インタビュー
2022.02.15
「フィギュアスケート人生のそばにあるクラシック音楽」後編

安藤美姫さん「人の心に残るフィギュアスケートを〜人生と音楽がつながった表現力」

フィギュアスケーター安藤美姫さんに、「フィギュアスケートと音楽」について伺うインタビュー。前編では、安藤さんにとってフィギュアスケートが、ひとつの“習いごと”から、“かけがえのない存在”になるまでについてのお話を伺いました。今回は、さまざまな人との出会いから、音楽への意識が変わっていったという、安藤さんの音楽性と卓越した表現力の秘密に迫ります。

取材・文
鈴木啓子
取材・文
鈴木啓子 編集者・ライター

大学卒業後、教育系出版社に入社。その後、転職情報誌、女性誌、航空専門誌、クラシック・バレエ専門誌などの編集者を経て、フリーに。現在は、音楽之友社にて「ONTOMO M...

写真:蓮見徹

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「ジャンプだけが大事なのではない」——スケートへの意識を変えてくれたコーチの言葉

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——前回、ニコライ(・モロゾフ)先生に師事されてから、音楽に対する意識が変わられたと伺いました。きっかけは何だったのでしょうか。

安藤 私がジュニアからシニアに移行した頃の日本では、フィギュアスケートというと、「高難度のジャンプをいかに決められるか」という部分にフォーカスした報道が多かったこともあり、ジャンプに重きが置かれていました。おそらく、私もみなさんの中では「ジャンプの安藤美姫」というイメージがあったと思います。

私自身、「ジャンプが大事」と思い込んでいた部分があったのですが、ニコライ先生に師事して最初に「そうじゃないんだよ」と言われたんです。思わず、「えっ!?」と聞き返しそうになったぐらい驚きました。

「フィギュアスケートは、最初にコンパルソリー(1991年に廃止されるまで大会でも必須種目だった、決められた図形に従ってすべり、正確さなどを競う競技)から始まったもので、エッジ(スケート靴の刃の氷に接する部分)のアウトとインを美しく使い分けて滑ることが基本中の基本」と、根本的なところから丁寧に説明していただいて。”

また、なぜフィギュアスケートには音楽があるのか、その音楽をどのように理解して表現するのか、自分らしく表現するとはどういうことなのか、さらに、誰かの真似をするのではなく、“自分らしさ”を持ち続けることが、いかに美しくて大切なのか。フィギュアスケートに必要なたくさんのことを教えていただきました。

このとき初めて、「フィギュアスケートって、ジャンプだけじゃなんだ!」ということに気づかされ、そこから意識がぐっと変わりましたね。

——音楽に対する意識が変わり、表現が変わったと感じたのはいつ頃から?

安藤 ニコライ先生に師事した2006/07シーズンからですね。先生から、「ミキは、繊細な動きよりも強い動きのほうが魅力的だし、今のあなたのフィギュアスケートのスタイルに合っている」と言われ、それを表現するためにはシンプルなクラシックがいいということになり、2曲ともクラシックのプログラムを用意してもらいました。

ショートプログラム(以下SP)は、バレエ作品としても有名な《シェヘラザード》(2006/07~07/08)。主人公のシェヘラザードという女性はとても強い人なのですが、私たちと同じように普通に恋心を抱いたり、繊細で弱い部分もあります。でも、最終的には、その強い意志を持って王の愚行をやめさせ、王妃になる。

※以下、掲載音源は原曲。安藤さんが演技した際に使用した音源ではありません

ストーリー性がある曲の場合は、登場人物のキャラクターに合わせなくてはいけない部分が出てくるので、まずは物語を理解して、演じる人物をイメージし、さらに曲を何度も聴いて、自分が感じたものを滑りに取り入れていきます。例えば、シェヘラザードなら、王妃という立場や、王の愚行を止める強さ、そして強いのにどこかピュアな部分や繊細さを持ち合わせている……そんな女性像をイメージしながら、緩急をつけて滑るよう心がけました。

一方、フリースケーティング(以下FS)は、前回少しお話させていただいたメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲 第1楽章」だったのですが、“ザ・クラシック”といった感じで明確なストーリー性はありません。

キャラクターが存在しないぶん、曲を聴いたときに、何を感じたか、どのように表現したいか、ということを自分なりに考えなければなりませんが、感じたまま自由に滑れるのは自分の性格に合っていると思いました。

2つのプログラムが、「型」があるものと、ないものという両極端だったので、表現するという上でとても面白かったです。

――FSの「ヴァイオリン協奏曲 1楽章」は感じたままに滑られたということですが、表現面で工夫されたことはありますか?

安藤 私は、演技の冒頭で、いつも見る人に印象づけたいという思いがあります。このときは、最初のポーズでは伏し目にしておいて、曲が流れた瞬間に、顔と目線をぐっと上げてから腕を大きく動かすようにして、表情と動きからガッと人を引き込めるよう心がけました。

また、前半は、ヴァイオリンの音に合わせて深みの中に力強さを感じさせる滑りをしながら、盛り上がる後半に備えて、やや抑え気味に。中盤のスローでやや優しい曲調になるところでは、動きやエッジワークにシャープさを出すことを意識しました。

終盤までジャンプが組み込まれていたので、ずっと音楽にフォーカスし続けるのは難しいんですけど(笑)、最後のステップでは、心の底から自分を解き放って爆発するみたいなイメージを持って滑るようにしていましたね。

クレオパトラも普通の女性。自分と重なる部分を表現に

——ストーリー性のあるものとないもの、特に好きなプログラムを挙げるとしたら何でしょうか? ひとつに絞るのは難しいかもしれませんが。

安藤 全部好きなので迷いますが……しいて挙げるなら、バンクーバー五輪シーズンのFS『ミッション・クレオパトラ』ですね。もともとクレオパトラという人物がとても好きで、特に、ひとつの国を背負っている強さ、多くの人を魅了するカリスマ性と妖艶さに憧れがあります。また、エジプトの人なので、あのような目鼻立ちがはっきりした濃い顔が好みなのも理由のひとつ(笑)。

安藤 実は、このシーズンはなかなかプログラムが思いつかなくて、ニコライ先生と相談して、世界ジュニアで優勝したときのプログラムを振りつけてくれたリー=アン・ミラーという女性の振付師の先生にお願いしたんです。女性の方に振り付けてもらうプログラムが久しぶりだったので新鮮でしたし、アジア人である私に、「ミキなら海外のテイストを表現できる」と、このクレオパトラという作品を持ってきてくれたのもすごく嬉しくて。

また、映画『ミッション・クレオパトラ』のサウンドトラックからのMIXで、かなりエジプシャンな感じの曲だったのですが、すごく好きなテイストでしっくりくる感覚もありました。

あらゆる面で、とても思い出深い作品で、とても気に入っています。

——クレオパトラは、華やかなオーラとダイナミックなスケートが持ち味でもある安藤さんにとてもピッタリなプログラムでした。演じる上で工夫されたことがあれば教えてください。

安藤 クレオパトラは、一般的に“強い女性”というイメージを持たれている人が多いと思います。シェヘラザードやカルメンも強い女性という点で似ていますが、いろいろ調べて彼女たちのストーリーを辿っていくと、ひとりの女性としてのパーソナリティが見えてきます。

クレオパトラの場合は、最初は異国にいたのに、国を治めるためにエジプトにやってきて、戦略結婚だったかもしれないけど、王子と普通に恋に落ちて——。絶世の美女で、エジプト王朝最後の女王で、強くて、逞しくて、でも、ただ強いだけでなく、そこに辿り着くまでにさまざまな葛藤があったり、ツラい思いをたくさんしたり、クレオパトラなりの苦労があったと思うんです。きっと、もともと強かったわけではなく、いろいろなことを乗り越えたから強くいられたのだ、と。

クレオパトラにも人間関係の悩みや、ツラい出来事があり、それはスケールや時代は違っても、私たちにも通じるところがあるので、そんなふうにあれこれ思いを馳せながら、キャラクターに自分の感情を重ねていきました。同じひとりの人間として、女性としての感情を表現し、観ている人に伝わるといいな、と思いながら滑っていましたね。

——キャラクターへの深い理解と、その人物の気持ちに寄り添うこと。これらが安藤さんの表現力につながっているんですね。

安藤 そんなに表現力ないですけどね(笑)。かなり悩んだこともありますし。

——それは意外です。いつ頃悩まれていたんですか?

安藤 トリノ五輪ぐらいからずっとですね。競技生活をやめるまで。

——スケートへの意識が変わったあたりですね。『ミッション・クレオパトラ』は現地でも何度か拝見したのですが、スケートリンクに女優さんが現れた! というぐらい圧倒的な存在感があって、そのような不安や迷いがあるようには見えなかったです。

安藤 ありがたいことに、そのように言ってくださる方が結構いるのですが、どちらかというと型にはまらないタイプなので(笑)、おこがましいんですけれど、それが少しクレオパトラに通じるところがあって、たまたまよい方向に出ただけな気がしています。

私の場合は、10代の頃から注目していただいて、多くの人に知っていただけたことは今思うととてもありがたいことですし、フィギュアスケートをしていなければ出会えない人や、経験できないこともあるんですけど、当時は、いい成績を残したいとか、有名になりたいというような思いはなくて、普通の女の子として学生生活を送っている中に、たまたまフィギュアスケートがあっただけ、という感覚だったんですね。

世間では、ひとりの人間としての「安藤美姫」よりも、「フィギュアスケーターの安藤美姫」という印象が強いかもしれませんが、イベントや対談などでお話させていただくときには、「フィギュアスケーターになるために生まれてきたわけではなく、みなさんと同じように仕事がたまたまスケートだっただけで、職場が違うだけです」とお伝えしているぐらい、当時も今も普通の女の子なんです。スケート靴を脱いで、衣装を脱いだら、フィギュアスケーターとして生きてはいないんです。

クレオパトラやシェヘラザード、カルメンらも、私と同じ普通のひとりの女性。全然レベルは違いますけどね(笑)。なので、彼女らの像を壊さずに、“普通の人”として、“普通の女性”として自分と重なる部分に、私が生きていく上での信条みたいなものを入れ込んで演じるようにしていました。自分の心とリンクさせる、みたいな。それが、観ているみなさんに伝わっていたならすごく嬉しいです。

自分ではない誰かのために滑ること

——お父さまに捧げられたというモーツァルトの《レクイエム》も、ご自身の心とリンクさせやすかったのでしょうか。

安藤 実は、《レクイエム》は、私ではなく、ニコライ先生が選んだんです。私は人にプライベートをあまり話さないタイプで、スケートに関係ないことはあえて公開する必要はないという考えがあって……。ましてや父のことは、完全にプライベートなことですし、トリノ五輪のときにツラい思いをしたので、話題に出すのはイヤだったんです。

でも、先生が「オリンピックという特別な年には、特別なプログラムを用意すべきだ」と。

「ミキはそれでつらい思いをしたかもしれないし、周りから勝手にストーリーを作り上げられて、涙を誘うような扱いをされてきたかもしれないけれど、そのお父さんへの思いはミキにしか表現できないでしょ」と言われまして。

もちろん、ほかにも同じような別れをした選手もいるけど、大きな舞台で大切な人への思いを抱いて滑るのはすごく特別なことだし、人に絶対に伝わるからと。「だから、レクイエムを滑れ!」って半ば強引に説得された感じだったのですが(笑)、練習していくうちに、先生が言っていたことがわかるようなりました。

モーツァルト作曲《レクイエム ニ短調》

——ニコライ先生、いいことおっしゃいますね!

安藤 はい。背中を押してくれて感謝しています。

ちなみに、このプログラム、最初はエキシビションナンバーとして滑っていたんですけど、そのあとにそのようなやりとりがあって、SPに決まったんです。実は、私はエキシビションナンバーのほうが好きなんですけどね(笑)。

——ショーナンバーのほうがSPよりもしっとりとした雰囲気の編集と振付ですよね。

安藤 そうなんです。SPは時間が決まっているので(現行のルールで演技時間は2分50秒以内)、競技用に短く編曲せざるを得なくて。ただ、自分の中でテーマがはっきりとあったので、本当に感情移入しやすかったです。また、ミサ曲なので、天とつながるイメージを持って滑るように心がけていました。スケートリンクは屋内なので、天井があって実際に空は見られませんが、その天井がなくてどこまでも高く青い空が広がっている——というイメージで滑るようにしていました。

《レクイエム》は、同じように大切な人を亡くした方からいろいろなメッセージをいただいたのですが、特にエキシビションナンバーのほうがメッセージ性が強かったようで、反響が多かったですね。

——中盤で十字を切るような振りがありますが、あの振りと曲調から、会場から天井が消えて、魂が天に昇っていくような広がりを感じました。って、この解釈……合っています?

安藤 合っています!(笑)

ちなみに、あの十字の切り方はロシア式(カトリックでは左から右に、ロシア正教では右から十字を切る)なんですよ。

——へー! そのように細かい部分も知っていくと面白いですね! 本当に奥深い。ちなみに、ストーリー性のないザ・クラシック音楽を用いた作品でいちばん好きなのは、この《レクイエム》ですか?

安藤 いちばんかと言われると……。ただ、深い思いだったり、大事に思う強さという部分では、もっとも感情移入できた曲かもしれません。ほかの曲のときは、ここは力強く、ここは柔らかく、といった感じで、曲調に合わせて感じるがままに身を委ねて滑っていた感じなので。

その中では、10/11シーズンのFSのグリーグ「ピアノ協奏曲 イ短調 作品16」は特別ですね。

このときは、シーズン序盤から、いつも通りに淡々と滑っていって、グランプリファイナルに出場できて、全日本、四大陸で優勝して結果も出せて、毎試合、本当に落ち着いて滑れていたので、“しっくりくる”プログラムのひとつでした。

ところが、3月の世界選手権もこのままいくだろうと思っていた矢先、東日本大震災があって。世界選手権は日本で開催予定だったので当然中止になり、ISU(国際スケート連盟)が代替地を急に探すことになったんです。

私も父との急な別れというものを経験していたので、急にご家族を失われた方の悲しみや、やりきれない気持ちはわかりますし、中には家を失った人もいたり、物資が行き届いていなくて生活そのものが困難な人もいたりする中で、スケートをする気持ちにはなれなくて、仮に世界選手権が開催されたとしても、棄権する方向で考えていました。

そんなときに、被災地の方から一通のお手紙をいただいたんです。その手紙には、「こういうときだからこそ、世界選手権がもし開催されたら、頑張ってきてほしい」と。「美姫さんの笑顔や演技を見て、自分も笑顔になりたい」ということが書かれていて、そのときに初めて、自分がスケートをする意味というか、スケートでも人にパワーを与えることができるということを知って、出場することを決めました。

このときの世界選手権は、手紙をくださった方、そして日本で見てくれている人のうち誰かひとりにでも、私の演技を見て、「元気になれた」「笑顔になれた」、そんな気持ちになってもらえたらいいなと思い、ただひたすら見てくれている人のことだけを考えながら滑りましたね。

もちろん、それまでも応援してくれた人や周りで支えてくれた人に感謝の気持ちをもって滑ってはいたのですが、演技中は自分に集中しているので、目の前のこと以外は考えていませんでした。それが、このときは自分のことはまったく考えずに、見てくれている誰かのために滑ることができて、これまで全然味わったことのない、何とも言えないような初めての感覚が得られました。

一緒に作品を創り上げていく、生演奏の楽しさ

——さまざまなアイスショーにも出演し、生演奏で滑る機会もあるかと思いますが、録音の音源と比べてどうですか?

安藤 アートオンアイス、オペラオンアイスなど、これまで生演奏で滑らせていただいた機会はいろいろありますが、やはり生演奏はいいですね。滑っていて心地いいのはもちろんですが、一緒にプログラムを創り上げていく感じがして、とても楽しいです。

——その際に、工夫されていることや意識されていることはありますか?

安藤 歌手やソロの演奏家の方がいるときは、常にコンタクトを取りながら滑るようにしています。

ピアニストの福間洸太朗さんとは、ステファン・ランビエールさん主催のスイスのアイスショーで共演してから、何度かご一緒させていただいているのですが、演奏が素晴らしいのはもちろん、共演するスケーターのことをよく考えて、いろんなアイデアを出してくださるので、滑っていてとても心地いいんです。

「ここが少し短いのでもう少し長めにしてほしい」とか、「ここはがっーとためてから次にいってもらっていいですか?」とか、いろいろリクエストをさせていただくと、自分が求めているものにピタリと合わせてくださいます。逆に、「こういう感じで動いてほしい」と、意見や要望を言ってくださるので、信頼できてとても頼もしいです。

スケーターが滑りやすいことは大切ですが、スケートに合わせてばかりでは、せっかくの素晴らしい演奏が生きなくなってしまうので、そのバランスを見つけてくださるのが本当にスゴくて。

——演奏に聴き入ってしまって自分の滑りが乱れる、ということは?

安藤 それはないです。と、一応自分では思っています(笑)。

人の心に残るスケートをしたい

——現在、振付や指導もされていらっしゃいますが、音楽への意識で変わったことはありますか?

安藤 あまり変わらないですね。振付するときは、選手が滑りたい曲を用意してくるので、その曲のイメージやストーリー性があれば、私が滑っていたときと同じような考えで、“その作品を崩さない”ようにしながら、登頂的な部分を作るようにしています。

その際には、できるだけ、印象に残るような動きや、メッセージ性を打ち出せるように振り付けるようにしています。ただし、私が踊ってしっくりくる振付でも、本人にとっていまいちしっくりこないこともあり、一人ひとりのキャラクターや顔の雰囲気、身体、滑るタイミングなど、すべて違うので、滑り手が美しく見えることを最優先するようにしています。

私自身、競技者として試合で滑っていたときよりも、今のほうが感情やメッセージ性を込めやすくなってきたので、見てくれる人に伝えられるようなプログラムは多くなってきたかなと思うんですけど、競技者のときもプロになった今も、「人の心に残るスケートをしたい」という思いがずっと根本的にあるので、それは振付や指導をさせていただくときも変わらず大切にしています。

——安藤さんは、小学生のお子さんをもつ母という立場でもありますが、母親になられて、スケートに関して何か新しい変化はありましたか?

安藤 娘が生まれた2013年に競技に復帰したんですけど、常に優しい気持ちでリンクの上に立つことができました。

——競技を引退されたシーズンに滑られたSPの「マイウェイ」からも、優しさがあふれ出ていたような気がしました。

安藤 ありがとうございます。実は、「マイウェイ」は、娘が生まれる前に作ってあったのですが、なかなかしっくりこなくて……。でも、娘が生まれてから、自然と違和感がなくなったんです。

私はずっと、「自分が信じた道を生きていく」ということをとても大切してきました。娘が生まれてから、ひとりの女性として、母として、人として、その思いが一層強くなり、「マイウェイ」が持つ優しい雰囲気や壮大さから、強く生きていく覚悟みたいなものが垣間見え、そのときの自分とすごく重なる部分があると感じるようになりました。

娘は、私の人生の中で、自分が選択した最高のギフトで、かけがえのない存在。あの現役最後の全日本フィギュアスケート選手権という大きな舞台に出場することができたのも、娘がいたから。

自分が信じた道を生きていくという覚悟と、娘への感謝の気持ちがあったから、自然と穏やかで優しい気持ちでリンクに立てたのだと思います。

その後、Aiさんとのコラボで「ママへ」という曲を滑らせていただいたのですが、いろいろな方から「穏やかで、優しくなったね」ということを言われましたし、出産前にも滑ったことがある「アメイジング・グレイス」でも、「雰囲気が変わった」とお客さんからも言われました。私としては、同じように滑っているつもりなんですけどね(笑)。

そんなふうに周りから言われるようになったので、きっと自分で気づいていないところで、スケーターとしての新しい一面を娘が引き出してくれたのではないかと思っています。

——今後滑ってみたい作品、曲はありますか?

安藤 タンゴですね。フラメンコを滑ったことはあるのですが、マラゲーニャと、あとフラメンコではないですけど、カルメンも滑ったときに、ラテン系の曲がしっくりくる感じがあって。

——カルメン、マラゲーニャともに会場で何度か拝見させていただきましたが、本当に素晴らしかったです。タンゴも楽しみにしています!

安藤 ありがとうございます(笑)。コロナ禍ですぐにお見せできるかはわかりませんが、挑戦したいと思います。

取材・文
鈴木啓子
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鈴木啓子 編集者・ライター

大学卒業後、教育系出版社に入社。その後、転職情報誌、女性誌、航空専門誌、クラシック・バレエ専門誌などの編集者を経て、フリーに。現在は、音楽之友社にて「ONTOMO M...

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