「オーストリアの戦いの歌(クリークスリート)」――ナポレオン進軍に抗う軍歌
生誕250年にあたる2020年、ベートーヴェン研究の第一人者である平野昭さん監修のもと、1日1曲ベートーヴェン作品を作曲年順に紹介する日めくり企画!
仕事終わりや寝る前のひと時に、楽聖ベートーヴェンの成長・進化を感じましょう。
1792年、22歳のベートーヴェンは故郷ボンを離れ、音楽の中心地ウィーンに進出します。【天才ピアニスト時代】では、ピアニストとして活躍したウィーン初期に作曲された作品を紹介します。
東京・神楽坂にある音楽之友社を拠点に、Webマガジン「ONTOMO」の企画・取材・編集をしています。「音楽っていいなぁ、を毎日に。」を掲げ、やさしく・ふかく・おもしろ...
ナポレオン進軍に抗う軍歌「オーストリアの戦いの歌(クリークスリート)」
前年から続くナポレオンのオーストリア進軍。前年1796年には義勇軍少尉フリーデルベルクの詩に曲をつけた「ウィーン市民への別れの歌」を作曲したベートーヴェンですが
97年4月に総勢8300名からなる義勇軍が総動員令の下に組織されると、ベートーヴェンは軍歌《オーストリア戦闘の歌》WoO122を作曲した。これら2曲は直ちに印刷、出版され、ベートーヴェンの名前は市民にも浸透することになった。
——平野昭著 作曲家◎人と作品シリーズ『ベートーヴェン』48ページより
結局ナポレオン進攻は、97年11月の「カンポ・フォルミオ講和条約」で当面回避されることになります。この頃はまだ、ナポレオンを支持していたと言われるベートーヴェンが、オーストリア軍歌を作っていたのは意外な気もしますね。
ちなみに、この軍歌が作られたのと同時期に、師であるヨーゼフ・ハイドンは現在のドイツ国歌である《神よ、皇帝フランツを護りたまえ》を作曲しているそうです。のちにハイドン自身の弦楽四重奏op.76-3にも引用した、美しいメロディです。
ハイドン;弦楽四重奏曲 第77番《皇帝》〜第2楽章 ポコ・アダージオ・カンタービレ
オーストリアの戦いの歌(クリークスリート)WoO122
作曲年代:1797年3月末~4月初旬(ベートーヴェン27歳)
出版:1797年4月
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