
ドン・ウォズが故郷の仲間と作ったソウル・ジャズ・ファンクバンドと「This Is My Country」

ラジオのように! 心に沁みる音楽、今聴くべき音楽を書き綴る。Stereo×WebマガジンONTOMO連携企画として、ピーター・バラカンさんの「自分の好きな音楽をみんなにも聴かせたい!」という情熱溢れる連載をアーカイブ掲載します。
●アーティスト名、地名などは筆者の発音通りに表記しています。
●本記事は『Stereo』2025年12月号に掲載されたものです。

ロン ドン大学卒業後来日、日本の音楽系出版社やYMOのマネッジメントを経て音楽系のキャスターとなる。以後テレビやFMで活躍中。また多くの書籍の執筆や、音楽イヘ...
ブルー・ノートのプロデューサーと社長を務める
ドン・ウォズというと、まずレコード・プロデューサーとしての顔が浮かびます。その役割でぼくが最初に認識したのはたぶん、低迷中だったボニー・レイトが1989年度のグラミー賞で最優秀アルバム賞を受賞することになった『ニック・オヴ・タイム』を手がけた時だと思います。それまでは、Was(Not Was)というちょっと変わり種ダンス・ミュージックをやっている人という印象しかなかったのですが、90年代以降はプロデューサーとしてローリング・ストーンズをはじめ、ボブ・ディランのアルバムとか、個人的な愛聴盤『Rhythm Country & Blues』という白人と黒人のデュエットで構成したユニークな企画アルバムも手がけたりしました。
Rhythm Country & Blues
そして2012年からは、ブルー・ノート・レーベルの社長を務めることになりました。当時は一見、意外性のある人選でしたが、若い頃からジャズに興味があったようです。高校生のころのある土曜日、友だちと遊びたいのに母とのお使いに付き合わされて、一人で車の中で待っている時の暇つぶしにラジオをつけたらジャズの局でジョー・ヘンダスンの「モード・フォー・ジョー」という曲がかかったそうです。衝撃を受けたドンはすぐ、まだ珍しかったFMラジオを買って積極的にジャズを聴くようになり、特にブルー・ノートのアルバムを、独特なジャケットのデザインのためにも買い集め始めました。
ジョー・ヘンダスン「モード・フォー・ジョー」
ブルー・ノートでもプロデューサーとして関わることもありますが、アルフレッド・ライオンが1939年にブルー・ノートを創立した時からの制作のポリシーは、優れたアーティストを見つけ、その才能をうまくレコードに収めることを助けながら、できるだけ邪魔をしないことだそうです。ドンもブルー・ノートでレコードをプロデュースする際、そのポリシーを意識すると言います。
自身のバンドの新作は21世紀版ソウル・ジャズ・ファンク
元々ベイシストだった彼は最近、元グレイトフル・デッドのボブ・ウィアと一緒にウルフ・ブラザーズというバンドとして時々ライヴをやっています。そして、この前久しぶりに自分のバンドを結成しました。Don Was & The Pan-Detroit Ensembleです。本人入れて9人編成のこのバンドのメンバーは全員デトロイト出身です。
結成のきっかけは、トランペット奏者のテレンス・ブランチャード。デトロイト交響楽団のクリエイティヴ・ディレクターを務める彼はジャズのコンサート・シリーズを企画していて、そのうちの一つをやらないかとドンに頼んだら軽くOKしました。その時点ではまだだいぶ先の話で、しばらく忘れていたのですが、半年後、突然思い出してバンドがないので慌ててしまいました。
そこで考えました。他のアーティストのことを意識せずに、自分にしかできないことをやりたい、と。故郷デトロイトで昔からの仲間も含むミュージシャンを集め、最初の顔合わせからすぐにしっくりくるものを感じたそうですが、2024年3月にデトロイトのオーケストラ・ホールで行なわれた公演をきっかけに他にもライヴを行なって、アルバムまで作りました。9月に発売されたそのアルバム『Groove In The Face Of Adversity』(逆境の中のグルーヴ)は、21世紀版ソウル・ジャズ・ファンクとでも言える雰囲気で素晴らしい内容です。
全6曲のうち、3曲はライヴです。24年3月のデトロイト公演からは2曲あ
ります。ドン自身の作曲による「You Asked, I Came」、そしてハンク・ウィリアムズの「I Ainʼt Got Nothinʼ But Time」です。これはクレジットを見なければハンク・ウィリアムズの曲だと気づく人はほとんどいないでしょう。
このバンドのヴォーカルを担当するステファニー・クリスティアンは、若干ベティ・ラヴェットに近いハスキーな歌い方で、彼女が歌うとまるでソウルの曲に生まれ変わります。もう1曲のライヴは、24年9月のサン・フランシスコ・ジャズ・フェスティヴァルで録音された「Nubian Lady」です。
しばらくデトロイトを拠点にしていたサックス/フルート奏者ユセフ・ラティーフのために、ピアニストのケニー・バロンが作った少し東洋風のメロディをもった曲で、1980年代のWas(Not Was)のころからドン・ウォズの仲間だというデイヴ・マクマリのフルートと、ルイス・レストのエレクトリック・ピアノは秀逸です(マクマリはブルー・ノート・レーベルからドンがプロデュースし、グレイトフル・デッドの曲を特集したアルバムを2枚発表しています)。他の3曲は、ア・トライブ・コールド・クウェスト、キャメオ、そしてカーティス・メイフィールドの作品です。
国内での演奏は素晴らしく感激した
アルバムの発売に合わせて来日したこのバンドの演奏を、ブルー・ノート・ジャズ・フェスティヴァルで見ることができました。ガランとした有明アリーナではそれまでの出演者と違って驚くほどいい音響で、感激するほど素晴らしい演奏を聴かせてくれました。
最後に演奏されたのは、カーティス・メイフィールドの「This Is My Country」。カーティスがまだインプレションズのリーダーだった1968年の作品で、キング牧師が暗殺され、公民権運動がブラック・プライドの時期に移行するタイミングでした。
「俺の国でもあるぞ」。ライヴで演奏する前にドン・ウォズは少し話し、混とんとした現在のアメリカで同じメッセージを発したいと言っていました。アルバムより長く盛り上がった演奏に、観客がスタンディング・オヴェイションを送りました。
ちなみに、アルバムはブルー・ノートではなく、あえてMack Avenueというデトロイトのインディ・レーベルから発表されています。





関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
関連する記事
ランキング
- Daily
- Monthly
新着記事Latest

















