ピアノの発表会が舞台に。演出家・村川拓也がドキュメンタリー的アプローチで制作した演劇「ムーンライト」
ピアノの発表会から着想を得た演劇「ムーンライト」が、12月15日、京都市西文化会館ウエスティホールで上演される。もともとドキュメンタリー制作から演劇の世界に入った演出家・村川拓也さん。本作の制作中にあたって、ピアノを弾くある74歳の男性と出会い、彼に惹かれたという。その出会いはどのように作品に昇華されたのだろうか。
本作誕生のきっかけや演劇表現について、村川拓也さんにお話を伺った。
1980年生まれ。京都と東京を拠点に、美術、演劇、ポップカルチャーにかかわる執筆やインタビュー、編集を行なう。主な仕事に『美術手帖 特集:言葉の力。』(2018年3月...
京都を拠点に活動する演出家・村川拓也。彼の新作『ムーンライト』はピアノ発表会からアイデアを得た「演劇」作品である。読者のなかには子どもの頃にピアノ教室に通った経験のある人も多くいると思うが、その発表会を演劇にすると、どんなものになるのだろうか?
京都市内の5つの文化会館を会場に、舞台芸術を通して街をとらえ直す連続プログラム「サーキュレーションキョウト」のなかで発表される『ムーンライト』について、村川に聞いた。
公演の会場に通い始めたら、4回連続でピアノの発表会に遭遇した
――新作『ムーンライト』はその名が示すように、ベートーヴェンの《月光ソナタ》から取られたタイトルです。また、作品自体もピアノ発表会が題材になっていると聞きました。これらの題材を演劇で扱おうと思ったのはなぜですか?
村川 今回参加する「サーキュレーションキョウト」が、京都という街を見つめ直すプログラムということで、会場である京都市西文化会館ウェスティホールに今年の4月から通い始めたんですね。最初に訪ねたときにやっていたのが地域のピアノ発表会。それで次に訪ねたときは、別の教室のピアノ発表会がやっていて、結局4回連続でピアノ発表会を見ることになった(笑)。もうそのときには「ピアノ発表会を題材にするしかないな」と思っていました。
――すごい偶然(笑)。ドレス姿の女の子がピアノを弾く写真はそのときに撮ったものですか?
村川 いや、あれはじつは僕の姉なんです。僕はまったく興味なかったんですけど、姉はピアノ教室に通っていて発表会にも出ていた。僕とピアノには、せいぜいそのぐらいの接点しかないんですよ。
――ですが作品にしようと思うと、もう少し必然性がないと難しいのでは?
村川 ピアノ発表会はとても面白い体験でした。出演者の多くは子どもたちで、観客の多くはその親や親類。いつかどこかで見たことあるような懐かしい感じがありました。
親密で閉鎖的でもあるような環境で、おそらく自分だけが部外者というのも面白かった。もともと僕はドキュメンタリー映画をつくるところから演劇に関わっていった人間なので、観察者として状況を客観視することが好きなんです。そういう立ち位置で状況を見ていると、「ひょっとすると子どもは嫌々演奏してるのでは?」とか「弾く曲のほとんどがクラシックかJポップで、音楽教育としてどうなんだろう?」とか「大人たちは自分の子どもの出番が終わるとすぐ帰ってしまうな」といった疑問が頭をよぎったりする。
でも、子どもたちが一生懸命ピアノを弾く姿はただ単にいいなあと思いますし、子供の成長を見ることは親にとって有意義なことなんだろうとも思います。そうゆう矛盾も含めていろいろなことがピアノ発表会から見えてきました。
特に入れ替わり立ち替わり発表者と観客が出入りする様子がまるでインスタントの劇場みたいで、このユニークな形式は今回の作品に応用できるなと思っていました。
《月光ソナタ》は、モデルになった74歳の男性にとって大切な曲だった
――なるほど。では《月光ソナタ》はなぜ使おうと?
村川 今回の作品で中心的な役割を果たす人の人生にとって、とても大切な曲が《月光ソナタ》だったからです。
これは僕の個人的な妄想なのですが、ピアノ発表会ってまるで1人の人間の成長を追っているように感じます。小さい子から大人へと順々に弾いていくのが発表会の通例だと思うのですが、小さい子はバイエルとかやさしい曲を弾いて、ちょっと歳が上がるとソナチネやブルグミュラー。高校生ぐらいになると、自分で弾く曲を選ぶのでちょっと暗い感じの大人っぽい曲を弾いたりする。
そのありようが面白くって、最初の構想として小さい頃からずっとピアノを弾いてきた70代、80代の方にインタビューするという作品をつくろうと思ったんです。それで西京区内のピアノ教室にかたっぱしから連絡をしたのですが、想定したような人物はなかなか見つからず……それでやっと出会えたのが74歳の男性でした。
――その方が《月光ソナタ》の人物?
村川 そうです。子どもの頃からピアノを習ってきたわけではないのですが、東京大学工学部出身の元新聞記者で、7年前に京都に引っ越してきた男性。詳しくは話せませんがとても面白いピアノとの出会い方をしていて、僕はその男性個人にすぐに惹かれてしまいました。最初の構想に固執せず、いまは彼へのインタビューを続けながら作品の着地点を探っているところです。
――音楽との出会いのエピソードというと、人によってはとても劇的だったりセンチメンタルだったりすることがあります。村川さんは、そういった音楽との関係性をどう考えますか?
村川 自分もバンドでドラムをやっていたので、わかる部分はあります。でも、楽器の演奏って楽しい反面、厳しいとも思います。自分の鳴らした音が、自分の技術の拙さやセンスの限界を教えてくるように感じるから。ピアノをずっと弾き続けている人は、つねにそれぞれのときの自分自身を省みるような時間を経験しているんじゃないでしょうか?
「演劇における時間とは、俳優の生理的な感覚がつくるもの」
――これまで村川さんは介護福祉士の日々の仕事の様子をそのまま舞台上に移したような『ツァイトゲーバー』や、友人知人に手紙を送って、そこに書かれた内容(例えば「弁当買って、◯時に劇場に来て食べてください」といった指示)を遂行することで上演が成立する『エヴァレットゴーストラインズ』といった、ある状況のなかで起こる事態そのものを演劇として提示する作品を手がけてきました。ですが近年は、74歳の男性のように、個人への関心を強めています。
村川 それらの作品は内容が内容だけに、「介護の問題を扱っているんですか?」とか「コミュニケーション不全を描いているんですか?」という質問を頻繁に受けてきました。でも、実際のところ考えているのは、例えばヘルパーをしている友人の仕事の所作が単にとても美しくて、それを見せたい、ということだけなんです。でも、それは個人的な動機であってお客さんには関係のないことです。だから作品と観客のあいだにどんな関係を生み出せるかは、いつも悩む部分です。
――なるほど。そのうえで、作品で何を観客に伝えたいと思っているのでしょうか?
村川 難しい質問ですが、個人的な動機については語ることができると思います。僕は演劇における時間って、俳優の生理的な感覚がつくるものだと思っています。僕が講師をしている京都造形芸術大学で、ちょっと前に学生と一緒につくった作品を上演しました。
授業と授業の合間のぐだぐだした休憩時間の学生たちのやりとりをそのまま再現するという内容で、3分くらいの出来事を4回ぐらいまったく同じように反復させるんですね。最初はただの再現なんですが、回数を重ねていくと感じや空気感が変わっていきます。ほとんど無意識に冗談めかした感じで学生が発した「死ね」の一言が、4回目では重くなって、どぎつくなったりする。再現の方法をちょっと変えるだけで、感情がその色合いを変えていくんです。そこで表現されているのは、言葉にはならない言葉。言葉の裏に流れる、感情の移り変わりと言えるかもしれません。ひょっとすると僕がやっているのは「無言劇」なのかもしれないと、最近は思っています。
――無言劇とは、いっさい言葉を使わない実験的な演劇手法のことですね。村川さんがやろうとしているのは、言葉を発することで逆説的に言葉にならないものを露出させる実験のように思います。無言劇の概念を独特の方法でアップデートさせているというか。それから、無意識を示すというのは映画的にも感じます。
村川 たしかにそうですね。映画は画面のなかに意図しないものが映っていることこそが面白いメディアです。見えているものはあくまでツールであって、そこから外れた無意識とか意図されなかったものをうまく捕まえるというのが、僕の考える映画と演劇の共通点です。
会期 2018年12月1日(土)〜 2019年3月24日(日)
会場 京都市東部文化会館、京都市呉竹文化センター、京都市西文化会館ウエスティ、京都市北文化会館、京都市右京ふれあい文化会館
公式サイト http://circulation-kyoto.com/program/murakawa
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