レポート
2020.03.17
ドイツ音楽紀行[後編]

耳を傾けて世界を理解するために、ベートーヴェン、そして音楽が架け橋になる〜BTHVN2020オープニング

2020年はベートーヴェン(1770~1827)の生誕250周年。昨年12月、ドイツ・ボンでのベートーヴェン・イヤー「BTHVN 2020」の開幕を、ベルリン在住のジャーナリスト、中村真人さんが取材レポート!
リニューアルしてさらに充実したベートーヴェン・ハウス、ベートーヴェンの故郷を一望できる近隣の豊かな自然……そしてオープニング公演での祝辞で、ドイツの文化メディア国務大臣は何を語ったのでしょうか。

ボンを旅した人
中村真人
ボンを旅した人
中村真人 音楽ジャーナリスト、フリーライター

1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『新装改訂版 ベルリンガイドブック 歩いて見つけるベルリンとポツダム...

取材協力:ドイツ観光局

この記事をシェアする
Twiter
Facebook

世界最大規模を誇るベートーヴェン・ハウスがリニューアル!

ボンのベートーヴェンゆかりの場所といえば、まず生家であるベートーヴェン・ハウスだろう。

1770年12月17日、この家から300メートルほど離れた場所に所在した聖レミジウス教会(現在の同名の教会とは場所が異なる)で、彼の洗礼記録が残っている。当時、このライン地方では、出生後24時間以内に洗礼を受ける習慣があったため、生誕日は前日の12月16日だと考えられている。平野昭氏の『ベートーヴェン』(新潮文庫)による

ベートーヴェン・イヤー「BTHVN 2020」の公式の開幕公演も、この日に定められた。

ボン中央駅から徒歩10分程度で、ベートーヴェンの生家に到着。
ボンガッセ20番地にあるベートーヴェン・ハウス。

ベートーヴェン・ハウス

決して広くはない通りのボンガッセが、かなりの賑わいを見せている。それもそのはず、展示の改装のため約半年間休館していたベートーヴェン・ハウスのリニューアルオープンが間近に迫っていたからだ。

私は約5年ぶりにこの場所に足を運んだが、当時とは大きく様子が変わっている。正面入り口の通りを挟んだ向かいには、インフォセンターがオープンした。ここには、ベートーヴェン・ハウスのチケット売り場のみならず、ショップやカフェも併設されている。

ベートーヴェン・ハウスの向かいに新しくオープンしたインフォセンター。

これまでチケット売り場だったスペースは、特別展の会場となり、画家ヨーゼフ・シュティーラー(1781~1858)による数々の肖像画が展示されている(4月26日までの開催)。「ミサ・ソレムニス」の楽譜を手に持つ、精悍な表情のベートーヴェンを描いた肖像画は、おそらく今日もっともよく知られたベートーヴェン像だろう。

ヨーゼフ・シュティーラーが1820年に描いたベートーヴェンの肖像画。
© Beethoven-Haus Bonn

ベートーヴェンの暮らしを想起させるコレクション

ベートーヴェン関連のコレクションでは世界最大規模を誇るこのベートーヴェン・ハウスには、年間10万人が訪れる。今回のリニューアルにより、展示方法が年代順からテーマ別へと変わった。私たちプレスのために館内を案内してくれた方によると、「19世紀的なモニュメンタルな要素を取り除き、『人間』ベートーヴェンを描くように工夫しました」という。

宮廷楽士時代に演奏した弦楽四重奏の楽器。
©David Ertl, Beethoven-Haus
ベートーヴェン・ハウス2階に展示されているベートーヴェンのクラヴィーア。
©David Ertl, Beethoven-Haus

若きベートーヴェンがボンの国民劇場で弾いていたヴィオラ、やはり彼が弾いていた聖レミジウス教会に設置されていたオルガン台、生前最後に使っていた1824年作のコンラート・グラーフ製のハンマークラヴィーア(ピアノ)、さらに補聴器や筆談帳といった数々の遺品や手紙、資料など、いずれもここでしか見られない貴重な展示ばかりだ。

ベートーヴェンが使用していた補聴器。
©David Ertl, Beethoven-Haus
スケッチ帳やベートーヴェン愛用のペンなど、貴重な展示が並ぶ。
©David Ertl, Beethoven-Haus

今回のリニューアルにより、新たな展示の目玉が生まれた。中庭から地下に降りて行ったところにあるSchatzkammer(宝物館)と呼ばれる部屋だ。暗めの空間の中から、交響曲第7番のスケッチやピアノのための幻想曲など、ファクシミリではない正真正銘の自筆譜が浮かび上がる。ここではじっくり余韻に浸りたい。

地下の宝物館に展示されたベートーヴェンの自筆譜。
©David Ertl, Beethoven-Haus

ベートーヴェン・ハウスは、博物館の機能だけにとどまらない。この中庭の奥に、ベートーヴェン・ハウス協会が運営する美しい室内楽ホールが隠れるようにしてある。今年は記念年ならではのプログラムが組まれ、ピアニストだけをとっても、マルティン・シュタットフェルト、アンドラーシュ・シフ、ヴィキングル・オラフソンら豪華アーティストが出演する。

「内田光子さんがここで《ディアベリ変奏曲》を弾くコンサートのチケットは、即日で完売しました」とコミュニケーション担当のウルズラ・ティマー=フォンターニさんは微笑む。座席数199席のこのホールで聴く演奏は、至福のときに違いない。

 

ベートーヴェン・ハウス隣接の室内楽ホール。

ボン近郊の山からベートーヴェンの故郷を満喫

再び街中に戻ろう。

ライン川に架かるケネディ橋のたもとからは、中規模の山々が奥に見える。7つの峰が連なることからズィーベンゲビルゲと呼ばれる山地だ。父なるラインと山々が織りなす自然は、若きベートーヴェンにとっても馴染みの眺めだったはず。彼は後にウィーンに旅立つわけだが、このドナウの都も少し郊外に出れば山々が広がる。それらの風景は、故郷を離れた彼の心を落ち着かせたのではないだろうか。

ライン川に架かるケネディ橋にて。中央奥にズィーベンゲビルゲの山々が見える。

これまでボンに来るたびに気になっていたズィーベンゲビルゲに、今回初めて登ることができた。登るといっても、ドイツ最古のラック式鉄道であるドラッヒェンフェルス鉄道に乗れば、ドラッヒェンフェルス(標高320メートル)の山頂近くまで連れて行ってくれる。

ドラッヒェンフェルス鉄道に乗って山頂へ。
ドラッヒェンフェルス山頂からの眺め。

山頂から下る途中にある、ドラッヒェンブルク城も訪れた。

19世紀後半、銀行家ステファン・フォン・ザルターが私邸として建てさせた城だ。いかにもメルヘンに出てきそうなドイツ・ロマン派の時代に建てられた城で、かのノイシュヴァインシュタイン城と雰囲気が少し似ている。「竜の岩山」を意味するこのドラッヒェンフェルスは、中世の叙事詩《ニーベルンゲンの歌》に登場するジークフリートがここで竜を退治し、返り血を浴びて不死身となった伝説で知られる。

この叙事詩から啓発を受けて楽劇《ニーベルングの指環》を創作したのが、かのリヒャルト・ワーグナーだ。ちなみに現在、ボンのベートーヴェン音楽祭の総監督を務めるニケ・ワーグナーはワーグナーの曽孫にあたる。ベートーヴェンと、彼を崇拝していたワーグナーという2人の天才は、ボンにおいても接点があったのだった。

現在は博物館として見学できるドラッヒェンブルク城。

ドラッヒェンブルク城

夕方、ズィーベンゲビルゲのもうひとつの山、ペータースベルクに登った。

この山上には西ドイツ時代から迎賓館があり、イギリスのエリザベス2世を始め、ドイツを訪問する国賓の宿泊施設として使われてきた。1990年にシュタインベルガー・グランドホテル・ペータースベルクとして生まれ変わり、昨年秋にリニューアルオープンしたばかりのこのホテルのレストランで、夕食をいただく。眼下に広がるボンの日没時の眺めと合わせて、夢心地のひと時だった。

上:ペータースベルクのシュタインベルガー・グランドホテルから眺めたボン市内の情景

左:旧墓地にあるベートーヴェンの母、マリア・マグダレーナのお墓

ドイツの大臣がオープニングで語った、音楽の力を発揮するために必要なこと

旅の締めくくりは、ベートーヴェン・イヤーのオープニング公演。ディルク・カフタン指揮、ボン・ベートーヴェン管弦楽団による演奏会の模様は、ドイツ全土にテレビ中継された。

オープニング公演が行なわれたボン歌劇場。

華やかなこの公演でひとつ印象深かったのは、《レオノーレ》序曲第3番が力強く奏でられたあと、モニカ・グリュッタース文化メディア担当国務大臣が述べた祝辞だった。

ベートーヴェンが21世紀に生きていたら、どんなことが起きていたでしょう。彼のツイッターやインスタグラムのフォロワーは何人ぐらいいたでしょう。そして、彼は私たちに何を語りかけるでしょうか

今日に至るまで、ベートーヴェンの音楽はあらゆる境界を超えて、人間を揺り動かし、人同士を結びつけてきました。いま偏狭なナショナリズムやポピュリズムが力を増す中で、彼の音楽がもつヴィジョンの力から、私たちは勇気と確信を得られるのです

ナチ時代に白バラ抵抗運動で活動したゾフィー・ショルは、音楽がもつ特別な力についてこう語ったことがあります。『音楽は心を穏やかにしてくれます。暴力を用いることなく、魂の扉を開けてくれるのです』と。

音楽は翻訳を必要としない言語です。しかし、その力を発揮するためには、ひょっとしたらあらゆる言語よりも耳を澄ますことが必要になります。さまざまな声部、拍子や調性、音量の大小に耳を傾けなければならないからです。ですから、『聴くことを学ぶ』ということは音楽教育の核であります。そしてそれは、ドイツやヨーロッパ、世界を理解するための前提条件でもあるのです

祝辞を述べるモニカ・グリュッタース文化メディア担当国務大臣。
© Beethoven Jubiläums GmbH

演奏会が《合唱幻想曲》で壮大に締めくくられた後のレセプションで、ウィーン在住のジャーナリストのマルティンさんがポツリと言った。「大臣のスピーチがよかった。オーストリアの政治家だったら、ああいうふうにはいかないだろうな……」

今回のプレスツアーには、アメリカ、オランダ、オーストリア、フランス、中国、そして日本人の私と、小規模ながら世界各地からのジャーナリストが参加した。空いた時間には、それぞれの出身国の政治や報道の状況について語り合うこともあった。

このレポートの前編でも触れたことだが、私にとってベートーヴェンという存在は、人間社会や世界を映し出す鏡であり、それらを理解するための架け橋にもなっているような気がする。彼の故郷ボンを記念の機会に訪れて、改めてそんなことを感じた。

オープニング公演で演奏したディルク・カフタン指揮ボン・ベートーヴェン管弦楽団。
© Beethoven Jubiläums GmbH
ボンを旅した人
中村真人
ボンを旅した人
中村真人 音楽ジャーナリスト、フリーライター

1975年、神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、2000年よりベルリン在住。著書に『新装改訂版 ベルリンガイドブック 歩いて見つけるベルリンとポツダム...

ONTOMOの更新情報を1~2週間に1度まとめてお知らせします!

更新情報をSNSでチェック
ページのトップへ