レポート
2022.05.25

佐渡裕が新日本フィルのミュージック・アドヴァイザーに就任!次の聴衆を育てるために

今年、すみだトリフォニーホールを活動の本拠地とする新日本フィルハーモニー交響楽団(以下、新日本フィル)が創立50周年を迎える。この記念すべき年に、佐渡裕が「ミュージック・アドヴァイザー」に就任、5月24日にすみだトリフォニーホールで記者発表会が開かれた。佐渡は2023年4月に新日本フィルの音楽監督に就任予定。

5月24日すみだトリフォニーホールにおける記者発表会で話す佐渡裕

佐渡裕 Yutaka Sado
京都市立芸術大学卒業。1987年アメリカのタングルウッド音楽祭に参加、その後、故レナード・バーンスタイン、小澤征爾らに師事。89年新進指揮者の登竜門として権威あるブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。これまでパリ管弦楽団、バイエルン国立歌劇場管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団等ヨーロッパの一流オーケストラに多数客演を重ねている。また海外でのオペラ公演も多数指揮。現在はオーストリアで110年以上の歴史を持つトーンキュンストラー管弦楽団音楽監督を務め、欧州の拠点をウィーンに置いて活動。国内では兵庫県立芸術文化センター芸術監督、他。CDも多数リリース。

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佐渡裕と新日本フィルの絆

新日本フィルと佐渡裕の関係は深い。同楽団は、佐渡が師事した小澤征爾と山本直純が牽引役となって1972年に設立された、自主運営のオーケストラ。佐渡は1988年に井上道義の「ハイドン交響曲全曲演奏会」に呼ばれて初めて新日本フィルの指揮台に立ち、1990年には、小澤征爾がかつて優勝したブザンソン指揮コンクール優勝の凱旋公演を新日本フィルと行なっている。さらにその2年後には「指揮者」のタイトルを得て、約3年間同楽団を指揮した。

「これまで100回くらい新日本フィルを振ってきました。その後、ヨーロッパや兵庫県立芸術文化センターの仕事もあって、20年くらい振っていなかったのですが、自分が憧れたこのオーケストラの5代目の音楽監督として、来年戻ってくることになります。

『ミュージックアドヴァイザー』は、そのための1年間にいろいろな準備をし、どういうことができるかを考え、すみだから次のクラシックファン、オーケストラファンを育てていくことを目指して準備をしていく1年間だと思っています」(佐渡)

一人でも多くの人にオーケストラを聴く喜びを

佐渡が1987年にタングルウッド音楽祭に参加した際、バーンスタインは彼を次のように形容したという。

「じゃがいものようなやつを見つけた、今はまだ泥がついているけれど、泥がとれる日がきたら世界中の人が毎日聴くような音楽をつくるだろう」。

この言葉を佐渡は、自分にとっての大きな宿題だといい、「一人でも多くの人にオーケストラを聴く喜び、クラシック音楽のすばらしさを届けるのがお前の仕事と言われたと受け取っている」という。

様々な刺激に満ちた現代においても、「何百年も続いたオーケストラが火のつくような演奏をし、今ベートーヴェンが目の前で生きていると感じられるような演奏が届けられれば、オーケストラ音楽は今の人たちに大きな喜びを与えられる」と確信している。

レパートリーの中心は「ウィーン・ライン」

レパートリーに関しては、オーケストラとの信頼関係を築くためにも、佐渡が「ウィーン・ライン」と名付ける、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンから始まるウィーンで活躍した音楽家をレパートリーの中心にすえる予定。

ハイドンのように室内楽に近い編成のものは、オーケストラ・メンバーのアンサンブル意識も高まり、そうしたものが核となって、たとえばマーラーやブルックナーのような大きな作品にもつながっていくという。

自身がトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督として、欧州の拠点をウィーンに置いて活動している経験も盛り込んでいく。

その一方で、日本を代表する作曲家の武満徹をはじめ、様々な作曲家も取り上げて、プログラムにヴァラエティをもたせていければと考えている。

「このオーケストラはこういうものを軸にして、佐渡の新体制でオーケストラを作っていこうとしている。そういうことを慎重にじっくりと考えて、また来年からの新しいスタートを切りたいと思っています」。

 

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