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2023.12.07
おとぎの国のクラシック 第6話

「くるみ割り人形」〜音楽家でもあった原作者E.T.A.ホフマンの世界

飯尾洋一さんが毎回一作のおとぎ話/童話を取り上げて、それに書かれた音楽作品を紹介する連載。第6回はクリスマス・シーズンの劇場を彩る名作《くるみ割り人形》。原作者E.T.A. ホフマンが描いた、ちょっと切ない結末や、音楽家でもあった彼の作品を紹介します。

飯尾洋一
飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

ピーター・カール・ガイスラーによる童話「くるみ割り人形」の挿絵(1840)

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クリスマスの定番「くるみ割り人形」のあらすじをおさらい!

12月は「くるみ割り人形」の季節。チャイコフスキー作曲のバレエ《くるみ割り人形》があちこちの劇場で盛んに上演される。

「くるみ割り人形」のストーリーはご存じだろうか。よく知られているようで、案外知られていない気もするのだが、簡単におさらいを。主人公の少女はクララ。クリスマス・イブに名付け親のドロッセルマイヤーさんからくるみ割り人形をプレゼントしてもらう。深夜12時になると、クララの体は縮み、くるみ割り人形と同じ大きさになる。そこにネズミの軍勢が押し寄せて、くるみ割り人形と兵隊たちの激しい戦いが勃発。危機一髪というところで、クララが加勢してネズミ軍団の王さまをやっつける。

V.E.マコフスキーによる童話「くるみ割り人形」の挿絵(1882年)
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すると、くるみ割り人形はステキな王子さまに変身。助けてもらったお礼にクララをお菓子の国へと誘う。お菓子の精たちがクララに歓迎の踊りを披露する……。

で、どうなるんだっけ?

この後のストーリーがぼんやりとしか思い出せないという方も多いのではないだろうか。というのも、バレエ《くるみ割り人形》では前半の第1幕でストーリーが大きく動くのに対し、後半の第2幕ではお菓子の国の歓待シーンが続いて、これといったストーリー展開がない。では、最後にどうなるのか。そこは演出次第ではあるが、ひとつの典型として、クララが目を覚まし、現実世界に帰るという「夢オチ」がある。すべてはクリスマスに見た夢でした、というわけだ。

「娘の巣立ち」も描いた原作の結末

実は《くるみ割り人形》の原作であるE.T.A.ホフマンの「くるみ割り人形とねずみの王さま」では、この「夢オチ」からさらにひとひねりがある。主人公が目覚めるところまでは同じだが、不思議な体験は決して夢ではないと信じている。ほら、ここにネズミの王さまの冠があるよ。そう言って証拠を両親に見せるが、信じてもらえない。そこにドロッセルマイヤーさんが甥っ子を連れてくる。甥の正体はくるみ割り人形であり、いまや王国の王として君臨しているのだ。甥は主人公を妃に迎え、王国へと帰る。

つまり、これは娘の巣立ちを描いた物語なのである。クリスマスプレゼントをなによりも楽しみにしている少女が、やがて結婚相手と巡りあい異国へと旅立つ。本来の「くるみ割り人形」は子どもの物語でありつつ、大人にしんみりとした思いを抱かせる物語になっている。

E.T.A.ホフマン。1810〜20年頃に描かれた自画像
「くるみ割り人形とねずみの王様」初版の表紙。イラストはE.T.A.ホフマン本人による

ちなみに主人公の名前はバレエではクララだが、原作ではマリーになっている。この名前のくい違いを巧みに設定に取り入れたのが、ディズニー映画「くるみ割り人形と秘密の王国」。かつて母マリーが旅した秘密の王国を娘である主人公クララが訪れて再発見するという、母娘二代の物語に拡張した傑作である。

名曲オンパレードのチャイコフスキー作品、作曲家としてのE.T.“アマデウス”.ホフマン

さて、音楽面から見ると、バレエ《くるみ割り人形》の最大の特徴は「異常なまでの名曲密度」だろう。チャイコフスキーはこのバレエにこれでもかという数の名曲を注ぎ込んだ。奇跡の名曲「花のワルツ」を筆頭に、「小序曲」「行進曲」「こんぺいとうの踊り」「葦笛の踊り」などなど。組曲だけではなく、全曲をバレエ抜きで聴いても楽しめる。《くるみ割り人形》は演奏会形式での全曲上演が可能な作品だ。

おもしろいのは原作者であるE.T.A.ホフマンもまた作曲家であるという点。ホフマンはモーツァルトを敬愛するあまり、本名のW(ヴィルヘルム)をアマデウスのAに代えたほどで、もともとは音楽家を志望していた。いや、単に志望しただけではない。実際にバンベルクの劇場で音楽監督を務めるなど、作曲家、指揮者としても活動し、オペラや交響曲、ピアノ・ソナタ、教会音楽などの作品を残している。音楽家としては挫折し、文才が花開いた形だが、幸いにして、わたしたちはホフマンの音楽作品を録音で聴くことができる。

歌劇《愛と嫉妬》序曲や歌劇《水の精(ウンディーネ)》序曲を聴けば、ホフマンがウェーバーやベートーヴェンなど、ドイツ音楽の伝統の後継者であったことがよくわかる。

交響曲変ホ長調は古典派スタイルの典型的な4楽章構成で書かれ、第3楽章のメヌエットにはモーツァルトの「交響曲第40番」の影響が強く感じられる。

力作はミサ曲ニ短調。ここでもモーツァルトやベートーヴェンの影響は色濃いが、対位法が駆使されており、なかなか聴きごたえがある。

さすがにチャイコフスキーにはかなわないものの、もし作品の再評価が進めば、ホフマンを「くるみ割り人形」の原作者としてではなく、作曲家として目にする機会が増えるかもしれない。

1853年出版のアメリカ版「くるみ割り人形」の挿絵
飯尾洋一
飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

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