
名伯楽シェレシェフスカヤにきく 真の音楽家を育てることとは?〈前編〉「才能」の意味

レナ・シェレシェフスカヤは、ロシア出身で現在フランスを中心に活躍する世界的なピアノ名教授の一人。アレクサンドル・カントロフ、リュカ・ドゥバルグ、レミ・ジュニエ、また日本出身の田所光之マルセルなど、それぞれが国際舞台で独創的な活動を展開しているのも、シェレシェフスカヤ門下の特長といえるでしょう。今もっとも教えを請われる教授のロング・インタヴューがこのたび実現、前編では氏がロシアで携わった早期教育や、「才能」というものをめぐる考えについて伺いました。

岡山市出身。京都市立堀川音楽高校卒業後渡仏。リヨン国立高等音楽院卒。長年日本とヨーロッパで演奏活動を行ない、現在は「音楽の友」「ムジカノーヴァ」等に定期的に寄稿。多く...

1941年12月創刊。音楽之友社の看板雑誌「音楽の友」を毎月刊行しています。“音楽の深層を知り、音楽家の本音を聞く”がモットー。今月号のコンテンツはこちらバックナンバ...

Rena SHERESHEVSKAYA
著名な教育者としても知られるピアニスト。ロシア国立モスクワ音楽院および同大学院を修了。才能豊かな子どもたちを教育するモスクワ音楽院付属中央音楽学校で12年間教え、イッポリトフ=イワノフ音楽教育研究所ではピアノ科主任も務めた。
フランス芸術文化勲章シュヴァリエ受章。イッポリトフ=イワノフ音楽教育研究所名誉教授であり、世界の音楽文化の発展における顕著な貢献に対して贈られるイッポリトフ=イワノフ国際教育賞を受賞している。
1993年コルマール音楽院の客員教授としてフランスに招かれる。以来、パリ国立高等音楽院、リュエイユ=マルメゾン地方音楽院、エコール・ノルマル音楽院で教鞭をとり、現在もエコール・ノルマル音楽院で後進の指導にあたっている。アレクサンドル・カントロフ、リュカ・ドゥバルグ、レミ・ジュニエら、主要な国際コンクールで入賞を果たし世界で活躍する若手ピアニストを多数輩出している。
フランス、スイス、ドイツ、イタリア、中国等、世界各地のアカデミーや音楽祭でマスタークラスを開催。また、ロン=ティボー(フランス)、サンタンデール(スペイン)、ヴィオッティ(イタリア)、ゲザ・アンダ(スイス)、モントリオール(カナダ)、マイ・リンド(フィンランド)、仙台といった主要な音楽コンクールで審査委員も務めている。
国際的に活躍する著名な音楽家たちと室内楽に取り組むほか、娘でメゾソプラノ歌手のヴィクトリア・シェレシェフスカヤとのデュオで、フランスをはじめヨーロッパ各地でコンサート活動を行なっている。また、フランスで長年開催されているフェスティバル「Artistic Dynasties and Families」の創設者であり、芸術監督を務めている。
©船越清佳
リュカ・ドゥバルグは教育システムの対極にいる人
――シェレシェフスカヤ先生は多くの著名ピアニストを育てた名伯楽として知られ、門下生それぞれが、先生から受けた教えや影響について語っています。異彩を放つのは、やはり21歳までアマチュアとしてピアノを弾いていたリュカ・ドゥバルグではないでしょうか。シェレシェフスカヤ先生に出会っていなければ、今の彼はあるのだろうか……と思わずにはいられません。
シェレシェフスカヤ(以下S) リュカが最初に師事したクリスティーヌ・ムニエ先生は、プロを養成するための技術的な指導は十分に行なわなかったかもしれませんが、思春期のリュカをよく理解し、彼の中に音楽への愛を育みました。これは私にとって、何にも増して重要なことです。
――リュカは自身の音楽へののめり込みようを「ファナティック」と評していますが、やはりありふれた少年ではなかったのですね。コンピエーニュ市の音楽院でピアノを学び始めたのが11歳のときですから、音楽と勉強を両立するための教育システムが整っているフランスでも、ピアノを始める年齢としてはかなり遅いですね。
S リュカはフランスの音楽教育システムから生み出されたのではなく、いわばその対極にいる人です。彼は子ども時代からあらゆるジャンルの音楽を聴いていましたが、10歳のころ、モーツァルトの音楽から啓示を受ける体験をしました。(筆者註:ドゥバルグは、フランス・ミュジックのラジオ番組で、モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番 ハ長調」の第2楽章を聴きながら「世界がひとつになり、芸術、人類、自然、すべてが同じ言語で会話を始めたように感じた」と自身の体験を話している)。
子どもを型にはめ、ピアノを嫌いにさせるような指導をする先生も多くいる中、ムニエ先生はリュカを抑圧せず、彼の創造性や好奇心を尊重したのです。これは彼にとって実に幸運なことでした。
――シェレシェフスカヤ先生は、わずか4年でリュカをチャイコフスキー国際コンクール入賞まで導かれました。リュカの活躍に感銘を受けて先生のもとを訪れたのがアレクサンドル・カントロフだったそうですね。彼は先生の教えを「神秘」と形容し、現在も卓越した若者たちが、世界中で先生の教えを求めています。
S それは少し違います。私はあらゆるレヴェルの生徒のレッスンをしてきましたし、モスクワにいた頃の私は「マザーテレサ」、フランスに来てからは「ガラジスト」(自動車修理工)などと呼ばれていたのですよ。困難に直面した生徒に解決策を与え、治す先生ということで。
「才能」を発見する2つの視点
――初めて聴く若手の演奏に「才能」を感じるのはどのような点ですか?
S 2つの視点があります。まず、私に響いてくる「何か」、たとえ数箇所であっても、そのピアニストの音に「ダイヤモンドの原石」を見出すかどうか。だから周囲に「誰でも救えるとは限らない」と言われても、リュカを生徒として受け入れたのです。
もう一つは「ピアニズム」の視点です。正統なピアノ奏法の「エコール」によって育成され、技術上(ここで私の指す「技術」とは、演奏解釈を音に表現する技術のことです。ただ指を速く動かすこととは別物です)の問題にほぼ触れる必要がなく、私の説明、または演奏から、演奏解釈や作品に対する思想をただちに理解し、共有できる人です。
私の今までの人生では、唯一アレクサンドル(・カントロフ)がこのケースでした。もちろん改善点は多くありましたが、それを考慮に入れても、彼の基礎能力はロシアの特別音楽学校(才能ある子どもを選抜して養成する音楽学校)で育てられた若者とほぼ同レヴェルだったと言えるでしょう。

早期教育に「比較」や「競争」は必要ない
――ロシアの子どもたちの音楽教育について教えてください。ロシアではとても厳しい音楽教育が行なわれているのですよね? 競争も激しいのでしょう?
S それも誤解ですね。大多数の子ども向けの音楽学校は、アマチュア教育のためにあるのですよ。競争という概念もありません。ロシアでは、コンクールとは誰でも受けるものではなく、特定の一部の人のものだと考えられています。
私がフランスに来たばかりの頃、これほど「平等」を掲げ、音楽を「楽しみ」とする国なのに、小さな市でもコンクールが開催されていることに、とても驚いたものです。
一方、ロシアには才能ある子どもたちのために専門的な特別教育を行なう学校もあります。その例がモスクワ音楽院附属中央音楽学校やグネーシン音楽学校です。私は出身地の特別音楽学校で学び、のちにこのモスクワ中央音楽学校で教鞭をとりました。日本にも子どものための同じような音楽学校があると聞いています。
これらの学校の入試では、演奏力、理論、リズム感、メロディを記憶する力、歌う力、聴く力などを専門家が審査し、適性のある子どもたちを選抜します。もっと小規模な音楽学校に通う子どもたちも、試験に合格すれば入学できます。我が子を演奏家にしたいと躍起になる親御さんはロシアにもフランスにも同じほどいますが、試験があることで、親御さんは冷静さを取り戻します。5〜6歳の子どもたちを無理やり痛めつけるわけにはいきませんから。
幼くても、音楽が大好きで夢中になる子どもがいます。この子たちは、音楽を通して表現したい世界をすでに持っており、そのための技術を早く学びたくてうずうずしています。このような子どもたちを早い時期から適切に導く場が「特別音楽学校」なのです。そして、音楽がそれほど好きではなく適性も今ひとつなら、無理に「起こさない」。子どもたちの個性の尊重という観点で、私にとってはこちらの方が平等の精神に則ったデモクラシーです。
いっぽうで念を押しておきますが、中央音楽学校の生徒も、全員が天才というわけではないのですよ。彼らは、将来の音楽家として適性を有しているというに過ぎません。天才とはミハイル・プレトニョフやエフゲニー・キーシンのような人を指すのです。
特別音楽学校でも、子どもたちにプレッシャーをかけるのは学内試験だけで十分と考えられていました。改善すべき点、勉強すべき点を明確にし、励まして次のステップへ向かわせることが試験の目的です。比較や競争とは別物なのです。
アマチュア・ピアニストを支援することの幸せ
――先生はアマチュア・ピアニストのレッスンもされていますね。
S 私にとって、ダイバーシティ(多様性)は神聖な価値観です。音楽との関わりにはさまざまな形があってよいのです。
ある時期、私はフランスで〈アマチュア・ヴィルトゥオーゾ〉というアマチュア・ピアニストの会を支援していました。子どもの頃からよい先生に師事し、才能がありながらも、親御さんに音楽を職業とすることを許されず、他の職業についている方々の会合です。その一環でマスタークラスやコンサートが開催されていました。
その中に、私のレッスンを希望する外科医の男性がいました。訪れた彼は自分の身の上話に3時間を費やしました。音楽家になることを親に許されず、「指を使う」という理由のみで外科医になり、定年までキャリアを全うしたけれど、どれほど自分は音楽家として生きたかったか……と話しながら、子どものように泣きじゃくったのです。
私が教えていたパリ近郊リュエイユ・マルメゾン地方音楽院の生徒にも、素晴らしいアマチュアがいました。私はこのようなピアニストたちに心を動かされるのです。以来多くのアマチュア・ピアニストと知り合いました。
大規模な国際コンクールもアマチュア部門を創設しています。グザヴィエ・エモノ(Xavier Aymonod)という生徒は、ヴァン・クライバーン国際コンクールのアマチュア部門に参加し、プロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番」をオーケストラと共演しました。そのとき彼は怪我をしていて、ギプスをはめた足で渡米したのですよ。
オリヴィエ・コルベール(Olivier Korber)という生徒は、経済アナリストとして銀行に勤めています。彼の職場の廊下には、日本製の小さなピアノ防音室が設置されています。休憩時間に社員がピアノの練習ができるよう、銀行側が奨励しているのです。オリヴィエは作曲も手掛け、そのCDは素晴らしい仕上がりで、フランスの音楽評論家オリヴィエ・ベラミーにも注目されました。
これが音楽教育システムの結果と言えるでしょうか? 彼らは音楽への愛と情熱を全身にたぎらせている、それに尽きるのではないですか? 彼らと交流し、サポートすることに私は幸せを感じるのです。
関連する記事
-
イベント映画『ブーニン 天才ピアニストの沈黙と再⽣』が2026年2⽉20⽇に公開!
-
レポート【取材の裏側】音楽家・阪田知樹の脳内を覗く! 『音楽の友』9月号表紙&特...
-
プレイリストピアニスト、アレクサンダー・ガジェヴ~”再生”を必要としているあなたに送るプレイ...
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
新着記事Latest















