「シンデレラ」〜ペローかグリムか......テイストも内容も異なるロッシーニ、マスネ、プロコフィエフ作品
飯尾洋一さんが毎回一作のおとぎ話/童話を取り上げて、それに書かれた音楽作品を紹介する連載。第5回はクラシック界にも名作が多い、泣く子も黙る「シンデレラ」。曲のテイストはもちろんのこと、内容までかなり違う? それぞれの作曲家が描いた「シンデレラ・ストーリー」をご紹介します。
音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...
平凡な女性がなにかをきっかけに一躍注目を浴びて、成功と幸福を手にする。それが「シンデレラ・ストーリー」。わたしたちはそんな物語が大好きだ。なんならシンデレラになりたい。男子であってもそう思う。
「シンデレラ」を題材とした音楽作品はいくつもある。オペラではロッシーニの《チェネレントラ》、さらにマスネの《サンドリヨン》がある。
「チェネレントラ」とか「サンドリヨン」と題されているが、中身はどちらも「シンデレラ」だ。
ガラスの靴も、かぼちゃの馬車もなし! ロッシーニ版はグリムとペローの混合?
上演機会が多いのはロッシーニ作曲の《チェネレントラ》。このオペラでは主役のアンジェリーナ(=シンデレラ)をメゾ・ソプラノが歌う。ディズニーアニメ的なイメージからすると、ヒロインである「シンデレラ」はソプラノかもしれないが、ここではメゾが主役。魅力的なメゾあってこその作品だ。
ロッシーニのオペラはディズニーアニメとはかなり世界観が異なる。なにしろ、このオペラには魔法も登場しなければガラスの靴も登場しない。したがってカボチャの馬車も出てこない。おまけに継母ではなく継父が出てくる。「そんなの『シンデレラ』じゃない!」と思われるかもしれないが、決してそうではない。
実は童話の「シンデレラ」にはいくつかのバージョンがある。わたしたちが主に親しんでいるのはペローによる童話で、ガラスの靴やカボチャの馬車といったおなじみのモチーフが登場する。しかし、グリム童話の「シンデレラ」にこれらは出てこない。その点で、ロッシーニの「チェネレントラ」はグリム童話の「シンデレラ」に近い。おそらく古くから伝わる話はグリム童話のような形だったのだろう。
ただし、結末に関していえば、「チェネレントラ」はグリムではなく、ペローの童話に従っている。ペローの童話で、王子と結婚したシンデレラは、いじわるな姉たちを許し、お城に住まわせるというやさしさを見せる。ロッシーニのオペラも同様で、どこまでも主人公の心は美しい。
だが、グリム童話では、姉たちは鳩に両目をくりぬかれて失明してしまう。復讐が果たされてすっきり、といった話なのだが、そんな恐ろしい場面がロッシーニの喜劇に採用されるはずがない。
女声だらけのマスネ版、ダークでワイルドなプロコフィエフ版
一方、マスネ作曲の《サンドリヨン》はペローの童話を原作としており、なじみ深い「シンデレラ」の世界が描かれる。ただ、この作品も歌手の起用法が独特で、シンデレラ役も王子役も女声に割り振られている。ふたりが結ばれる場面は女声同士の二重唱になるのだ。
継母もいじわるな姉たちも女声、さらに魔法使いならぬ妖精役も女声。男声は端役のみ。このあたりの偏りが影響してなのか、上演頻度ではロッシーニにかなわない。
オペラ以外では、なんといっても、プロコフィエフのバレエ音楽《シンデレラ》の人気が高い。バレエ全曲版のほかに、3種類の組曲も編まれている。
全曲中、もっとも有名なのは第1幕のおしまいの「舞踏会へ行くシンデレラ」(ワルツ)だろう。組曲版では組曲第1番の第7曲「シンデレラのワルツ」に相当する。
願いが叶って、シンデレラは舞踏会へ赴く。ワクワクするはずの場面だが、曲調は楽しげではなく、むしろ不吉な予感を漂わせる。このあたりは、プロコフィエフが内面のダークサイドを抑えられないかのよう。
もう一曲、第2幕のおしまいで時計が深夜12時を告げる「真夜中」も忘れがたい(組曲版では組曲第1番の終曲)。
チクタクと打楽器が時を刻むなかで、焦燥感をにじませた音楽が鳴り響く。ここもストーリーをはみ出してプロコフィエフの素顔が垣間見える場面だろう。ワイルドに行こうぜ。そんな作曲家の声が聞こえるかのようだ。
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