5月3~5日開催! ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2019

ルネ・マルタンが語る“旅から生まれた音楽(ものがたり)”――クラシック音楽祭 ラ・フォル・ジュルネのテーマ

インタビュー
2019.04.24

ゴールデンウィークの音楽イベントといえば、ラ・フォル・ジュルネTOKYO(LFJ)! 1995年、フランス西部の港町ナントで誕生したLFJは、東京に2005年に上陸。以来、「ラ・フォル・ジュルネ、行く?」が音楽ファンの合言葉のようになっている。今年も5月3・4・5日の3日間開催。人気の理由は、約45分とコンサートの時間が短いこと、チケットが低料金ということ、多彩な無料イベントがあること、会場・東京国際フォーラムのある有楽町や丸の内周辺が、朝から晩までお祭りの雰囲気になること、など。
毎年注目されるテーマだが、今年は「ボヤージュ~旅から生まれた音楽(ものがたり)」。アーティスティック・ディレクターのルネ・マルタンに、『ルネ・マルタン プロデュースの極意』(アルテスパブリッシング)の著者でもある林田直樹さんが、旅と音楽との関係を伺った。

聞き手・文
林田直樹 ONTOMOエディトリアル・アドバイザー/音楽ジャーナリスト・評論家
林田直樹
聞き手・文
林田直樹 ONTOMOエディトリアル・アドバイザー/音楽ジャーナリスト・評論家
1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

旅にインスピレーションを受けて創作された音楽

――今年のテーマは「旅」ということですが、去年は「新しい世界へ」でした。その違いは?

ルネ・マルタン 昨年は亡命や移住、主に政治的な理由で旅立たざるを得ない作曲家たちを扱いました。しかし、今年は自分から旅立った作曲家がテーマです。

彼らの旅の大きな目的は、異国の文化、音楽との出会いでした。たとえば、モーツァルトはイタリアやフランスに旅することによって、音楽的知識や作風を取り入れることができました。「フルートとハープのための協奏曲」や交響曲「パリ」、ホ短調のヴァイオリン・ソナタがパリで作曲されていますし、ピアノ・ソナタ「トルコ行進曲付き」もその時期の作品とも言われています。

モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲 K.299より第2楽章

リストは、生涯に10万キロも旅したと言われています。彼はハンガリー出身ですが、パリでマリー・ダグー伯爵夫人と愛人関係になり逃避行しました。その旅から生まれた作品が「巡礼の年」です。リストはコンスタンティノープル(イスタンブール)にも旅してスルタン(皇帝)の前で演奏したそうです。想像してみてください。飛行機のない当時の交通手段を駆使して行なった、それは大きな冒険だったのです。

リスト:「巡礼の年」の4集より「第2年:イタリア」

――リストのトルコ訪問は興味深いですね。トルコの民族音楽もリストに影響を与えたのでしょうか。

ルネ・マルタン リストは好奇心が旺盛だったので、トルコへの旅も作風に影響したと思います。ロマ(ジプシー)の音楽についての本も書いていますし、リストにとっての旅のすべての経験は、彼の音楽に生かされたことでしょう。コンスタンティノープルでは、スルタンの前で、道端で聴いた旋律をアレンジして変奏曲にして演奏したとも伝えられています。

――その情景を想像しただけで、わくわくさせられますね。

ルネ・マルタン ええ。たくさんの作曲家がどのように旅していたかを想像するだけでもわくわくしますよ。当時は旅が長かったでしょうし、現地に住む作曲家に出会ったり、いろいろな名所を訪れたり、とてもインスピレーションを与えられたはずです。

出会いを求めて旅をした作曲家たち

――今回はそのほかにも、メンデルスゾーン、ベルリオーズ、サン=サーンス、タンスマンなど、実に多くの作曲家がプログラムに上がっていますね。

ルネ・マルタン 全体としては50人ほどの作曲家になるかと思います。その中でも、私が考える一番偉大な旅人はサン=サーンスです。海外旅行を179回、27か国。フランス国内は62都市、136回も旅している。サン=サーンスがいろいろなところに旅できたのは、交通機関の発達の恩恵に浴したということが大きい。1840年頃から鉄道が著しく発達しましたし、19世紀末には大西洋を横断する大型客船が定期運航するようになってアメリカとヨーロッパが結ばれ、彼の晩年には自動車も発明されています。

サン=サーンスの旅行を国別にみると、19回アルジェリアに、16回エジプト、12回スペインに、南米にも3回。アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイにも旅しました。北米ではフィラデルフィア、シカゴ、ワシントンも回っています。彼はフランスの文化大使のような役割を果たしたと言えるでしょう。晩年にはパリに自宅を持たず、ホテル住まいをしていたそうです。彼は、旅からインスピレーションを受けて、たくさんの名曲を生みました。「アルジェリア組曲」、ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」がその代表例です。

サン=サーンスほど、あらゆる交通機関を駆使して旅をした作曲家はいないかもしれない。だからこそ、その音楽はカラフルな印象を受けるし、民族的な旋律もたくさん書いているのです。

サン=サーンス:アルジェリア組曲 第4曲 フランス軍隊行進曲

――旅とは、異邦人になることでしょうか?

ルネ・マルタン いいえ。私にとっては、旅とは他者との出会いです。現地の人や音楽との出会いがあるのですから。

そういう意味ではベルリオーズもたくさん旅をした人です。イギリスやロシアを回り、自作を指揮し、友人たちとの交流を深めました。いろんなところに彼は指揮者として楽譜を持っていかなければいけなかったのですが、モスクワ、ロンドンでも指揮した。きっとパート譜を含めて大荷物だったと思いますよ。

――旅をたくさんした作曲家は、他者を必要としていたということでしょうか。

ルネ・マルタン その通りです。音楽とは障壁のない芸術です。ハイドンはただ自分の作品を演奏してもらえば英国でコミュニケーションがとれました。それは演劇にはできないことです。日本の戯曲がどんなに素晴らしくとも、フランスでは字幕をつけなければいけない。音楽は簡単に国境を超える。だからこそ作曲家はたくさん旅をしたのではないでしょうか。

海軍に所属した作曲家たち

――今回のプログラムに入っているリムスキー=コルサコフ、ルーセル、ジャン・クラといった人たちは、海と関係のある作曲家ということですか?

ルネ・マルタン 旅というテーマの豊かさでもあるのですが、海軍士官だった作曲家がいるということにも気が付いたのです。彼らは海軍に所属して世界を旅しましたが、同時に音楽を愛していました。

リムスキー=コルサコフはペテルブルクの海軍学校を経て、大型軍船に出て3年がかりで世界を回りました。ルーセルも海軍士官でした。彼は海への愛と音楽への愛を常に持ち続けました。ジャン・クラはさまざまな軍艦で世界を回りました。自分の船室に常にピアノを置いていたのですよ。

リムスキー=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」から 第1曲《海とシンドバッドの船》

音楽の歴史で重要な都市

――生まれた国だけで作曲家のことを考えずに、もっと広く見なければいけませんね。

ルネ・マルタン その通りです。彼らは旅を通じて音楽が「複数形」であることに気が付いたのです。そして現地の伝統音楽や民謡などに魅了された……それが旅というテーマを通じて浮き上がってきた、面白いところです。

音楽史の観点からみて重要だった都市があります。

たとえば、ロンドンという芸術の都。当時の音楽家にとって、ロンドンに行くことはひとつのステイタスでした。パリも18、19世紀は同じように芸術の都でした。当時は多くの作曲家たちにとってパリに行くことのみならず、そこで自作が演奏されることも重要でした。リムスキー=コルサコフ、グリンカ、ボロディン、みんなパリに旅しています。

チャイコフスキーのパトロンとして知られるフォン・メック夫人は、拠点がペテルブルクでしたが、休暇中に別荘にドビュッシーを呼び寄せて、子供たちを教えさせました。このときにドビュッシーはモスクワでピアノ三重奏曲を作曲しています。それも重要な旅ですね。

ドヴォルザークがニューヨークの音楽院学長に招かれたのは有名ですね。マーラーもたくさん旅していて、ブダペスト、ハンブルク、ウィーン、ニューヨークと拠点を変えて行きました。

また、20世紀にはスペインの作曲家がたくさんパリを訪れました。アルベニスは「イベリア」をパリで書いていますし、ロドリーゴも「アランフェス協奏曲」をパリで作曲したのですよ。アルベニス、モンポウ、ファリャもパリを訪れています。

――スペインの作曲家たちは、フランスで“スペイン的なるもの”を発見したという話もありますね。

ルネ・マルタン その理由のひとつには、フランス人たちが長い間スペインに興味を持っていたことがあるでしょう。たとえば、シャブリエは「スペイン」という素晴らしい曲を書いています。つまりフランスの作曲家はスペインに惹かれていたし、その逆でもあるのです。

20世紀になりますと、フランスの偉大な教育者ナディア・ブーランジェのところにアメリカの若い作曲家たちが次々とやって来たことも、旅のひとつとして考えられます。彼女はフランスのフォンテーヌブローにアメリカ音楽院を作りました。ブーランジェに師事した人たちは、バーンスタイン、カーター、コープランド、ガーシュウィン、グラス、それから南米になりますが、ピアソラもそうです。

――音楽史的にも大変興味深いことですね、ブーランジェがアメリカの若い音楽家を多く受け入れていたのは…。ブラジルの音楽家エグベルト・ジスモンチは「ブーランジェの最後の弟子だったことをとても光栄に思うし、彼女は20世紀音楽の分水嶺だった」と言っていました。ジスモンチによるとナディアは稀にみる美しい女性だったそうですね。

ルネ・マルタン エレガントで、偉大で、知性に富んでいたと思います。若いときに亡くなった妹のリリーも素晴らしい作曲家だったことも、忘れてはなりません。そういえば、最近亡くなったミシェル・ルグランもナディアの愛弟子でしたね。

シャブリエ:狂詩曲「スペイン」

クラシック音楽も民族音楽の一部

――今回のラ・フォル・ジュルネでは、例年もそうですが、民族音楽系のミュージシャンたちが積極的に取り上げられています。

ルネ・マルタン 私が民族音楽を大切にするのは、いわゆる芸術音楽の作曲家たちが影響を受けているからです。特に今年のテーマは旅なので、そういったアーティストを招くのは自然なことです。

――クラシックだけにしない、そのバランスもラ・フォル・ジュルネの大きな魅力ですね。

ルネ・マルタン エピソードを知れば知るほど芸術音楽と民族音楽の間には境界線がなく、クラシック音楽もまた民族音楽の一部なんだという思いを強く持ちます。作曲家たちは、植民地主義とは違い、あくまで他者の音楽をリスペクトをもって理解し、好きになりたいという気持ちで、旅していたのではないでしょうか。

――差別の壁を越えるという行為が、音楽から起こっていったということですか?

ルネ・マルタン その通りです。真の音楽家であれば、他者の音楽を聴きたいものです。そして素晴らしい音楽を聴けば、人種差別的な感情は消えていく。そこでポイントとなるのは分かち合いの精神であり、障壁となる言葉の違いが音楽にはなかったという点です。

今年のラ・フォル・ジュルネに来てくださる皆さんには、世界中のさまざまな大陸、土地に旅していただきます。きっとシネマスコープ、映画のような音楽祭になると思いますよ。

インタビュアーの林田直樹さんと。
取材を終えて

この取材は、ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019の記者発表のあった2月に行なわれたもの。ルネ・マルタンと会って話すといつも感じるのは、尽きることのない音楽的なアイディアと好奇心とバイタリティのみならず、クラシック音楽の人間を良い方向へと導く力への強い信頼である。

旅することとは、異邦人になることではなく、他者と出会うことだ、というルネの考えには強く共感を覚えた。リスペクトをもって理解しようとし、分かち合おうとすること。それには音楽はもっとも強力な手段となる。

音楽祭のテーマは、何となくあるのではない。それぞれの聴き手が、コンサートをきっかけにさらに好奇心を深め、考えをめぐらせ、それまでとは違った角度から音楽を通して世界を見ることでもあるのだと思う。

林田直樹

ルネ・マルタンのイチオシ! 期待の若手演奏家

ディアナ・ティシチェンコ(ヴァイオリン)

ロン=ティボー国際コンクール2018優勝時のメンデルスゾーン協奏曲の映像。

アナスタシア・コベキナ(チェロ)

LFJ演奏楽曲のグラズノフ「ミンストレルの歌」。

マリー=アンジュ・グッチ(ピアノ)

ルネ・マルタンのプロデュースするMirare(ミラーレ)からリリース中のデビューCD。

ミクロコスモス(スピリチュアル系合唱)

北欧神話の神秘、「ユマラ」の一部(音楽監督ロイック・ピエールによるアップロード)。

だからラ・フォル・ジュルネは面白い! 民族音楽系

カンティクム・ノーヴム(東西の音楽が交わる地中海沿岸のアンサンブル)

公式アカウントによる最新映像。

タヴァーニャ(コルシカ島伝承合唱)

シルバ・オクテット(ロマ&クレズマー音楽)

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