街がゾンビで埋め尽くされたときのためのプレイリスト
近年のゾンビは疾走するらしい。街中が全力疾走するゾンビで溢れかえったとき、私たちはどうすればいいのだろう……? ゾンビ禍を生き抜いた男に見習おう。彼はなんと、クラシックの愛聴家だった⁉
ゾンビの厄災が現実になったときに備えて、用意しておきたいプレイリスト! 音楽ジャーナリストでありゾンビ研究家でもある飯尾洋一さんがご紹介します。
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
疾走するゾンビたち
近年、ふとしたことで感情を暴発させる人が増えているのではないだろうか。クラシックのコンサートでもそうだ。たとえば、隣席の人に「荷物はクロークに預けろ!」と怒鳴りつける人。演奏が終わってあらかた人がいなくなったホールで「恥を知れ!」と大声で叫んでいる人。なんども激昂する人を見ている。
そこで連想したのが近年のゾンビ映画である。ゾンビといわれて、もたもたと動く生気のない死体を思い浮かべる人は、ゾンビ感が少々古い。近年のトレンドとしては、ゾンビは激昂し、しばしば全力疾走して生者を追いかけて、噛みつく。『ドーン・オブ・ザ・デッド』(ザック・スナイダー監督)や『28日後……』(ダニー・ボイル監督)あたりから、ゾンビは猛スピードで走るようになった。感染者たちはあっという間に凶暴化して、怒りをむき出しにして人間に襲いかかるのだ。ゾンビたちは生前を凌ぐ瞬発力を有している。
のろのろと動いていたゾンビを「クラシック・ゾンビ」とすれば、怒りをあらわに疾走するゾンビたちは「モダン・ゾンビ」と呼ぶことができるだろう。昨年公開された韓国映画『新感染 ファイナル・エクスプレス』(ヨン・サンホ監督)でも、このモダン・ゾンビ設定は受け継がれ、東アジア的な感性によってゾンビ禍が正攻法で描かれていた。
もちろん、このようなモダン・ゾンビは現実の私たちの社会を反映したものにちがいない。怒りはさらなる怒りを生み、感染者は新たな感染者を増やす。スーパーマーケットと同じように、コンサートホールもゾンビと無縁ではいられない。すでにこれは進行中の災厄といっていいのかもしれない。地上がゾンビたちで埋め尽くされるのであれば、私たちはどこへ逃げればいいのか。街を捨て、山へ逃げるのか、海に向かうべきなのか、無人島がいいのか、極寒の地がいいのか。
ゾンビから逃げるためには、人の居住地から離れなければならない。となれば、そこは音楽のない寂しく孤独な場所であるだろう。
ところがゾンビの歴史を遡ってゆくと、あるクラシック音楽好きのヒーローにたどり着くことになる。
ゾンビの起源となった小説
ゾンビの起源をたどると、一冊の小説にたどりつく。1954年に発表されたリチャード・マシスンの古典的SF小説『地球最後の男』である(日本では2007年の映画公開に合わせて、小説も映画と同じく『アイ・アム・レジェンド』に改題されている。ただし映画のほうは肝心のオチが原作とまったく異なる)。
この小説に登場する怪物はゾンビではなく「吸血鬼」であるのだが、世界中に蔓延した病原体によりだれもが吸血鬼化したなかで、ただ一人生き残った人類である主人公が生き残りをかけて戦うという設定は、ゾンビ映画の嚆矢となったジョージ・A・ロメロ監督の映画『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』に引き継がれた。その意味で、『地球最後の男』はゾンビの起源でもあり、だからこそ2007年に『アイ・アム・レジェンド』として映画化された際には、怪物の設定が吸血鬼ではなくゾンビに更新されているのだ。
そして、音楽ファンであればマシスンの原作『地球最後の男』を読んだ際に、このたった一人だけ世界に残された人間が、なにを聴いているかに驚かざるをえないだろう。彼は僻地に逃げることなく、自宅に籠城し、怪物たちと戦っている。そして自家発電機を用いて、レコードプレーヤーを動かし、そこでクラシック音楽を聴くことを、ささやかな楽しみとしているのだ。
小説内で彼が聴いているのはこんな曲だ。ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》、同第7番、同第9番、シェーンベルクの《浄夜》、ブラームスのピアノ協奏曲第2番、モーツァルトの交響曲第41番《ジュピター》、ラヴェルの《ダフニスとクロエ》、そしてバーンスタインの交響曲第2番《不安の時代》。驚くべき点は、1948年に作曲されたばかりの《不安の時代》を、1954年に書かれた小説で聴いているという点だ。なかなか先進的な主人公である。
このプレイリストは吸血鬼/ゾンビと戦い抜いた最初のレジェンドが愛した名曲たちといっていい。ゾンビ禍に見舞われた際に聴くべき音楽として、これ以上ふさわしいプレイリストはないだろう。
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