音楽家の健康に西洋医学が正面から向き合う時が来た~整形外科医・酒井直隆さん×ヴァイオリニスト・石上真由子さん
演奏家やダンサーら、パフォーミングアーツの現場で様々な健康問題を抱える実演家を支援するための国内初の組織、「日本演奏芸術医学研究会(Japanese Performing Arts Medicine Association=JPAMA)」が2022年7月18日に発足する。設立準備の先頭に立ってきた整形外科医、酒井直隆さん(医療法人アーツメディック さかい整形外科院長)のお話を、医師免許を持つ新進ヴァイオリニストの石上真由子さんと2人で聞いた。
1958年東京都生まれ。81年に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業、(株)日本経済新聞社へ記者として入社。企業や株式相場の取材を担当、88~91年のフランクフルト支...
——酒井先生はいつ頃から、音楽家の治療に当たって来られたのですか?
酒井 私は「手外科医」として国内で30年以上、治療を続けてきましたが、そもそも音楽家を診る専門医の数は世界でも非常に限られています。1980年になってようやく、米国で2人の医師(ブランドフォンブレナーとレダーマン)がPerforming Arts Medicine Association(PAMA)を結成、音楽家とダンサーの医学に関するシンポジウムを毎年夏に開いてきました。対象は運動器疾患を対象にした整形外科や神経内科から、次第に声楽家向けの耳鼻咽喉科や精神科にも広がっています。
ジストニアはまだ不明なことが多い病気
——音楽家やダンサーが受診する症例には、どのようなものがありますか?
酒井 最も多いのは腱鞘炎で、全体の4分の1くらい。手や肘などの骨への付帯部の炎症(付着部炎)、筋肉痛を合わせれば6割ほどになります。次いで関節。変形性関節症など加齢に伴う痛みのほかに、お子さんがまだ小さい手を無理に広げて痛めることもあります。4番目が神経炎やジストニアなど、神経障害です。
石上 ジストニアは音楽家も関心が高い疾患だと思うのですが、現在行われている治療法にはエビデンスはあるのでしょうか。
酒井 音楽家のジストニアは他のジストニアとは異なる特殊な症状がみられます。ピアニストなら音階の演奏で症状が出やすいなどの発症パターンがあり、日常の箸使いはまったく問題ないのに、演奏中にだけ症状が出ます。
投薬とリハビリテーションを組み合わせ、改善するケースもありますが、まだ不明なことが多い病気です。
音楽家にボディ・メンテナンスは欠かせない
——石上さんは研修医寸前で医師のキャリアを止め、現在はヴァイオリン一本で活躍されています。演奏活動を通じ、何か身体のトラブルに見舞われたことはありますか?
石上 最近になってようやく、色々な不調を自覚する機会が増えました。学生時代は、むしろ「弾いている方が肩凝りも治っていい」くらいに思っていたのです。演奏頻度が今とは全く違っていたし、重いスーツケースを引いて長距離を移動する機会も限られていました。
昨年、あるオーケストラとの共演中に首を痛め、ゲネプロ中止に追い込まれた時、楽員さんが即効性のある鍼灸と整体の先生を紹介して下さり、事なきを得ました。生まれて初めて、「無理をしていたのだ」と気付きました。
改めて見渡せば、周囲の年長者やオーケストラ・プレーヤーの多くが整体や鍼など、ボディ・メンテナンスの施術を定期的に受けています。ただ病院にかかる人は少なく、整形外科に行くとしたら腱鞘炎や腰痛、ぎっくり腰といった強い疼痛を伴う急性期治療のための通院が大半ではないでしょうか。
音楽家の治療にようやく時代が追いついた
酒井 医師が音楽家固有のトラブルに長年、目を向けて来なかったことも一因ですし、いざ医療機関に通院となると「休め」と言われる(収入の道を断たれる)から身動きが取れず、鍼灸院や整骨院に通い「練習しながら治す」と考えてしまう音楽家側の事情もあります。
私は医学部学生時代に「音楽家を治療したい」と手外科医やリハビリテーション医に相談しましたが、「日常生活復帰だけでも大変なのに、お稽古事を治療対象にするのか」「趣味と仕事を混同するな」と反対されたものです。でも今は時代が変わったことを、ぜひ学生や若手医師・歯科医師に伝えたいですね。
実際の需要に即して考えると、高齢化社会の拡大で退職後に楽器を始める人は増えており、スポーツ医学並みの成長を見込める分野だと確信しています。
西洋医学でも長期的な根本治療を
——石上さんも医大生時代、整形外科医を目指していましたね。
石上 幸い私が学んだ京都府立医科大学にはスポーツ整形がありましたが、ヴァイオリニストが手を壊しても、おそらく音楽家に特化した症例数が圧倒的に少ないので「音楽家に寄り添った治療を行うとしても、スポーツ整形などの症例を参考にするのが現段階での最善策だろうな」と思いました。
もし急性期の対症療法だけでなく、長期的な根本治療への対応が可能となり、その認識が普及すれば、多くの音楽家が安心して受診できるようになると期待します。整体や鍼灸には「合う、合わない」の個人差があり、日本演奏芸術医学研究会のような専門組織が生まれ、西洋医学の見地からもそうした相性の幅を狭められれば、素晴らしいと思います。
日本フィル&サントリーホール とっておき アフタヌーンVol.19
心に音楽のエールを
日時:6月2日13時20分
会場:サントリーホール
出演:鈴木優人(指揮)、石上真由子(vn)、高橋克典(ナビゲーター)
曲目:ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲第1番」、ラヴェル《ツィガーヌ》、メンデルスゾーン「《真夏の夜の夢》序曲/組曲」から
問合せ:日本フィル・サービスセンター03-5378-5911
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