アンナ・マグダレーナ・バッハは本当に「糟糠の妻」だったのか?〜「楽長夫人」の実際
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの2番目の妻で、大家族を切り盛りし、夫の仕事を手伝う「糟糠の妻」というイメージが強いアンナ・マグダレーナ。しかし、そのような妻の理想像は、主にフランス革命以降の市民社会でのことだった――。ゲヴァントハウス管のコントラバス奏者、エーバーハルト・シュプレー氏による最近の著書を参考に、当時の「妻」の実態を通して、ロマンティックな想像に覆われてきたアンナ・マグダレーナの実像に迫ります。
東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院博士課程満期退学(音楽史専攻)。音楽物書き。主にバッハを中心とする古楽およびオペラについて執筆、講演活動を行う。オンライン...
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「妻」といえば、2番目の妻であるアンナ・マグダレーナが有名だ。バッハより16歳若かったアンナ・マグダレーナは、妻として母として大家族を切り盛りし、夫の仕事を手伝う「糟糠の妻」というイメージが強い。
20世紀の初め、エスター・メネルというイギリスの女流作家が『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』という小説を世に出したが、ドイツ語訳される際に作者の名前がなぜか伏せられ、マグダレーナ本人の作のように広まってしまった。『バッハの思い出』のタイトルで邦訳もされているが(1967年)、訳者もこの本がマグダレーナの作だと信じていた節がある。ここに描かれているのは、前述のような「糟糠の妻」、アンナ・マグダレーナだ。
だが、そのような家庭的な「糟糠の妻」が理想とされるようになったのは、主にフランス革命以降の市民社会でのこと。それ以前は、バッハのような自営業的な職人(音楽家は「職人」だった)の場合、妻は夫の仕事を手伝うのが当然だった。マグダレーナは夫の楽譜をたくさん筆写しているが、それも「仕事」のうちだったのである。
彼女の実像がわかりにくいのは、資料がほとんど残されていないからだ。肖像画もなければ、自筆の手紙もほとんどない。だから想像を交えた話になってしまう。
ゲヴァントハウス管弦楽団のコントラバス奏者であり、アンナ・マグダレーナ・バッハの研究で博士号を取得したエーバーハルト・シュプレー氏は、著書『楽長夫人アンナ・マグダレーナ・バッハ ある時代の肖像』(2021)で、当時の「妻」の実態を通して、ロマンティックな想像に覆われてきたアンナ・マグダレーナの実像に、別の角度からスポットを当てている。
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