイスブックで私の演奏でみなさんが聴きたいソナタを募りました。予想では3大ソナタの「熱情」や「悲愴」などが上位になるかと思っていたのですが、「テンペスト」と31番op.110が1位タイ。これは意外で、すごく嬉しかったんです。その結果も意識して、昨年のアルバムには「テンペスト」を入れました。そのほかにも、ベートーヴェンのあまり知られていない作品なども取り上げましたが、フォロワーさんに背中を押していただいて実現できたことも多かったですね。
もちろん、多数決の結果を必ず反映させるというわけではないですし、特に芸術においてはマイナーでも素晴らしいものはありますが、フォロワーのみなさんの生の声を聴きながら、固定観念に囚われずに、さまざまな作品を弾き、広めたいですね。
原曲に忠実な編曲作品で人間の声を表現
——バッハのトランスクリプションには、原曲が声楽曲から器楽作品まで、多種多様なものがありますね。今回の選曲はどのようなポイントで選ばれたのでしょうか。
福間 編曲者のオリジナルなアイデアがふんだんに盛り込まれたトランスクリプションも多いのですが、今回のアルバムに関しては、比較的原曲に忠実に編曲されたものをとりあげました。ですから例えば、ラフマニノフによる「無伴奏ヴァイオリン・パルティータ」の組曲などは、ラフマニノフのエッセンスが強いので、あえて取り上げていません。
また、コロナ禍における癒しや祈りを念頭におき、みなさんの心に寄り添える作品を弾きたいと考えました。そこで、前半にはアリアやコラールなどの小品を配置しています。
ブゾーニ編曲による「目覚めよ、と呼ぶ声あり」BWV645
福間 でも、それだけのアルバムにはしたくなかった。後半は、比較的規模の大きな器楽作品の編曲でまとめています。中核となるのはブラームス編曲の「シャコンヌ」、リスト編の「前奏曲とフーガ」、そしてダルベール編曲の「パッサカリアとフーガ」です。
アルバム『バッハ・ピアノ・トランスクリプションズ』
——前半のアリアやコラール、つまり声楽の原曲をピアノで演奏する際に工夫されたことはありますか?
福間 人間の歌声をピアノで表現するのは、とても難しいことだと常々思ってきました。コラールのような合唱の響きは、音がガンと出る瞬間が少なく、ふわっと立ち上るような柔らかい感じがイメージされます。ピアノで表現するには、指先の鋭いアタックでクリアになってしまわないように、丸みがあって遠くから音がなっているような響きを追求しました。
ただし、原曲の響きに近づくことを意識しつつも、ピアノ音楽としての理想的なバランスも同時に大切にしています。ブゾーニ版のコラールは、オルガン伴奏を前提に書かれているので、足鍵盤によるバスの低音がオクターブで進行していることが多く、左手はどうしても忙しくなります。でもその中で、ピアノだからこそ出せる重厚感や華やかな音色なども追求したいと思いました。
ピアノならではの表現も生かした器楽のトランスクリプション
——6曲目のサン=サーンス編曲「シンフォニア」は、ガラッと雰囲気を変える一曲ですね。
福間 はい、ここから後半へ、器楽的なバッハの世界へと場面転換をはかりたいと考えました。技巧的にはサン=サーンスのこの作品はとても難しいんです。彼のピアノ作品は、運指などがとても手になじみやすいのですが、こうした器楽のトランスクリプションは、かなり跳躍も多く、10度の和音が連続したりするので、手の大きさも必要です。いろいろと工夫は必要でしたね。
——リスト編曲の「前奏曲とフーガ」は、リストらしい華美な技巧によるピアニスティックな表現は抑えられた作品ですね。
福間 原曲にかなり忠実です。しかし原曲の音数が多いので、ピアニスティックには聴こえると思います。
この編曲には、ひとつ興味深いことがあります。前奏曲で、低音の「ラ」をずっと伸ばすようにと楽譜に書かれている箇所があります。
福間 しかしその場面で、左手はほかの音も弾かなければいけないので、ずっと押さえているわけにはいかないんです。無理が生じてします。かといって、ダンパーペダルでそのラの音を伸ばそうとすると、和音が濁ってしまいます。そこで活用すべきは、グランドピアノの真ん中にある「ミドルソステヌート・ペダル」です。ある音を押しながらそのペダルを踏めば、その音だけを伸ばし続けることができるのです。
現代でこそ一般的なペダルですが、リストの時代には生まれたばかりのペダルでした。調べてみたところ、ボワスローという会社が1844年に初めてミドルソステヌート・ペダル付きのピアノを発表し、その年の秋にはリストが同社のピアノを使用してツアーを行なっていたことがわかりました。リストはさまざまなピアノ製作会社にアドバイスやアイデアを伝えていたことはよく知られています。ひょっとすると、彼がこの作品を書いたころ、新しいペダルのアイデアを出して共同開発をした可能性があるのではないかな……私の憶測ではありますが、そんなことも考えたりするのは楽しいですね。
——有名な「シャコンヌ」のピアノ編曲版にはブゾーニのものありますが、今回は原曲により忠実なブラームス版を選ばれました。
福間 これは左手のみで演奏する作品です。左手だけで弾き続けていると、何かこの作品に込められた切迫感のようなものが感じられてきます。個人的なイメージですが、キリストが十字架を背負ってゴルゴダの丘を歩いているような情景が浮かびます。一歩一歩のあゆみに重みがある。左手のみという制約がある中では、一つバランスを崩すと、フレーズ感やペダルのタイミングを逃したりしてしまう。そんな緊張感を伴う作品です。
——原曲が器楽中心の後半ですが、「シャコンヌ」に続いて「マタイ受難曲」の中のアリア「憐みたまえ、わが神よ」が置かれています。こちらは福間さんご自身の編曲ですね。
福間 シャコンヌから、宗教的で深刻な雰囲気をここにつなげたいと考えました。原曲のアルトとヴァイオリンの音域が近いため、ピアノで忠実に再現してしまうと旋律線がはっきりしなくなります。歌のパートを低い音域に移し、落ち着いた雰囲気に仕上げました。
——ダルベール編曲の「パッサカリアとフーガ」は、ダンサーのマチュー・ガニオさんの一人芝居とのコラボでもお弾きになったとのことですね。
福間さんは、フィギュア・スケーターの羽生結弦さんとの共演経験をおもちです。彼らの身体表現から、なんらかのインスピレーションを得ることはあありましたか?
福間 身体表現からインスピレーションを得ることも多いにありましたし、学ぶことや発見もありました。しかし独奏する場合には、やはり作品そのもののイメージや解釈に立ち返るため、テンポ感などは変わりますね。
ダルベール編曲のこの作品は、特にフーガの音数が多く、かなり技巧的な仕上がりとなっています。
——録音ではベヒシュタインのピアノを使用されました。どのような特性からこの楽器を選ばれたのでしょうか。
福間 今回は対位法、つまりポリフォニーの各声部がクリアに聴こえて、なおかつ、きらびやかさが前面にというよりは、どちらかといえば、親密な空間をつくれるような音色にしたいと思いました。
ベヒシュタインは、低音に重厚感はありますが、きつくはない。また高音も派手すぎない。また、ペダルの切れ味も素晴らしいです。スーッと音が消えてくれる。そうした余韻の残し方は大切です。今回はコラールなどの静かに終わる曲で、ペダルのノイズが入るのは避けたかったので、この楽器を選びました。
バッハの録音は50代になってから!?
——今回のアルバムではトランスクリプションをまとめられたわけですが、バッハの鍵盤作品そのものを録音したいという思いはありますか?
福間 もちろんバッハは大好きですし、鍵盤作品もコンサートでは弾いていきたいと思いますが、録音は……まだ先になると思います。50代くらいかな。というのも、ピリオド奏法についての研究なども深めたいところなので、正直まだ私には早いと思うのです。
もちろん現代の楽器で、現代の人たちがどう表現するかは、いろんな可能性があっていいと思っています。どれが正解というのはないと思いますが、自分が録音として世に残すなら、ある程度の自信をもって「今だ!」と思える時に取り組みたいですね。
——今回のアルバムはCD発売に1週間先駆けて、世界同時配信が開始されるとのことですね。
福間 すでにアメリカ・ドイツ・ノルウェー・スペインなど、いろんな国のインスタグラムでピックアップいただいているようです。私はこれまで五大陸でコンサート活動をしてきましたが、昨今の状況ではなかなか再訪が難しい国もありますから、配信の形でお届けできるのは嬉しいですね。
また、配信ではボーナストラックでジロティ編曲の前奏曲を入れています。これは原曲からはかけ離れたトランスクリプションです。美しく人気の高い作品なので、こちらも聴いていただきたいと思います。
——ネット配信関連では、福間さんがプロデュースする「レア・ピアノミュージック」というオンライン・コンサートの取り組みも注目ですね。
福間 昨年からスタートし、私が尊敬する先輩ピアニスト、優れた後輩ピアニストの皆さんに登場していただき、珍しいピアノ作品を紹介しています。秋からのシーズンも続け、100回を目指します! プレトーク動画では、作品について熱く語り合い、演奏会では見えないピアニストの裏話なども登場しています。こちらも期待していただきたい取り組みです!
2021年6月25日 CDリリース
2021年6月18日 世界同時先行配信
収録楽曲:
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
1. カンタータ「わが楽しみは元気な狩のみ」BWV 208 – アリア「羊は安らかに草を食み」(E. ペトリ編)
2. コラール「目覚めよ、と呼ぶ声あり」BWV 645(F. ブゾーニ編)
3. コラール「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」BWV 659(F. ブゾーニ編)
4. コラール「われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」BWV 639(F. ブゾーニ編)
5. カンタータ「心と口と行いと命もて」BWV 147 – コラール「主よ、人の望みの喜びよ」(M. ヘス編)
6. カンタータ「神よ、われら汝に感謝す」BWV 29 – シンフォニア(序曲)(C. サン=サーンス編)
7. 前奏曲とフーガ イ短調 BWV 543(F. リスト編)
8. フルート・ソナタ 変ホ長調 BWV 1031 – II. シチリアーノ(W. ケンプ編)
9. 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 ニ短調 BWV 1004 – V. シャコンヌ(J. ブラームス編)
10. マタイ受難曲 BWV 244 – アリア「憐れみ給え、わが神よ」(福間洸太朗編)
11. パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV 582(E. ダルベール編)
12. コラール「バビロンの流れのほとりにて」BWV 653(S. フェインベルク編)
iTunes Store, Apple Music限定ボーナストラック
前奏曲 ロ短調 BWV 855a(A. ジロティ編)
管弦楽組曲第3番 ニ長調 BWV1068 – II. エール「G線上のアリア」
(A. ジロティ編)
演奏:
福間洸太朗(ピアノ)
2020年10月20日〜22日 神奈川県立相模湖交流センター
使用ピアノ: C. Bechstein Model D282
DXD 24bit/352.8kHz Recording
詳しくはこちらから
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