吹奏楽コンクールで「金賞」が塗り替えてきた“ばえる”超難曲の歴史
夏の風物詩、吹奏楽の甲子園こと「全日本吹奏楽コンクール」。2020年の第68回大会はコロナ禍の影響で中止に。第二次世界大戦以来の有事に心を痛める映画ライターがここにひとり。
実は、毎年この吹奏楽コンクールの全国大会に通うほどの「吹奏楽オタク」である、よしひろまさみちさんが70年代から現在まで塗り替えられてきた、コンクールで演奏される超難曲の歴史を熱く語ります! こんな難しい曲を、中学生や高校生が軽々と演奏しちゃうの!?
音楽誌、女性誌、情報誌などの編集部を経てフリーに。『sweet』『otona MUSE』で編集・執筆のほか、『SPA!』『oz magazine』など連載多数。日本テ...
吹奏楽コンクールがない夏なんて、自分の一生のあいだに起きるとは夢にも思わず。「一音入魂」でゴールド金賞を目指していた皆さんのことを思うと、つらみしかありませぬ。映画ライターをやっているあたしですが、じつは中学~高校時代はコンクールに夏を捧げた吹奏楽オタクだったんです。いえ、秋まで捧げたか。舞台を踏むことはなかったけど、全国大会見物マニアだったので。
そこで、全国大会の名演や流行曲の変遷から、口アングリな吹奏楽曲を紹介します。書き手がアラフィフなので、古い話から始めます。
正式名称「全日本吹奏楽コンクール」。一般社団法人全日本吹奏楽連盟と、朝日新聞社が主催する、中学、高校、大学、一般のアマチュア吹奏楽団体を対象とした音楽コンクール。1940年の創設以来、2019年には第67回を迎えたが、2020年の第68回大会はコロナ禍により、第二次世界大戦前後の中断以来初めての中止が発表された。
「吹奏楽の甲子園」と呼ばれ親しまれた東京・普門館、2012年以降は名古屋国際会議場センチュリーホールで行なわれている全国大会は、すべての吹奏楽ファンの注目の的であり、金賞(複数存在する)を受賞した団体の演奏曲は、次年度以降に大きな影響力をもつ。
70年代: オーケストラ曲の吹奏楽編曲が金賞のテッパン
70年代までで全国大会常連校が演奏した難曲といえば、オーケストラ曲の編曲もの。73年の豊島区立第十中学校「歌劇《さまよえるオランダ人》より序曲」や、76年の千葉県立銚子商業高等学校「交響組曲《寄港地》より」とか。今でも難曲として知られるクラシックの名曲がこぞって演奏され、オリジナル曲ってなにそれ、おいしいの? 的な感じ。
当時って、吹奏楽オリジナルの曲といえば、中小編成のスクールバンドのために書かれた楽曲が主流だったんですよね。
ワーグナー作曲 歌劇《さまよえるオランダ人》より序曲(吹奏楽編曲版)
ジャック・イベール作曲 交響組曲《寄港地》より「チュニスからネフタへ」「ヴァレンシア」(吹奏楽編曲版)
80年代: 真価を現しはじめた吹奏楽オリジナル曲
それが80年代後半くらいからガラリと変わり始めます。それはアルフレッド・リード先生のおかげかしらね。神奈川県立野庭高等学校による83年の「アルメニアン・ダンス・パート1」、84年の『「ハムレット」への音楽より プロローグ、俳優たちの入場、エルシノア城とクローディアス王の宮中』、88年の「序曲 春の猟犬」など。
いや、それよりも以前に、これらの楽曲を含むリード先生の作品はほかの学校が演奏して金をとってるんですが、野庭高のインパクトはハンパなかったですね。なんせ、グレード4の楽曲でも丁寧に作れば全国で金賞とれる、しかも超感動の演奏できる、って前例を作っちゃったんですから。
それとともに、管弦楽編曲ものと同等にグレード5のオリジナル曲がバンバカ出始めたのもこの頃。天理高校による84年の「フェスティヴァル・ヴァリエーションズ」や85年の「セント・アンソニー・ヴァリエーションズ」をはじめとするアメリカの作曲家による難曲。
クロード・ トーマス・スミス作曲「フェスティヴァル・ヴァリエーションズ」
ウィリアム・H・ヒル作曲「セント・アンソニー・ヴァリエーションズ」
それに大阪府立淀川工業高等学校(現:大阪府立淀川工科高等学校)による80年の「大阪俗謡による幻想曲」、83年の「吹奏楽のための神話 〜天岩屋戸の物語による」などのおかげで、邦人作曲家のオリジナル曲が大人気に。なんせオリジナルは吹奏楽の編成を考えて作られた曲だから、編成や技術的にも無理がないのが再評価されたんでしょう。
大栗裕作曲「大阪俗謡による幻想曲」
大栗裕作曲「吹奏楽のための神話 〜天岩屋戸の物語による」
だって、オケ編曲ってそもそも楽譜が高いし、著作権が切れていない楽曲は録音ができないし、おまけに弦楽器のパートを管楽器に移植する無茶ぶりだからねー。原曲と同じ響きを出すこと自体難しいうえに、意味不明に真っ黒(もしくは真っ白)な楽譜を前に奏者は四苦八苦するわけですよ。だったら、「金を狙える」と意識されたオリジナル曲が流行るのも無理はないですわな。
90年代: どんどん上がるオリジナル曲の難易度
さて、そんな流れも平成の訪れ&90年代に変わっていきます。グレード6という難曲が登場しちゃいました。92年の洛南高等学校「華麗なる舞曲」がとにかく鮮烈(洛南の場合は、アッと驚く楽器の持ち替えも話題になりました。管楽器から打楽器はおろか、クラリネットがトランペットに持ち替えることまで!)。それを皮切りに、グレード5を越える目新しい楽曲が目立つようになります。
クロード・トーマス・スミス作曲「華麗なる舞曲」
なかでも流れを変えた、と思われるのが、ヤン・ヴァン=デル=ローストやフィリップ・スパークなど、ヨーロッパの作曲家の作品群。それまでオリジナル曲の主流だったアメリカの作曲家による作品とは違った、より複雑なオーケストレーション、起承転結のハッキリしない予測不能の展開、猛烈に美しい旋律などなど、慣れないスタイルの難曲だけど「映える」曲ばかり。そりゃ流行りますわよね。
2000年代: 驚異のグレード7時代へ突入
そして、2000年代に入ると、恐ろしいことが起きました。またまた洛南、そして川口市・アンサンブルリベルテ吹奏楽団。03年に「ハリソンの夢」を爆奏しゴールド金賞。これねー、掟破りのグレード7っていう超難曲(その後、グレード6+みたいな位置づけになりしたが)。
洛南高校吹奏楽部の演奏
川口市・アンサンブルリベルテ吹奏楽団の演奏
そこで注目されたのが、この作曲家ピーター・グレイアムね。彼、ブラスバンド曲を手がけてて、ほとんどが最初にブラスバンド用、その後吹奏楽に編曲、という流れなんだけど、どう考えても「これを金管でやるの?」っていう真っ黒楽譜(しかも各パートまんべんなく黒い)。ほぼ狂ってるとしか思えない難曲なんだけど、超絶技巧の連発&見せ場たっぷり&ドハデとあって、全国大会向きなのよね。
するとどうでしょう、翌年から地区予選でジャンジャカ演奏されるように。いくとこまでいった感がハンパなかったですね。グレイアムの作品はどれもドハデなので、その後「巨人の肩に乗って」(19年の学芸館高等学校が名演とされてます)や「メトロポリス1927」(あいにく全国では銅止まり、だけど聴いてみて。すごい映える曲なの)などが演奏されるようになりました。
ピーター・グレイアム作曲「巨人の肩に乗って」
ピーター・グレイアム作曲「メトロポリス1927」
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