レポート
2019.11.18
ドイツ音楽紀行[後編]平和革命の地をたどって

ベルリンの壁崩壊から30年、1989年の平和革命と音楽――ライプツィヒ&ドレスデンの人々の想いとは

ドイツの東に位置するライプツィヒとドレスデン。後編では、その2都市を旅したジャーナリストの中村真人さんが、1989年10月9日の平和革命を象徴する場所に立ち会い、人々の願いに触れて、そこに息づくドイツの音楽へ思いをめぐらせる。

旅する人
中村真人
旅する人
中村真人 音楽ジャーナリスト、フリーライター

1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『新装改訂版 ベルリンガイドブック 歩いて見つけるベルリンとポツダム...

写真:中村真人

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月曜デモを鮮明に記憶するライプツィヒ

ライプツィヒ中央駅を出て旧市街に入るとき、右手の空き地前の壁に描かれた巨大な壁絵が目に入る。これまでは「ポップでカラフルな絵だな」と思いながら通り過ぎる程度だったのだが、現地ガイドのモニカ・メリッツさんが、ベルリンの壁崩壊へとつながる1989年の平和革命を題材にしていることを話してくれた。

平和革命20周年の2009年に地元出身の画家、ミヒャエル・フィッシャーによって描かれた壁絵。幅100メートル、高さ30メートルものスケールがある。

カラフルな壁絵の中で、モノクロ主体の部分がある。「ここだけ未完成なのか?」と思ってしまうが、そうではないらしい。

「89年9月末、プラハの西ドイツ大使館に数千人もの東ドイツ市民が逃げ込んだ有名な出来事がありますよね。衛生状況などが懸念されるなか、西独のゲンシャー外相はここのバルコニーに立ち、拡声器を持って『皆さんの出国は認められました』と発表しました。それによって、彼らは列車で西側に逃れることができた。ここでは、外相のトレードマークだった黄色のセーターにだけ色を付けて、その出来事を象徴しているのです」

1974年から1992年まで18年間、副首相兼外務大臣を務めたハンス=ディートリヒ・ゲンシャーが、1989年9月30日、プラハの西ドイツ大使館の敷地に約4000人いた亡命希望者に向けて告知したときの様子が描かれている。

それから間もない10月9日、ライプツィヒで決定的な出来事が起こる。

7万人もの市民が、「非暴力」「われわれは人民だ」などのプラカードを掲げてデモ行進をした。周囲には数千人もの武装した警官やシュタージ(秘密警察)が取り囲み、彼らとの一発触発の事態も懸念されたが、この月曜デモは平和裡に終わった。

当時のゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター、クルト・マズアがこの日、市民に向けて非暴力を呼びかけるアナウンスを行なったことも知られている。その夜のデモは、1ヶ月後のベルリンの壁崩壊の導線となった。

平和革命20周年を記念して、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウス管弦楽団が、同じ聖ニコライ教会で同じブラームスの交響曲第2番を演奏した際の動画

聖ニコライ教会の前に埋め込まれた1989年10月9日のデモを記念するプレート。

あの平和革命からちょうど30年が経ち、ライプツィヒは今変化の最中にある。若い人を惹きつける町として、メディアで取り上げられる機会も増えた。この空き地にもいずれ新しい建物が建つのだろうが、平和革命の年を鮮明に記憶しているメリッツさんは、「他の場所に移してもこの絵は残して欲しいですね」と静かに言った。

ライプツィヒ中央駅から平和革命と音楽をめぐるルート

リニューアルされたドレスデンの文化宮殿に当時の想いを見る

翌日、ドレスデンに移動し、中央駅前から伸びるプラーガー通りを歩いた。

この20年で周辺には新しい建物もたくさん建ったが、社会主義時代の面影はいまだに強く残る。やがて正面に見えてくるのが、アルトマルクト広場に面したクルトゥーアパラスト(文化宮殿)だ。

プラーガー通りで出会った1989年10月9日のデモを記録したインフォメーション。
ドレスデンのコンサートホール、クルトゥーアパラスト(文化宮殿)。

この音楽ホールが生まれたのは、ちょうど半世紀前の1969年。構想の際には、ワルシャワの有名な文化宮殿に似た豪奢な建物にする案もあったという。しかし、スターリン様式と呼ばれる建築様式の時代が終わりを迎えていた当時、選ばれたのは「地味な」案の方だった。

筆者は2000年に、このホールで学生オケの一員として演奏する機会に恵まれた。外観が美しいわけではないし、お世辞にも音響もいいとは言い難かった。それだけに、「外観は変えずに残し、ホールの内部を造り替える」という再生案を聞いたときは、正直驚いた。ドレスデンの現地ガイド、アルブレヒト・ホッホさんが、こんな話をしてくれる。

「ドレスデン市民にとって思い出が多い場所なので、外観やロビーなどは極力オリジナルのまま残すことにしたんです。カフェを備えた2階のホワイエには、当時の壁絵も保存されていますよ」

クルトゥーアパラスト(文化宮殿)2階のホワイエ。
社会主義体制当時の壁のフリーズ「Our Socialist Life」。

全体主義の体制下、緊張を強いられる日常生活を送っていた人々にとって、劇場でコンサートやオペラを聴く時間は、「自由」を感じられる貴重な時間だったという話を聞く。

2017年4月、ミヒャエル・ザンデルリンク指揮ドレスデン・フィルの開幕公演によって、ドレスデン市民の待望だったモダンなコンサートホールが誕生した。ヴィンヤード形式によるホールの響きは、アンネ=ゾフィー・ムターら著名アーティストからの評価も高い。

2017年4月に行なわれたオープニングコンサートの終演後の様子。

首席指揮者ミヒャエル・ザンデルリンクとドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団がクルトゥーアパラスト(文化宮殿)でライヴ・レコーディングした2019年5月の動画

ゼンパー・オーパーが《フィデリオ》で描いた意思

音楽都市ドレスデンのもう一つのハイライトといえば、何といってもゼンパー・オーパー(ドレスデン国立歌劇場)に代表されるオペラだろう。

この日私は、11時からのダニエーレ・ガッティ指揮ドレスデン・シュターツカペレの定期演奏会と、19時からのプッチーニのオペラ《ラ・ボエーム》を聴いた。シンフォニーとオペラというこの劇場が育んできた2大看板を、1日で味わう贅沢な日程を組むことができるのもドレスデンならではだ。

ゼンパー・オーパーの内部の映像

このゼンパー・オーパーもまた、1989年の平和革命で知られざる役を演じている。

東ドイツが建国40周年を迎えた10月7日、政府に抗議する街頭のデモ隊が逮捕されるというまさにその最中、ゼンパー・オーパーではベートーヴェンのオペラ《フィデリオ》の新演出上演が行なわれていた。

クリスティーネ・メーリッツによる演出は、舞台上の牢獄を東ドイツの閉ざされた国境と重ね合わせるという大胆不敵なものだった。おそらくメーリッツ自身、壁の崩壊はもちろん、そのプレミエの2日後に国の代表者とデモ参加者の初会談が行なわれることさえ、構想の時期には想像できなかったのではないか。

古典と呼ばれる作品が、まるで時代の流れを察知するかのように、思わぬ形でそこに秘めていたパワーを顕在させるときがある。ドレスデンを含め、ドイツの歌劇場で「今この時代」を意識した演出が多いのは、自由を求める人々が生み出す社会のうねりや時代の転換を、そう遠くない過去に経験していることが大きいように思う。

1989年10月7日にゼンパーオーパーでプレミエ上演された、メーリッツ演出のベートーヴェンのオペラ《フィデリオ》

オペラの休憩中、劇場内でワーグナーの像に出会った。ワーグナーこそ革命に縁の深い人だろう。当時ドレスデン宮廷歌劇場の指揮者だった彼は、貴族政治に反発し、1848年の市民革命に自ら参加した。ワーグナーは、現首席指揮者クリスティアン・ティーレマンの中核レパートリーでもある。次にドレスデンを訪れるときは、ぜひ彼らの生演奏を聴いてみたい。

ワーグナー像。ゼンパー・オーパーでは、オペラ《さまよえるオランダ人》と《タンホイザー》が本人の指揮により初演された。

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中村真人
旅する人
中村真人 音楽ジャーナリスト、フリーライター

1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『新装改訂版 ベルリンガイドブック 歩いて見つけるベルリンとポツダム...

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