舘野泉&畠中秀幸 特別対談「左手になって、自分たちの音楽は変わったのか」
新刊『ハイクポホヤの光と風』刊行直前のピアニスト・舘野泉さんと、『左手のフルーティスト』刊行を準備中の畠中秀幸さんが札幌で邂逅。病気を経て変わったことと変わらないこと、左手になってより鮮明になった自身の音楽の姿を語り合いました。
福岡県生まれ。美術公論社、マガジンハウスで編集に携わり、現在は音楽之友社出版部の契約スタッフ。学生時代はテニス、いまはアマチュア合唱団に所属し、フォーレやラターの宗教...
フィンランドへのあこがれ
畠中 お会いできることを本当に楽しみにしていました。いきなりですが、舘野さんは、なぜフィンランドに向かわれたんですか?
舘野 僕の母方のおじいさんが北海道の室蘭で眼科医を開業していて、母親は3歳から18歳までそこで過ごしていました。そのせいかな、北への志向が強いんです。
中学の頃に北欧の文学に出合って、そこで感じる光がほかの国と違うことにとても惹かれた。そのうちに、学校(慶應中学)で海外にペンフレンドがほしい人は手紙を仲介してくれることになって、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマークの北欧4国に手紙を出したら、返事が来たのはフィンランドだけだったんです。
藝大を卒業して2年目に半年かけてヨーロッパを回りました。当時、フィンランドはとても貧しかった。第二次世界大戦の敗戦国だったからね。領土も割譲されて。でも人々はとてもけな気で、誇りをもって過ごしていた。
音楽の中心はドイツやフランスだとみんなは言うんだけれど、フィンランドの質素な生活に僕は惹かれたんです。音楽の勉強はどこにいてもできるからね。自分が音楽を持っていればどこに暮らしていてもいいんですよ。
畠中 僕もシベリウスとか、アルヴァ・アアルト(フィンランドの有名な建築家)が大好きです。アアルトが設計したフィンランディアホールに、まだ行ったことがないんですよ。建築や家具もフィンランドは素晴らしい。その文化レベルに、北海道も近づければいいと思っています。
僕は京都の大学で建築を勉強しましたが、卒業後はあえて北海道を選びました。憧れている京都と距離を取ることで、北海道と京都の文化をなんとか融合できないかと思って。それで卒業してすぐ北海道に戻りました。
舘野 奥様は北海道の方?
畠中 はい。それもあります(笑)。
舘野 僕の妻はフィンランド人。でも、だからフィンランドじゃないよ。十年くらいひとりでいましたから。
世界に1本だけのフルート
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