ピアニスト小菅優——音楽は社会で人が共存するために大切なもの
幼少の頃から目覚ましい活躍を続けているピアニストの小菅優。これまでの世界中を旅してコンサートをする生活から一転、コロナ禍で日本の住まいに長く滞在する生活に……。何を思い、どのように過ごしていたのだろうか。
自身がプロデュースするピアノ・リサイタル シリーズの最終回を、11月27日に迎える小菅にインタビューした。
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
9歳でドイツに渡り、今もベルリンと東京を拠点とする小菅優さん。世界的なパンデミックのなか、コンサートが少しずつ再開された7月に東京でお話を伺うと、かつて、これほど長く日本にいることはなかったと話す。
小菅さんは3月11日、スイスでジョナサン・ノット指揮、スイス・ロマンド管弦楽団による、藤倉大さんのピアノ協奏曲第3番「インパルス」のスイス初演(無観客、オンライン配信)でソリストを務めたのち、日本に帰国。以後、3ヶ月にわたり録音やコンサートの予定がキャンセルになった。
そして、久しぶりのステージとなった6月の「サントリーホール チェンバーミュージックガーデン」(無観客、オンライン配信)で、チェリストの堤剛さんと共演。そこから少しずつ、演奏活動が再スタートした。
演奏活動がない間の過ごし方
——「チェンバーミュージックガーデン」のライブ配信では、演奏後のトーク中に涙ぐまれたのが印象的でした。久しぶりの舞台はいかがでしたか?
小菅 何ヶ月も不安が続いたあとだったので、まずホールで弾けること、音楽を堤先生と分かち合えることが嬉しかったです。私はベートーヴェンのチェロ・ソナタが本当に大好きなのですが、演奏したイ長調のソナタは特に今抱いている感情を表すような音楽だったのと、最後、希望が見えるような終わり方だったこともあって、感無量で。
私が涙ぐんでいるのをみて、堤先生が「えー!」みたいな困った顔をしていらしたので、可哀想でしたけれど(笑)。
——演奏活動がない間、どのように過ごしていましたか?
小菅 家にいることは苦になりませんでしたが、やはりこの状況で気持ちが落ちこんだりもして、波がありました。でも、作品を勉強したり、本を読んだり、あとは時間をかけて料理をして過ごしていました。ラーメンをスープから作って研究したり。夫に実験台になってもらいました(笑)。
それと、これまで邦画をあまり観てこなかったので、黒澤明監督の映画をたくさん観ました。改めて、これこそが究極のヒューマニズムだと思いましたね。考えさせられることが多かったです。
音楽は一緒に分かち合うことで、人の心を動かす
——今のような時期、音楽家としてすべきことについて考えることはありますか? 以前、世の中に流されたくないとおっしゃっていましたが、今だからこそ持つようになったご自分なりの考えはあるでしょうか。
小菅 音楽家がこういうときに何をすべきかについては、意見がわかれると思います。
個人的なライブ配信などにも多くの方が取り組んでいますが、自分がそれをやりたいのか、「本当に良いものだけを届けたい」という考えに合うものができるかは、自分なりに判断していく必要があると思っています。最近は音質面でも良いプラットフォームが整ってきていますから、それを見極めることも必要でしょう。
同時に、これが生の音楽の違いをお客様に気づいてもらう機会となって、状況が落ち着いたときに、コンサートの機会をより大事にしていただけるようになったらいいなと思います。ホールで聴く生の音は特別です。その場で奏でられる、作られる音を感じると同時に、他の人々と一緒に音楽を共有するわけです。
小菅 音楽の必需性についても考えさせられました。音楽で病気が治せるわけではありませんから、どうしても二の次になってしまう。でもやはり音楽は、一緒に分かち合うことで、人の心を動かし、考えさせてくれるものです。社会で人が共存するために、大切なものだと思います。
今は、まるで人間が試されているかのような状況にありますが、これを乗り越え、音楽界も良い方向に進んでいくと良いなと思います。
大地をテーマに、生と死、故郷にまつわる曲を選ぶ
——2017年にスタートしたリサイタルシリーズ「Four Elements(四元素)」 は、今度の11月の公演で最終回を迎えます。もともとこのシリーズを始めたきっかけは?
小菅 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏のプロジェクトで勉強をしているうちに、古代ギリシャの哲学に触れて、エンペドクレスの四元素に関心を持ちました。次はベートーヴェンとは別のテーマに取り組みたいと思っていたところ、東日本大震災も起き、自然について考えること、原点に戻ることを音楽で突きつめたいと思いました。
2010~2015年のプロジェクトを録音した『ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ集』第1巻「出発」、第2巻「愛」、第3巻「自然」、第4巻「超越」、第5巻「極限」
自身でプロデュースしているFour Elements(四元素)の各回のチラシ。テーマである「水」「火」「風」、最終回の「大地」に合わせて、写真も撮り下ろした。
——「水」「火」「風」に続く最終回のテーマは、「大地」です。
小菅 大地というテーマから、森や緑から連想する「生」、土に帰るという表現にみられる「死」、そして、人の原点を意味する「故郷」にまつわる曲を選びました。
はじめは、ベートーヴェンのバレエ「〈森の乙女〉のロシア舞曲の主題による変奏曲」。美しい自然や大地を大切にする心が表れるような作品です。
続くシューベルトの「さすらい人」幻想曲は、オーストリアのすばらしい風景を感じながらも、人間の孤独感、何かを探してさまよい続けるさまが描かれます。
後半は、歴史上の残酷な出来事をめぐり、死を考えます。ヤナーチェクのピアノ・ソナタ 「1905年10月1日・街頭にて」は、実際にチェコで起きた、若者の悲惨な死に由来する作品です。
藤倉大さんの「Akiko’s Diary」(※藤倉 大:ピアノ協奏曲第4番 “Akiko’s Piano”の中のカデンツァ部分)は、広島の原爆投下ののちに亡くなった19歳の少女の日記に基づく曲。明子さんは6歳でアメリカから日本に渡り、そのときにボールドウィンのピアノを持ってきました。このピアノも爆風を浴び、ガラスの破片がささるなど大変な状態になりましたが、のちに人々によって修復されたのです。
牛田中学校PC放送部による映像作品「ショパンを愛したピアノ」(アルゲリッチやリシャール=アムランが弾く姿も映されている)
小菅 大さんは、このピアノの上で曲を書きあげました。私も触れる機会がありましたが、味のある魅力的な音がするピアノです。楽器は、人の愛情がかかることで音が変わるのだと改めて思いましたね。そして、このピアノの存在によって、悲しい歴史が忘れられることなく語り継がれていくのです。まさにヒューマニズムだと思います。
大さんの音楽は、純粋で心を動かすものがあります。変にセンチメンタルにらず、心に突き刺さるようなハーモニーが美しい作品です。
——そして、ショパンのピアノ・ソナタ第3番に続きます。
小菅 最後には、故郷をテーマとした作品を置きました。シューベルトの「さすらい人」は、自分の落ち着ける場所、故郷といえる場所を探している音楽です。そして、さまよい続けて希望を見出せないままに終わってしまう。でも、それが人間だとも思います。質問ばかりで、結局答えはない。哲学もまさにそういう世界ですよね。
一方、ショパンのピアノ・ソナタ第3番のほうは、故郷を思う気持ちが強く表れた作品です。そして、最後に希望が見えて終わるところに、シューベルトの作品との違いがあります。
私自身は、故郷がどこかという意識があまりないので、逆にショパンが晩年に強く抱いた郷愁の感情を、とても人間的だと感じるのです。
——「四元素」シリーズを続ける中で、新しく気づいたことはありますか?
小菅 エンペドクレスの言葉(四元素は「愛(ピリア)」によってひとつの宇宙となり、「憎(ネイコス)」によって離散する、それらはすべて——過去、現在、未来——の源である)こそが、人間の原点であると改めて実感しました。
テクノロジーが進歩するのは良いことだけれど、それで失われているものがやはりある。若い世代も、それに気づいてほしいです。
人が仲良く生きるためには、感じることが大切です。音楽を通じ、喜びや悲しみを感じとれること、感性というものが人への思いやりにつながると思います。
人間は、広い宇宙のことを思えば、ごく小さな存在です。そんな私たちにとって、音楽がどれほど大きなものであるか。演奏会では、そういったことをみなさんと一緒に考えられたらと思います。
日時: 2020年11月27日(金)19:00 開演 (18:30 開場)
会場: 東京オペラシティ コンサートホール
出演: ピアノ 小菅 優
料金: (全席指定)一般5,000円、学生2,000円
曲目:
- ベートーヴェン: バレエ「森の乙女」のロシア舞曲の主題による変奏曲 WoO71
- シューベルト:幻想曲 ハ長調 D760 「さすらい人」
- ヤナーチェク: ピアノ・ソナタ 「1905年10月1日・街頭にて」
- 藤倉 大: Akiko’s Diary(※藤倉 大:ピアノ協奏曲第4番 “Akiko’s Piano”の中のカデンツァ部分)
- ショパン: ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58
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