《こうもり》のオルロフスキーは超甘党? マデイラ・ワインとシャンパンのお味
オペラには、当時は身近に感じることができただろうけど、現代の感覚とはずれていたりピンとこなかったりする表現がある……そんなオペラに潜んだ「リアリティ」を、数多くのオペラ製作に携わる指揮者の根本卓也さんが掘り下げます。第3回は《こうもり》に出てくるお酒に注目! オルロフスキー公が甘党だったとは、どういうことなのでしょうか?
東京藝術大学大学院修士課程(指揮専攻)修了。在学中に故・若杉弘氏に、英・独・仏・伊・羅・露・チェコ語に至るまで、あらゆる舞台作品を原語で解する類稀な才能を見出されキャ...
オルロフスキーが勧めたのはマデイラ・ワイン
さて、今回取り上げますのはウィンナ・オペレッタの代表作、ヨハン・シュトラウス2世の《こうもり》です。
なんと言ってもこのオペレッタでは、2幕のオルロフスキー邸舞踏会の場面が見せ場です。オペレッタならではの寸劇じみた会話も音楽に花を添えますが、幕開け早々、アイゼンシュタインが遅刻気味にやって来るなりオルロフスキー公に勧められ、慣れないウォッカを一気飲みしてむせる姿もお約束の一つとなっています。
オペレッタの台詞部分は、楽譜に印刷されているオリジナルのものをベースに、各プロダクションの演出家が手を入れて作成するのが常です。例えば、少し先の場面で刑務所長フランクとアイゼンシュタインが、なんちゃってフランス語で会話するところ(No.8 アデーレのクープレのあと)などは、これまで関わってきた公演ごとに何を喋るかは違っていました。ですが、オルロフスキーとアイゼンシュタインがウォッカで乾杯するというのは不変なので、これはオリジナル通りなのだろうと思っていたのですが、原作を見ると……
Orlofsky: Trinken Sie ein Gläschen Madeira mit mir?
オルロフスキー:マデイラ・ワインを一杯、私と飲んで下さいますな?
フランス料理のソースに使う、あのマデイラ・ワイン?
……なんて言うと、怒られてしまいますね。このポルトガルのマデイラ島特産の酒精強化ワイン(発酵の途中でアルコールを添加することで、保存性を高める)は、同じ仲間のシェリー酒やポートワイン同様に、食前酒あるいは食後酒として用いられます。
辛口から極甘口までバリエーションがあるのですが、ここではどちらを飲んでいるのでしょうか? その鍵を解くもう一つの鍵が、このオペレッタで重要な役割を演ずる、シャンパンです。
シャンパンはコーラよりも甘かった!?
シャンパンと言えば、辛口でキリッとした泡、あの独特の官能的な香りを想像されるでしょう。しかし、19世紀半ばのシャンパンは我々の想像を遥かに超える極甘口が主流でした。
2010年の7月、フィンランド沖の沈没船から1820~30年代のものと思しきシャンパンが引き上げられました(参考記事はこちら)。コルクの刻印からそのうちのいくつかが有名なヴーヴ・クリコであることが確認され、その成分の分析が行なわれたところ、現在のシャンパンの規格でもっとも一般的な“brut(残糖分12g/L以下)”の10倍以上、約140g/Lの残糖分が検出されたとのこと。これは身近なものだとウェルチの100%グレープジュースとほぼ同じで、コカ・コーラより多い!
さらに驚きなのは、2015年に米科学アカデミー紀要に掲載された論文(英文)によると、1814年以来ヴーヴ・クリコはロシアにかなりの量のシャンパンを輸出するようになっており、同社に残るアーカイヴ記録によると、彼らは300g/L(!)以上の超・甘口のリクエストをしていたとのこと(そうしてみると、オルロフスキーもきっと極甘党に違いない)。そして、どうやらこの150g/L前後というのは当時のフランスやドイツ語圏で一般的な糖度だったようです(ちなみに英米圏はずっと低かったらしい)。
シャンパンは製法上、途中で一度澱を除去する工程でどうしても目減りしてしまうため、そのぶんをサトウキビやぶどう果汁を煮詰めて作ったシロップとワインを混ぜたもので補います。そのときにどうやら700g/L以上に相当するような、ものすごい糖度のものを使ったことが論文中では示唆されています。
今の我々からすると、ジュースのように甘いシャンパンをガブ飲みしながら夜通し踊り明かすとは、狂気の沙汰としか思えませんが、甘いからこそいくらでも入ったのかもしれませんね。皆さん、飲み過ぎにはくれぐれもご注意を……。
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