記事
2019.12.23
日曜ヴァイオリニストの“アートな”らくがき帳 File.18

ヴェネツィアでオーケストラさながらにガラスの彫刻を制作する美術家、三嶋りつ惠

日曜ヴァイオリニストで、多摩美術大学教授を務めるラクガキストの小川敦生さんが、美術と音楽について思いを巡らし、素敵な“ラクガキ”に帰結する連載、第18回目。
ヴェネツィアで、ガラス作品を造る工房を「オーケストラ」に例える三嶋りつ恵さん。彼女の仕事ぶりから浮き上がる、美術と音楽の接点のお話。

演奏するラクガキスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

写真:©the artist and ShugoArts
メイン写真: 三嶋りつ惠さんの作品の制作現場(イタリア・ヴェネツィア、ムラーノ島の工房)Photo: Francesco Barasciutti

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

制作現場をオーケストラにたとえた美術家

音楽と美術は、まったく成り立ちが異なるように思えるが、通じる点も多い。

たとえば、楽譜は視覚的に美しく変化に富んでいるのが常だ。楽しさや寂しさといった感情は、音楽でも絵画でも表現が可能。不協和音のような、刺激を特徴とした絵画もある。

そんなことを考える日々を過ごす中で筆者が最近聞いたのが、東京・六本木の現代美術ギャラリー、シュウゴアーツで出会った、美術家の三嶋りつ惠さんのひと言である。

「私の作品は、オーケストラのような現場で制作しています」

三嶋さんは、「宇宙を漂う何か」と形容したくなるような作品をつくる。たとえば、宇宙空間を漂う小惑星や大型の天体望遠鏡で宇宙を観察したときに姿をあらわにするガス星雲のような、何やらこの世のものとも思えぬような造形が魅力の美術家なのだ。

三嶋りつ惠「光の場 HALL OF LIGHT」展会場風景(シュウゴアーツ=東京・六本木)
複数の球体がくっついたもの、流れる線を巻いたようなものなどさまざまな造形の作品が並ぶ。三嶋さんはガラスの透明さを表現の一つの核にしている。

技法は多岐にわたるが、熱して溶けたガラスに息を吹き込んで作る「吹きガラス」を基本とした方法で制作される作品の抽象的な造形美と向き合うと、まずは「鑑賞」という言葉で接しようという気持ちになる。

三嶋りつ惠「光の場 HALL OF LIGHT」展会場風景(シュウゴアーツ=東京・六本木)

上:一つ一つの球体を吹きガラスの手法で作り、くっつけたという。

右:表面の美しさだけでは終わらせない造形美。

音楽における抽象的な造形美とは

さて、「自立した抽象的な造形美」とは、そもそも音楽に当てはまる内容だ。

神話の世界や自然の風景、実在の人物などを表現した伝統的な絵画や彫刻とは違って、たとえばモーツァルトの交響曲のように、通常は何ものをも描写しない音楽は、それだけで既存のイメージに頼ることなく自立している。

ベートーヴェンの《田園》交響曲は風景を描写しているではないか! と言われる向きもあるだろうが、特に19世紀以前のクラシック音楽の世界においては、そういうものはどちらかといえば例外に属する。バッハのオルガン曲にしてもモーツァルトの交響曲にしても、自然に存在する何かを模倣したわけではない。音楽は自然界の風景や音から自立した極めて抽象的な存在として成り立っているのである。

そして、三嶋さんの作品も自立した抽象的な造形美を特徴としており、そうした意味において極めて音楽的な作風といえる。

ムラーノ島の工房でのコラボレーションの形

三嶋さんは、作品をイタリア・ヴェネツィアのムラーノ島で制作している。

作曲家のヴィヴァルディや、画家のティツィアーノら、それぞれの世界の巨人が活躍した、音楽と美術の聖地である。そして、ヴェネツィアン・グラスの本場としても知られる。

ヴェネツィア風景

三嶋さんは30年ほど前にヴェネツィアで暮らし始め、その後、ムラーノ島のガラス工房の職人たちの技に惚れ込む。そして、彼らとコラボレーションをする形で、1996年からガラス作家としての歩みを始めたそうだ。 

工房には親方を含む数人の職人がいる。三嶋さんはインスピレーションが湧いた作品のスケッチを彼らに見せ、彼らはそのスケッチのイメージを頭において、実際の作品づくりに向かう。

「オーケストラ」という言葉はこのシステムにおいて用いられることになる。三嶋さんはスケッチという楽譜を書いた作曲家であり、親方は職人たちを統率する指揮者であり、職人たちはヴァイオリンやヴィオラなどを弾く楽団員になぞらえられるわけだ。

三嶋りつ惠さんの作品の制作現場(イタリア・ヴェネツィア、ムラーノ島のガラス工房)は、オーケストラさながらの風景だ。Photo:Francesco Barasciutti

音楽と美術の共通するプロセスと表現

さて、これを単なるたとえと言ってもいいものか。

筆者は、本質において通じる部分が少なからずあると考える。オーケストラでも指揮者や楽団員は楽譜をそれぞれの解釈で演奏する。すなわち作曲家以外の裁量に委ねられる部分がかなり多いのである。作曲家がその場にいれば、 無論その解釈でいいのかどうかを指揮者が確認することはあるだろう。

三嶋さんはその工房にいながら制作の様子を見守っており、同じ役割を果たす。そして何よりも親方の存在が興味深い。三嶋さんは親方を「マエストロ」というイタリア語で呼んでいた。 クラシック音楽の世界でも、しばしば指揮者は「マエストロ」と呼ばれる。もちろん偶然の一致ではない。工房の親方とオーケストラの指揮者は、極めて近しいポジションにあると考えていいのではなかろうか。 

そうしてできあがる三嶋さんの作品においては、同じ楽譜からまったく印象の異なる音楽が生まれるように、美術家が自分ですべてを手掛けるだけでは生まれ得ない、広がりのある表現が実現しているわけである。こんなところにも、音楽と美術の共通点があることもまた、なかなか興味深い話である。

三嶋りつ惠さん/Photo:Tadayuki Minamoto

Gyoemon作《宇宙で育った猫》(2019年)

地球で育った猫と宇宙で育った猫が同じ形をしているはずがない。しかし、生存中の大半の時間は眠っているという点ではおそらく同じなのではないかというのが筆者の見解だ。三嶋さんの造形に影響を受けたはずもないのに、心なしかこの猫は抽象化している。謎だ。Gyoemonは筆者の雅号。

展覧会情報
三嶋りつ惠「光の場 HALL OF LIGHT」

会期: 2019年12月7日(土)~ 2020年1月25日(土)※休廊 2019年12月29日(日)~ 2020年1月6日(月)

開廊時間: 火〜土曜 11:00~19:00(日月祝 休廊)

会場: シュウゴアーツ(東京都港区六本木6丁目5番24号 complex665 2F)

詳細はこちら

演奏するラクガキスト
小川敦生
演奏するラクガキスト
小川敦生 日曜ヴァイオリニスト、ラクガキスト、美術ジャーナリスト

1959年北九州市生まれ。東京大学文学部美術史学科卒業。日経BP社の音楽・美術分野の記者、「日経アート」誌編集長、日本経済新聞美術担当記者等を経て、2012年から多摩...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ