インタビュー
2021.04.02
特集「ピアソラ」

小松亮太が抱く危機感——ピアソラのルーツ「タンゴ」をこれ以上無視してはいけない

アストル・ピアソラ(1921-92)の音楽とその背景について、私たちはどれほどのことを知っているだろう? 日本を代表するバンドネオン奏者・小松亮太さんは、このたびピアソラ生誕100周年を記念して、大著『タンゴの真実』(旬報社)を上梓し、新作アルバム『バンドネオン協奏曲、他』(ソニーミュージック)をリリースする。改めて小松さんに、ピアソラと、そのルーツとなるタンゴの歴史、そしてバンドネオンとともに危機に直面するタンゴの今を伺った。

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 ONTOMOエディトリアル・アドバイザー/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

写真: 各務あゆみ

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ピアソラの前にタンゴの話をしよう

——お久しぶりです。1998年に小松さんがデビューされた頃に『音楽の友』で取材させていただいたときのことを今でもよく覚えています。あの頃すでに小松さんは、ピアソラとかバンドネオンを、決して一過性のブームにしてはいけない、継続しなければという危機感を強くお持ちでした。

小松亮太(こまつ・りょうた)
1973年 東京生まれ。98年、ソニーミュージックよりCDデビューを果たして以来、国内はもとより、カーネギーホールやタンゴの本場ブエノスアイレスなどで、タンゴ界における記念碑的な公演を実現している。アルバムもすでに20枚以上を制作。「ライブ・イン・TOKYO〜2002」がアルゼンチンで高く評価され、03年にはアルゼンチン音楽家組合(AADI)、ブエノスアイレス市音楽文化管理局から表彰された(授与者はレオポルド・フェデリコとカルロス・ガルシーア)。

小松 ピアソラのおかげで、首の皮一枚で何とかなっているというのが世界情勢じゃないでしょうか。相変わらず、すごい新人のバンドネオン奏者が出てくるわけではないし、はっきり言って出てくる人が少なすぎる。ここ何年かは随分良くなった気もしますけど、いいバンドネオンが製造されるというわけでもない。

たとえばピアソラの話をしましょうとなったときに、ピアソラのバックボーンにあるタンゴに関しては、みんな興味をもっていない。ピアソラという個人名に興味はあっても、タンゴというとアルゼンチンの田舎の民族舞踊の伴奏ですか? というような誤解がまかり通っています。こちらの発信している情報が届いていないジレンマはいつでもあります。

——今回出版された『タンゴの真実』を拝読すると、その強い思いが伝わってきます。

小松 タンゴは、日本の7.5倍も広いアルゼンチンの中でも、ほぼ首都ブエノスアイレスだけの音楽です。民族音楽では全然なく、わざわざ頭で考えて作った人為的な音楽であり、そこで主役を張っているバンドネオンは、なぜかドイツの楽器です。

タンゴ界の人たちは、これは「俺たち独自の文化だ」と言っていますが、実際はみんな移民で烏合の衆で、本当は自分たちのアイデンティティがよくわかっていないというコンプレックスがある。そこではあまり見せたくない事実は見せません。そういうことが積み重なって、タンゴのルーツが見えにくくなっていたということがあります。

タンゴがエスニックなものだというのも誤解です。ローカリティは強いけれども、そのエリアの中の極端にヨーロッパ化された一つの場所で作られた音楽です。黒人の音楽の影響も少ない。そういう意味では異様な音楽です。

これをちゃんと紐解いて、世の中にオーソライズするということを、タンゴ界みずからがしてこなかった。それをして来なかったことによって何が起きたかというと、タンゴの外の世界の人たちにいくらでもいじくられてしまう。アルフレッド・ハウゼのような、ドイツを中心としたイージーリスニングの人たちが作ったコンチネンタル・タンゴの一種と、アルゼンチン・タンゴはまったく混同されたまま認識されています。

ピアソラ以外のタンゴって何を知ってる? と音楽関係の人たちに聞くと、コンチネンタル・タンゴですかという話になっちゃう。あるいは、ピアソラの音楽ってどこから来ていると思う? と聞くと、「タンゴっていう南米の情熱的な踊りの伴奏の音楽でしょう?」という話になってしまう。ピアソラだけがすごい、それに引き換え昔のタンゴは……というのも違う。

今回の本を書いたのは、アルゼンチン・タンゴの内側の人たちですら気が付いていない、タンゴの素晴らしい部分、どうしようもない弱点、でもここがすごいということを、明らかにしたかった。タンゴのダークサイドもひっくるめて、歴史も書いて、これがタンゴの価値の中の宝石であるという部分が見えてくるように……。そうすると、やっとピアソラのやったことの意味が見えてくる。

——アルゼンチンは移民の国、ブエノスアイレスは移民の街、という話がありましたが、いま「移民」が世界史のなかで持っている意味が、見直されていますよね。アメリカの分断もそうですし、歴史的に考えれば日本も本来、多民族の文化が混ざり合っている国です。海も、陸と陸を隔てるだけではなくて、港と港をつなぐ海路という考え方もありますから。

小松 アルゼンチンでも、人為的に移民たちがタンゴを作ったあと、それがパリに渡り、東欧で流行し、満洲や上海に流れていった。それをやっているうちに、アジアでは戦前に、日本だけがフランスからタンゴを輸入しているわけです。その頃は日本にもバンドネオン奏者がたくさんいたんです。しかもフィリピン人のバンドネオン奏者まで日本にいた。

ネットはおろか、国際電話もままならない昭和7年に、いまの溜池山王あたりに、「フロリダ」というダンスホールがありました。その頃は、今と同じようにジャズやクラシックの演奏家が、おそるおそるタンゴに手を付けていたんですが、そこの店長が、本場のグループを呼ぼうと言い出して、当時タンゴの本場だと言われていたパリからタンゴ楽団を呼んだ。ところが、そのパリのタンゴ楽団にいたバンドネオン奏者はポーランド人でした。

この辺のことは、後から見ると、すべてがタンゴの歴史の中でなぜバンドネオンがドイツからアルゼンチンに渡ったのかということと、エキサイティングに符合していくんです。その辺の歴史もこの本には書きましたけど。

ピアソラはタンゴの“第二次”革命家だった

小松 「ピアソラが、それまで踊りの“伴奏”だったタンゴを、“主奏”に変えた」というのはまったくの誤解です。事実と違う。ピアソラは第2次革命家なんです。

第1次革命をしたフリオ・デ・カロを中心とした人たちがいて、彼らはタンゴを踊りの伴奏じゃなくて、ちゃんと座って聴ける音楽にしようよということを、ピアソラの親世代の一派がすでにやっている。

作曲家・ヴァイオリニストのフリオ・デ・カロ(1899-1980)の演奏

——その中でのピアソラの登場の意味はどういうことになるんでしょうか。

それが終わってからまたダンスブームの波が来たんです。ペロン大統領(エビータの旦那さんです)の独裁政権が、ばらまき政策の果てに1955年に倒れ、タンゴバブルが終わったときに、ちょうどピアソラがパリでの勉強から帰ってきた。そこから本気で暴れだした、という経緯があります。

ピアソラがニューヨークに住んでいた小学生のときに、とっくにブエノスアイレスではタンゴの革命は起きていたんです。ピアソラが物心ついた18歳のときアルゼンチンに戻ってきて、ラジオから流れてきた、先輩たちが演奏している、聴くためのタンゴを標榜している演奏を聴いて、タンゴに本気で目覚めて、先輩たちに弟子入りしたのです。

ピアソラが尊敬し、曲名にもなっているアルフレド・ゴビ(1912-1965)の演奏

いかにもピアソラという感じがする音楽は、彼が70年代以降にやっていた音楽だと思うのですが、僕はピアソラの本当にすごい時代は1950年代のブエノスアイレス八重奏団の頃だと思う。なぜかというと、まずタンゴがものすごい状態だった。そこにピアソラがさらにとんでもないものを持ち込んでいるから。

ピアソラの本当のすごさを知るためには、ピアソラの先輩たちの仕事を知らなくてはいけない。もうひとつは、ピアソラの味方をした先輩だけじゃなくて、敵を知らなくてはいけない。ピアソラのやっていることはタンゴではない、けしからん! と言った人たちです。彼らも完成度の高いことをやっていて、ピアソラがなかなかその壁を破れないくらいだったのです。

ピアソラが生涯をかけてやろうとしていた革命は、1956年~57年の八重奏団の頃、ここで完成されていたと思います。これをどんなふうにして、ハイブロウすぎずに一般の人たちにもわかるものにしていこうかということにピアソラは心血を注いだ。

ピアソラが中心となった「ブエノスアイレス八重奏団」の演奏

80年代のピアソラは、言ってみれば、先輩たちがいなくなった時代のピアソラです。彼の周りを固めているミュージシャンたちはみんな彼の後輩になった。そこで何が起きるかというと、あまりにもピアソラ個人の世界です。

彼は80年代だけでなく、60年代から70年代にかけてもキンテート(五重奏団)を作っていますが、そこで彼はメンバーに先輩を半分くらい連れてきているんです。そこで何が起きるかというと、ピアソラが若かった頃のタンゴと、ピアソラの新しいアイディアが、ケミストリー(化学反応)を起こすんです。

「君のタンゴは面白いね」と言っている伝統的なタンゴの味もそこにはある。一緒にやっているピアソラは、先輩に影響されたタンゴ的な演奏もやっている。つまり伝統的な味と革新的な味が、ちょうどミックスしている。

ピアソラのキンテートとしての最初の録音『ピアソラ、ピアソラを弾く』(1961)

ピアソラの新しさを支持し応援したタンゴの先輩たちは、ピアソラのどこがタンゴの魂の次世代を継ぐものなのかということを理解していました。

ところが、現在の状況がすでにそうなっていますが、もしピアソラ一人がタンゴとは離れて別のジャンルという風にしてしまうと何が起きるかというと、タンゴというジャンルが本当に消えてしまう。

絶滅の危機に瀕するタンゴ

小松 一つの音楽ジャンルが消えるなどというと、大げさなことを言っていると思われるかもしれませんが、タンゴという音楽が消える可能性は十分にあります。なぜかというとバンドネオンを使っているから。

これが他の音楽ジャンルとはまったく違う状況なのです。ピアノ、ヴァイオリン、ギター、トランペット、こういう楽器は生きながらえることができています。ところがバンドネオンの場合、戦前製のいい楽器がどんどん減っているんです。

——新しいバンドネオン製作家が出てきていないんですか?

小松 出てきてはいるんですけど、戦前の楽器と比べると、まったく間に合っているとはいえません。

小松さんの愛器も戦前のドイツで作られたAA社製のもの。

——つまりバンドネオンという楽器の命脈が絶たれてしまう可能性があるということと、もう一つは演奏家の問題ですね?

小松 かつてアルゼンチンにはバンドネオンのしっかりした教育システムがありました。ところが、これはどこの国でも同時多発的に起きていることなのですが、バンドネオンを買ってきて1年くらい練習すると、ピアソラの有名な曲のメロディが適当にどうやら弾けるようになる。そうすると、SNSでプロのバンドネオン奏者を自称して、周りもピアソラの曲をやるときにバンドネオンが欲しいからどんどん起用されるようになる。簡単に世の中に浮上できてしまう。

僕はこれまでにプロもアマも200人くらいの人を教えてきたのですが、みんなバンドネオンを買ってきて練習して、すぐにピアソラを弾けるようになって、ライブをやって拍手されるという誘惑にどうしても勝てない。

普通の楽器ですと、たとえばピアノでも、どんな天才だって地道に練習を重ねたうえでようやくデビュー、ということになります。ところが、バンドネオンだと楽器を買って2年目みたいな人がすぐにデビューしてしまう。そういうことがあって、レベルが上がらない。

——普通のクラシックの楽器はアカデミズムのなかで教育されています。バンドネオンはそういうところから除外されていますよね?

小松 1940年代のアルゼンチンのタンゴ全盛期ではバンドネオンの先生が塾を開いていました。そこで何が起きていたかというと、最初はタンゴは禁止。とにかく弾かされるのはバッハのインヴェンションなどで、教材もしっかりとしたものが作られていました。

ところが今のアルゼンチンではタンゴは一般の人々には縁遠く、バンドネオンも稀少価値の高いものになり、観光資源のようになって、若い奏者にとっても、かつてのような厳しい世界ではなくなりました。

バンドネオンの非合理性が独特の音色を生んでいた!?

——バンドネオンは、ボタンの並びが非合理的だと言われますね。そもそも鍵盤楽器は合理性によって成り立った楽器です。つまり楽器に工業化と機械の要素があり、完成度を高めていくという性格があります。モダンピアノは20世紀に完璧になった機械です。一方で、ギターはいまも成長し続ける楽器であり、ヴァイオリンはある時点で完成したものをレプリカし続けている楽器とも言えます。

じゃあ、バンドネオンはどうなのかというと、そこが面白いと思うんです。

小松 実はバンドネオンも、これまでに随分といろんな製作者が合理化しようとしてきた歴史があります。その過程でいろんな変種も生まれてきたんです。でも結局は変えることはできなかった。その理由は……やはり音ですね。

これも本のなかに書いたことですが、バンドネオンの箱も部品も一切何も変えずに、ボタンのドレミファの並びだけを合理的な配列に並び替えてみる。すると、いきなりこの特有の音ではなくなるんです。ピアニカの音みたいになってしまう。

——そうなんですか! 

小松 このボタンのめちゃくちゃな並びが、バンドネオンにしかない出せない、特別な音を作っている。それだけは確かです。たぶん倍音成分が変わっちゃうんだろうと思います。

ドの隣にはドのシャープか、レがある。それが普通の楽器ですね。ところがバンドネオンでは、ドの隣にいきなり11度上のファがある。ラの隣にいきなりドのシャープがある。偶然かもしれませんが、このめちゃくちゃさが、何か共鳴現象を起こして、いい音を出しているみたいです。

——演奏する側にとってはどうですか? めちゃくちゃな並びのボタンが、何か音楽的なメリットを生んでいるという実感はありますか?

小松 いやあ、正直言うと、いくらなんでも、これは何とかならなかったんですか、というところはありますね(笑)。ドミナント、トニックの和音を弾くのを簡単にするために作ったようですが、そこからボタンを追加していくうちに、わけのわからない並びになっていっただけですから。

——そうなると、昔のアルゼンチンのバンドネオン教室で、バッハのインヴェンションをしつこくやらせていた理由もわかるような気がします。つまりバンドネオンを本当の意味で国際的に通用する立派な楽器へと高めるためには、このボタン配列で演奏しやすい曲だけに、安易に流れてしまってはいけないと。

小松 逆を言うと、「バンドネオンは悪魔が発明したみたいに難しい楽器だ」という言われ方はどうかと思いますね。どんな楽器だってちゃんとやろうと思ったら難しいんですから。

不安定な帰国子女の街ブエノスアイレスに咲いた大輪の花「タンゴ」

——ピアソラはタンゴを生んだ街、ブエノスアイレスにこだわっていました。ではブエノスアイレスの本質って何だったと思われますか?

小松 街のそのものが帰国子女、ということでしょうね。アイデンティティが揺らいでしまってしょうがない人たちです。俺たちはこうだよね、というのがなかなかない。あるときはドイツ人みたいにきちんとしているかと思えば、フランス人みたいにわがままになる。言い方は悪いですが、ヨーロッパのクラシック音楽の血脈をもった、特にイタリア系の人たちが、自分の国で食い詰めて、南米に引っ越してきて、クラシック音楽ごっこをもう一回やった。タンゴはそういう音楽だとも思います。

タンゴのコントラバスは、弓をしょっちゅう使う。ポピュラー音楽におけるコントラバスは基本的に全部ピチカートですが、弓をあんなに使うのはタンゴだけです。それはクラシック上がりだからです。ブエノスアイレスの人たちは、俺たちは南米のパリなんだと、ヨーロピアンなんだという屈折したプライドがあったと思います。

——二度の世界大戦があって、ロシア革命があって、ヨーロッパから南北アメリカ大陸に移民してきたという流れがありました。その中で、古いヨーロッパが離れた場所で命脈を保つということが起きてきたと思います。ブエノスアイレスのタンゴには、そういう失われたヨーロッパの美しさが残っていたともいえるのでは?

小松 でも、タンゴの弱点は、民族音楽ではなくて、人為的に作った音楽だということです。根っこが浅いくせに、その上に開いた花がすごすぎた。その花を狙って、タンゴっていいねと世界中からやってきたおかげで、花は全部散ってしまった。

ギドン・クレーメルは確かにすごい人です。でも、彼の演奏を聴いて、それはタンゴじゃないと言える人たちがいなかった。

——でも、クラシックの人たちは、みんなピアソラがやりたいんだと思います。だって、20世紀音楽の中の類まれな果実なんですから。それをみんな狙っている。

小松 ピアソラのいい演奏をしたいんだったら、その背景にあるタンゴを知ったら、もっと面白いものになるし、実際演奏も良くなるんだよと言っているんだけれども…。

——先ほど小松さんはクラシック音楽ごっこ、という表現をされましたが……。

小松 嫌な言い方だったかもしれませんが(笑)。

——でもそういう意味では、ピアソラは現代音楽ごっこをやりたかった人なのでは?

小松 いい意味でそうだと思います。ピアソラはクロスオーバー、ジャンルレスという時代を作った中の一人で、ちょうどその世代のパイオニアじゃないですか。世界中でクラシックとジャズと、ワールドミュージックとロックと、つながっていくということが起こっていた中で、ピアソラはタンゴでそれをやったんだと思います。

とにかく、ピアソラの音楽がどこから来たのかということを、これ以上無視しないでほしい、これだけは言いたいですね。

取材を終えて

デビュー当時から現在に至るまで、小松亮太さんはずっと危機感を持ち続けている。あまりにもピアソラが誤解され、バンドネオンが誤解され、タンゴが弱っている状況に対して、怒りにも似た思いすら抱えている。

そんな小松さんの姿勢のピュアなところに、私はとても魅力を感じる。今回の本『タンゴの真実』には、譜例も多く掲載されていて、すぐれたタンゴを演奏するにはどうしたらよいか、さまざまな理解へのヒントが網羅されている。それは、聴き手にとっても目からウロコの面白さである。

新譜『バンドネオン協奏曲、他』も素晴らしい演奏内容だ。フランスの名指揮者ミシェル・プラッソン指揮新日本フィルとの共演は、ピアソラ晩年のいまだ本当に理解されているとは言い切れない「バンドネオン協奏曲」の魅力を、力強く情感豊かに伝えてくれる。

きっと小松さんの活動は、未来へとタンゴを、ピアソラを、生かしていくための大切なよすがになっていくことだろう。

林田直樹

CD情報
演奏会情報

■ピアソラ生誕100年〜ピアソラの音楽でつづるタンゴ革命の軌跡
2021年5月15日(土) 高崎芸術劇場スタジオシアター(群馬)

■アストル・ピアソラ生誕100年記念~小松亮太&オルケスタ・ティピカ
2021年5月20日(木) ビルボードライブ大阪(大阪)

■小松亮太&オルケスタ・ティピカwith国府弘子 ~アストル・ピアソラ生誕100年記念~
2021年5月22日(土) カルッツかわさき ホール(神奈川)

■小松亮太によるアルゼンチンタンゴ・バンドネオン レクチャー&ミニコンサート
2021年7月3日(土) DMG MORIやまと郡山城ホール・小ホール(奈良)

■いずみシンフォニエッタ大阪 第46回定期演奏会
2021年7月10日(土) いずみホール(大阪)

詳しくは小松亮太オフィシャルサイト

小松亮太Newアルバム「ピアソラ:バンドネオン協奏曲 他」

2021年5月5日(水)発売予定

3,000円(税抜)  SICC-30577 Blu-specCD2

収録曲:

アストル・ピアソラ/バンドネオン協奏曲(1)、コルドバに捧ぐ(2)、AA印の悲しみ(3)、ロコへのバラード(4/藤沢嵐子ラスト・コンサートより)【ボーナス・トラック】(5)小松亮太:雨あがり〜after the rain〜(日本テレビ系「news every.」お天気コーナーテーマ曲)

 

録音:

(1)2019927日・28日 すみだトリフォニーホールにてライヴ収録。小松亮太(バンドネオン) ミシェル・プラッソン指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

(2,3)19951119日・127日 AUDIO PARKにて収録(小松亮太とタンギスツ「アルゼンチン・タンゴの現在」より)

(4)1991 96日 虎ノ門ホールにてライヴ収録藤沢嵐子(Vo)、小松真知子とタンゴ・クリスタルのライブ演奏)

(5)2020224日 Sony Music Studios Tokyoにて収録

取材・文
林田直樹
取材・文
林田直樹 ONTOMOエディトリアル・アドバイザー/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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