オペラの立役者コレペティ、MET初の日本人研修生・青木ゆりの巣ごもり修行
コロナ禍の影響から、歌手やスタッフの一時解雇を余儀なくされ話題となった、メトロポリタン歌劇場(MET)ですが、若い人材を支援する「ヤングアーティスト育成プログラム」は継続中。日本人として初めて、このプログラムを受講中のコレペティトゥーア(オペラ制作の過程で、ピアノ伴奏や発声・歌唱指導などを行なう職業)青木ゆりさんに、井内美香さんが話を聞きました。
学習院大学哲学科卒業、同大学院人文科学研究科博士前期課程修了。ミラノ国立大学で音楽学を学ぶ。ミラノ在住のフリーランスとして20年以上の間、オペラに関する執筆、通訳、来...
言葉から音楽までオペラを知り尽くす! コレペティのお仕事
新型コロナウイルスによって世界中のオペラ・ハウスが休止している今、オペラ関係者たちはどのように過ごしているのでしょうか? ニューヨークのメトロポリタン歌劇場(MET)でコレペティ(コレペティトゥーアの略)修行をしている青木ゆりさんに聞いてみました。
まず最初に、オペラのコレペティとは、どのような仕事なのでしょうか?
「コレペティはオペラの公演における音楽面の準備を、あらゆる方法で手伝う仕事です。リハーサル前の歌手へのコーチング、リハーサルでのピアノ伴奏、指揮者や、歌い手たちのあいだのコミュニケーションの媒介を行なうこともあります」
大阪府池田市出身。2019/2020シーズンよりメトロポリタン歌劇場ヤングアーティスト育成プログラム “Lindemann Young Artist Development Program”のピアニスト/コーチ枠に在籍。日本ではセイジオザワ松本フェスティバルOMFオペラ、群馬オペラアカデミー『農楽塾』、Vivid Opera Tokyo他でコレペティトゥーアとして活動。桐朋学園大学卒業、同大学院修士課程修了。
写真はメトロポリタン歌劇場のロビーにて。
METのヤングアーティスト育成プログラムとは?
METのヤングアーティスト育成プログラムは、オーディションに受かったオペラ歌手やコレペティが、奨学金を得てMETで学ぶ研修プログラムです。青木さんは、この研修プログラムで学ぶ初めての日本人。2019年8月末から2年間の予定で研修を受けています。今シーズンのメンバーは歌手11名とコレペティ3名。青木さんは小学生のときにご両親の仕事の関係でニューヨークに数年間住んでいたそうで、ある意味里帰りを果たした、と言えるのかも知れません。
コレペティの研修内容は、オペラ歌手のレッスンやオーディションにおける伴奏、加えて自身も語学、指揮、ピアノのレッスンなど。研修2年目からは、本公演にスタッフとして入ることもあるそうです。
METがもつ各言語の発音へのこだわり
貴重なのは、METで仕事をしている超一流の音楽スタッフや各言語のディクション(発音法、話し方)・コーチからレッスンを受けられること。
METでは特に、ディクションのコーチングが重要視されており、劇場の本公演においても、イタリア語、ドイツ語、フランス語、ロシア語など、それぞれの言語のエキスパートが、プロの歌手たちのリハーサルに同席し、本番ぎりぎりまでダメだしをするそうです。
青木さんはさまざまな公演のディクション指導を観察し、自身もレッスンを受けて、「発音の正しさは、音楽作りおよび歌唱そのものに、本当に大きな影響を及ぼす」ことであり、「発音に対する意識をクリアにすることで、音色や音程、そしてフレージングまでもが改善され、語りの説得力だけでなく、歌唱全体の質の向上につながる」と実感したそうです。
いくつもの言語の発音ルール。歌手たちも、覚えなければいけないことがたくさんありそうですね?
「でも結局、ディクションを磨いたから素晴らしいというのではなくて、ディクションを極めるほど言葉と真摯に向きあったから素晴らしい、ということだと思うのです。たとえ、細かい発音が間違っていたとしても、そこに誠実さがあればお客さんは感動すると思いますし、逆だと意味がなくなってしまいます」
ロックダウンのいま、研修生たちのオンライン・レッスン
METの休止前の最後の公演は3月11日のモーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》でした。翌日に劇場が閉鎖を発表。現在、新型コロナウイルスのためにすべての活動が休止しており、オーケストラ奏者、合唱団員、舞台裏スタッフなどは一時解雇になっています。
一方、育成プログラムを受けている若いアーティストたちには、奨学金が引き続き支払われ、オンラインでレッスンが行なわれているそうです。3月12日までは劇場に通っていた青木さんも、今はレッスンの伴奏などの活動はなくなり、オンラインで可能な中から希望のレッスンを受けられるとのこと。具体的にはオペラ台本の読解を含む、イタリア語、ドイツ語、ロシア語などのディクションや文法の勉強をしているそうです。
巣ごもり中だからこそできることはありますか?
「語学の勉強ですね。普段と比べても進みが速いです。声楽を学んでいる学生さんにも、ぜひお勧めしたいです」
オペラ歌手を目指す人が語学を勉強するときのヒントは? オペラのセリフなどから学ぶのがいいでしょうか?
「普通に良い教科書を買って、一から勉強するしかないと思います。語学に近道はないですから(笑)。オペラは古くて難しい言葉が多いので、まずは一般の語学の教科書を、最初からやるのがいいと思います」
青木さんもMETの音楽スタッフとモーツァルト《魔笛》の台本を読むなどの、各言語のディクションのレッスンに加えて、一般的な語学の勉強もしているそうです。
「育成プログラムで教えている、かなりご高齢なボブという先生がいらっしゃいます。この方は語学の達人で伊・仏・独・露の4カ国語を教えています。ボブに指定されたドイツ語文法の教科書は、なんと1940年初版(!)。でも、文法の説明がとてもわかりやすいです。初めてから約4ヶ月、明日のボブとのskype授業で、この文法書が終わるのが嬉しいです」
「私は文法の基礎、たとえば動詞の活用などを口の筋肉で覚えてしまうんです。よどみなく言えるようになるまで何度でも暗唱する。これは日本で最初に教えていただいたイタリア語の先生のご指導だったんですが、素晴らしい方法。言葉は知っていても、とっさに出てこなければ意味がないので、体が反射的に動くのが一番いいんです。私は語学は〈勉強〉というよりは〈練習〉という感覚で取り組んでいます」
コレペティの語学訓練はアスリート的?
「そうですね。反復トレーニング(笑)。それを楽しめるくらいオタクか、ドMの人に向いています(笑)。でも、きっと皆さんそうだと思います。たぶん、きちんとやっている方ほど表には出さないのだと思いますが」
NYでアパートの一室に閉じ込められての巣ごもり生活。最近はSNS疲れで、最低限のニュースにしか接していないという青木さん。彼女のコレペティ修行は、この時期ならではの方法で進められているようです。育成プログラムの若いアーティストたちが、METに戻れる日が早く来ますように!
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