土の上に生きた宮澤賢治の言葉、琵琶湖の自然を声にまとう——びわ湖ホール声楽アンサンブル
9月、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール専属の声楽アンサンブルが、東京文化会館小ホールへ。宮澤賢治を題材に、日本を代表する作曲家、林光の歌や、寺嶋陸也の合唱劇を歌う。
寺嶋陸也の楽譜の挿絵を手がけたこともある、児童文学者で絵本作家の本間ちひろさんは何を感じたのでしょうか。
1978年、神奈川に生まれる。東京学芸大学大学院修了。2004年、『詩画集いいねこだった』(書肆楽々)で第37回日本児童文学者協会新人賞。作品には絵本『ねこくん こん...
林光が歌にした宮澤賢治の詩
歌が運んだ、琵琶湖の風を深呼吸する。
「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」
びわ湖ホール声楽アンサンブルのコンサートは、この宮澤賢治の童話集『注文の多い料理店』の序の言葉からはじまった。
林光の作曲した音楽に、イーハトーブ、賢治が愛した岩手の風と、琵琶湖の風が織り重なって、指揮をしながらの寺嶋陸也さんのピアノの音が、晴れる間際の小雨のようにキラキラ光って降ってくる。
聴き手の私たちは、その音楽の風をたべるのだ。
寺嶋陸也が描く賢治の作品と実生活
寺嶋陸也作曲の合唱劇《かなしみはちからに、~宮澤賢治 未来への手紙~》では、童話の世界や手紙、詩、さまざまな賢治の言葉と想いが、歌、朗読、独り言、劇中劇で私たちに届けられる。
いつのまにか、賢治の世界に引き込まれてしまう。寺嶋陸也さんは、この作曲について、こう話してくださった。
「手紙を読むシーンは、意図して曲にはしませんでした。賢治の実生活と作品は、非常に近いものながら、やはり別々のものであり、手紙は完全に実生活のもの。
しかしながら、『小岩井農場』を歌う『透明な軌道』と、『永訣の朝』、そして終曲の賢治が友人に送った手紙の欄外にかかれたアフォリズム(格言)のような言葉〔かなしみはちからに、欲りはいつくしみに、いかりは智慧にみちびかるべし。〕の歌は、作品と実生活とがオーヴァーラップするさまを表現し、この合唱劇全体の焦点、クライマックスとしました」
「読む」ことで出会っていた賢治の言葉が、息づいて浮かび上がってくる。初めての賢治体験。
このように語り伝えられる文学作品は、どんなに幸せだろう。音楽で伝えることについて、寺嶋さんはこう語る。
「文学作品を歌にすることは(民謡の編曲なども)、作品を伝承する一つの方法。聴いてくれる多くの人に伝えようとすると同時に、未来へ伝えていくことでもあります。そして、演奏者の表現意欲を刺激して、パワーの漲る演奏を引き出せるような曲がいい曲なのだと考えています」
もともとその歌手が持っている声の響きや、楽団のある地の自然は、ワインのテロワールのように、音楽に美しい個性を与えるのだと感じた。土の上に生きた宮澤賢治の言葉、琵琶湖の自然を声にまとう、この声楽アンサンブルだからこそ歌われる世界がある。(よかったねえ、賢治さん)と心から思った。
「実生活と作品は、別々のものでありながらも、つながっている」という賢治の作品がもつ問いかけと答えが、音楽の中にあって。聴き手の私が涙しているのは、それを感じるからかもしれない。完成された表現の中の、ほんの一筋の野趣の光は、野の花のような愛おしさになって、聴く人を本来の自分に連れて行ってくれる。
ぽとんと生まれ落ちた時の、柔らかさに。
音楽 ほんまちひろ
まるで空っぽの私になって
ホールをあとにする
すべてをふりほどいて
ただ、泣いたという記憶だけ
作曲の寺嶋陸也さんの楽譜の本に絵を描いたことがある。それは私の人生で「音楽と出会った」という大切な経験のうちの一つで、1冊は『嵯峨信之の詩による混声合唱のための3つのモテット「ヒロシマ神話」』(2016年 寺嶋陸也 作曲/音楽之友社)。作品の大切な重みを、その夏の間、考えたり想ったりして、地平線と細い三日月を描いた。
もう1冊は、『無伴奏混声合唱のための 魔のひととき』(原民喜 詩/寺嶋陸也 作曲/音楽之友社)。想いを感じながら、詩に出てくる「槐の花」を描いた。
編集者から絵の依頼がくると、図書館でその詩集などを探して読む。「ヒロシマ神話」のときは、編集者から送られてきた初演の音源を聴いた。詩集の平らなページから、音楽によって、こんなに大きなイメージ空間が立ち現れること、その大きな空間が「想い」の空間でもあることに、驚いた。無限に広がるその空間で、いのちを想う。音楽で生み出される空間で、音楽が音楽で語る。私にそれを見せてくれたのが寺嶋陸也さんの合唱曲なのだ。
日本初の公共ホール専属声楽家集団。オペラ公演やオーケストラ公演へ出演するほか、歌曲・宗教曲・合唱曲など多岐にわたる声楽曲に取り組み、アウトリーチも積極的に行なっている。
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