バッハの生涯と主要作品
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの生涯と主要作品を、音楽学者・為本章子が解説!
文ー為本章子(音楽学者)
バッハの生涯
ドイツの作曲家,オルガン奏者。「大バッハ」と呼ばれる。テューリンゲン地方を中心に16世紀以来,約2世紀にわたり50人以上の音楽家を輩出した家系の出であり,父はアイゼナハの町楽師兼宮廷音楽家ヨハン・アンブロージウス・バッハ(1645-95)。母マリーア・エリーザベト・レンマーヒルト(1644-94)との間に生まれた8人の子供の末子である。
1.少年時代(1685-1700年)
1690-93年アイゼナハのドイツ語学校,93年からラテン語学校に入学し,ゲオルク教会の少年聖歌隊員も務め,父の従兄で当教会のオルガニスト,ヨハン・クリストフ・バッハの作品と演奏に強く触発された。父からは弦楽器をはじめ,種々な楽器の奏法を学んだものと推定。10歳足らずで両親を相次いで失い,長兄でオールドルフのミカエル教会オルガニストのヨハン・クリストフ(1671-1721)に3歳上の兄と共に引き取られる。当地の高等神学校<リツェウム>でルター正統派の神学,歴史,古典,算術などを履修する。パッヘルベルの弟子であった長兄からは師のオルガン・コラール様式を伝授され,鍵盤楽器奏法も習得した。ミカエル教会の大オルガンは97年に大規模な修復を迫られ,その作業を担当する長兄を手伝いつつ,オルガン構造の知識を得る。長兄はパッヘルベル,フローベルガー,ケルルらの作品を筆写譜で所蔵していたが,その閲覧を拒まれたバッハは夜半に月明かりのもと筆写,完了直後に発覚して没収されたという逸話が《故人略伝 Nekrolog》(8.参照)に記述されている。在学中,聖歌隊奨学生として奨学金を受ける。
2.リューネブルク(1700-02年)
兄の家族も増え,高等神学校カントルの配慮で1700年3月,学友ゲオルク・エールトマンと共に北ドイツのハンザ都市リューネブルクのミカエル教会付属学校の給費生となる。授業の水準は高く修辞学も履修し,宗教作品の歌詞に対する深い解釈の基礎となる。代々のカントルは楽譜図書館の充実にも砕心した。バッハは程なく変声期を迎え,バスのパートおよびオルガニストの助手や代理を担当。ヨハネ教会オルガニストのG.ベームとも密接な交流を得て,北ドイツ・オルガン様式やフランスの各種舞曲音楽を学ぶ。ハンブルクのオルガン音楽の巨匠ラインケンと接する機会も得られ,同地へ赴いてその主要なレパートリーと楽器との深い関わりをじかに体得した。一方,《故人略伝》には当時,隆盛を誇っていたハンブルク・オペラに関する記述は皆無である。
ツェレに本拠を置くリューネブルクの領主ヴィルヘルム公は,妃がユグノー教徒であることからもフランス文化を積極的に摂取した。ミカエル学校に隣接する,貴族の子弟用に設立された寄宿制騎士学校<リッターアカデミー>では,一般教養科目にフランス語,乗馬,舞踏などフランス文化に関わる科目も付加した。両校の聖歌隊員が共に朝夕の礼拝で合唱する関係からも当然,密接な交流が生じ,ミカエル学校の生徒もフランス文化に接する貴重な機会を得たと推定される。
3.青年時代(1702-08年)
1702年春,ミカエル学校卒業に伴い経済的自立を迫られ,同年秋ザンガーハウゼンの聖ヤコブ教会オルガニスト職に応募した。選考委員全員の賛意で公式に合格が認定,しかし当市の統治者筋に採用は変更された。次いでアルンシュタットの新教会<ノイエ・キルヒェ>で建造中のオルガンに着目するが楽器の完成が遅れ,03年1月,一時的にワイマールのザクセン公弟ヨハン・エルンストの宮廷楽団員(財務記録は「従僕」)に就任。楽団は小編成ながら技術水準は高く,団員には数種の楽器を使いこなせる才能が要求された。
1703年6月にアルンシュタットの新オルガンが完成し,試奏者としてバッハが招聘されて妙技を披露した。おそらくその直後の7月にはオルガニストとして採用が決定し,正式の任命書は8月9日付で交付された。固定給は前職の2倍近く結婚式や特別な礼拝には臨時手当も支給されたが,学生たちと折り合いが悪く,聖職会議に2度までも挙げられる。05年11月に4週間の許可を取り,オルガン音楽の重鎮ブクステフーデが開催する「夕べの音楽」を聴くためリューベックのマリア教会へ250マイルの道程を「徒歩で」(《故人略伝》)旅した。楽器学にも造詣が深い巨匠の,広範な様式を包括する音楽芸術に傾倒して絶大な収穫を得る。翌年1月末にようやく帰任し,聖職会議から厳しい叱責を受ける。また礼拝のオルガン・コラールに「奇妙な変奏,奇異な音を加えて会衆を困惑させる」と非難された。学生との不和からその訓練を怠った点も指摘され,職務への意欲を失う。
折しも帝国自由都市ミュールハウゼンの聖ブラージウス教会で,1706年末に死亡したオルガニストの後任を募集していた。バッハはこれに応募して,07年4月の公開試験に合格,7月に新しい職に就任した。前職と同額の給料(前任者の約1.3倍)に薪や穀類も支給され,市の小規模な教会に交代で礼拝を受け持つ手当も加算の他,結婚式・葬儀などの臨時収入も前職より多く,年収はかなり増大した。同年10月,交際していた又いとこマリーア・バルバラ・バッハ(1684-1720)と結婚。17年前に大修理された当教会の大オルガンの随所に欠陥を見いだし,08年2月に大掛かりな修理と拡大を市議会に申請し直ちに認可された。同月,市参事会員交代式の礼拝音楽が当教会で演奏され,多重合唱の壮麗かつ大規模なバッハのカンタータ《神はわが王なり Gott ist mein König》BWV71は会衆を魅了し,市の費用で印刷出版された。
1708年6月半ば,ワイマール宮廷の修復を完了した大オルガンの試演に招かれ,その場で統治者ヴィルヘルム・エルンスト公から,老年で病弱の宮廷オルガニストに代わりこの職に就任する意向を打診されて即,承諾した(《故人略伝》)。この唐突な転職の動機は,市への辞任状によると第一に「より良い暮らし」,つまりワイマールが提示した現職の1.75倍の給料,第二に新しい職場における専門の音楽家のみで演奏できる環境とある。ミュールハウゼン市の当局者からは極めて円満に合意を得て,後年までカンタータ作品とその演奏の依頼も受けた。
4.ワイマール時代(1708-17年)
1708年7月に妻と内弟子2人を伴いワイマールへ移住し,宮廷オルガニスト兼室内音楽家<カンマームジクス>に就任。当市は領主エルンスト公と甥のエルンスト・アウグスト公(最初の職場で仕えたヨハン・エルンスト公の子息)の共同統治であり,ルター正統派の領主は当然,教会音楽を重視した。宮廷礼拝堂オルガンはバッハ着任寸前に根本的に修理されたが,12年6月,さらに大々的な分解修理の申請が出され2年間にわたり改装された。バッハの全オルガン曲の約半数が当時代に創作されている。また,ドイツ各地へオルガン演奏旅行に赴く自由にも恵まれた。13年11月末頃,ハレ市の聖母教会理事会からも招かれて訪問。前年8月に没したツァッホが計画した巨大なオルガンへ助言を期待されたと推定できる。滞在中にツァッホの後任職の応募を勧められ公式の審査を受ける。演奏と審査用のカンタータは好評を呼び,12月に当職に任命されたが給料の点で折り合わず辞退。この件を契機にワイマール宮廷は14年3月,彼を楽師長<コンツェルトマイスター>に昇進させたため4週間ごとのカンタータ作曲の義務が付加される。カンタータに関しては従来の教会コンチェルト様式を離れ,レチタティーヴォとダ・カーポ・アリアのナポリ派オペラ様式を採用。ノイマイスターやザーロモ・フランク(1659-1725)らの優れた歌詞を得て傑作が相次ぐ。イタリアの協奏様式にも強い関心を抱き,特にヴィヴァルディのヴァイオリン協奏作品を鍵盤楽曲に編曲して,この様式を習得する手引きとした。その契機はアウグスト公の異母弟ヨハン・エルンスト侯が13年春,アムステルダムで入手したイタリアの協奏作品を含む膨大な印刷・手稿譜を城の図書館に搬入したことによる。
バッハは近隣のザクセン=アイゼナハ宮廷の楽長テーレマンや,ギムナジウム副校長兼宮廷図書館長の古典学者ヨハン・マティーアス・ゲスナー(1691-1761),オルガニストで遠縁のJ.G.ヴァルターらとも親交を深め互いに触発し合う。教育者としても充実し,前職以来の内弟子2人をはじめ領主の楽才豊かな2人の甥の音楽教育も引き受ける。領主の甥(兄)アウグスト公の結婚や誕生日といった祝典では,カンタータの演奏など親密な交流を重ねた。それが領主の不快を買い当地を去る要因となる。領主と甥は権力の座をめぐり根深い確執の間柄であった。1716年12月,老宮廷楽長ヨハン・ザームエル・ドレーゼが死去しバッハが宮廷音楽全般の責任を代行したが,宮廷での身分はドレーゼの息子である副楽長の下位にあった。
宮廷外では彼は確実に高い評価を得ていた。その一例に1717年秋のマルシャンとの鍵盤楽器「演奏試合」がある。《故人略伝》によると,マルシャンが競演当日の早朝に当地をたち去ったため,バッハはひとり国王および貴顕の前で演奏し全員の称賛を浴びたという。17年はバッハに関する記述が初めて活字で現れた年でもある。マッテゾンの《庇護された楽団 Das beschützte Orchestre》に,バッハの「教会音楽も鍵盤楽曲も目を通したが,これらはこの人物を高く評価させるに違いない」とある。
ワイマール職への意欲を失い職責であるカンタータの作曲も激減した矢先,アウグスト公妃の兄レーオポルト侯(1694-1728)が統治するアンハルト=ケーテンの宮廷楽長職が空席となった。侯が直ちにバッハに着目したのは,幾度か義弟の城に招かれバッハの祝祭用カンタータを耳にし,高く評価していたためと推定される。1717年8月,バッハは即,就任承諾書に署名した。バッハの辞任願いをめぐり領主との関係は最悪の事態となり,同年11月6日,退職を強引に要求したかどで彼は拘置された。要求を翻す意志がバッハに全くないと判明してエルンスト公は彼の留任を断念し,12月2日に釈放の末,退職を言い渡した。
5.ケーテン時代(1717-23年)
1717年12月末,妻とワイマールで誕生した子供4人を引き連れケーテンに到着。当宮廷はカルヴァン派に属し教会音楽を重視せぬことを承知でバッハが就任した動機は,宮廷楽長の地位と恵まれた環境で音楽に没頭できる魅力であろう。侯は音楽に造詣が深く,美声を備え多種の楽器演奏に優れ,自らも作曲した。バッハを尊敬する友人としても対処し,給料は前任者の約2倍という異例の厚遇であった。宮廷楽団は17人で構成され,侯の誕生日と新年用の教会カンタータ以外は世俗曲を中心に創作された。オルガン曲を除くバッハの器楽作品の大部分がこの時代に属するが,今日,宮廷用作品の多くは紛失している。
1719年3月,楽団に2段鍵盤付き大型チェンバロを購入するためベルリンに出張,その間にブランデンブルク辺境伯に謁見した可能性が高い(1721年に《ブランデンブルク協奏曲》を伯に献呈した際のスコア序文に,「2年ほど前,謁見の栄を得て」とある)。19年6月にはヘンデルがハレに帰郷と聞き訪ねるが,到着した時には折あしくヘンデルは旅立っていた。20年5月下旬から侯に随行し,王侯貴族の避暑地で有名なボヘミアのカールスバート(現カルロヴィ・ヴァリ)へ数人の楽団員と共に出張。7月上旬に帰宅したバッハを待っていたのは,思いがけぬ妻急逝の報であり,既に埋葬も終わったという(《故人略伝》)。魂の救済を教会音楽に求めてかシュニットガー製の名高いオルガンに惹かれてか, 11月にハンブルクを訪ね聖ヤコブ教会のオルガニストを志願。試験に先立ち聖カタリーナ教会でオルガン独奏会を開き,当教会オルガニストのラインケン列席のもと《バビロンの流れのほとりで An Wasserflüssen Babylon》BWV653を奏して巨匠から想定外の賛辞を受けた。その評判により聖職会議は正規の試験日を待たず採用を内定したが,公職に就く者は多額の寄付金を支払う市の慣習のためバッハから受諾の返答が得られず,一週間猶予ののち他者に採用が決定した。
1721年12月,アンハルト=ツェルプスト侯国の宮廷トランペット奏者の娘で,ケーテン宮廷付きソプラノ歌手のアンナ・マクダレーナ・ヴィルケ(1701-60)と再婚。新妻は宮廷歌手の仕事を続けながら大世帯の家事をこなし,夫の作品を数多く筆写した。夫婦の筆跡は時に見分け難いほどの類似をみる。かけがえなき伴侶への感謝を込めて22年に着手された《アンナ・マクダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集 Clavier-Büchlein vor Anna Magdalena Bachin》第1巻は今日大半が紛失したが,《フランス組曲》の最初の5曲が含まれている。25年に着手された第2巻は,アリアやコラールなどの声楽曲も取り混ぜた家庭音楽帳である。クラヴィーア作品は主として子弟の教育用に作曲された。20年1月より着手の《ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集 Clavier-Büchlein vor Wilhelm Friedemann Bach》は,期待をかけた10歳の長男の教材用に作成され,《インヴェンションとシンフォニア》の大部分と《平均律クラヴィーア曲集Das wohltemperirte Clavier》第1巻中11曲の前奏曲の初期稿が掲載されている。
生涯で最も幸福なケーテンの生活は,1723年に逡巡の末,終わりを遂げる。後述の「エールトマン書簡」では理由に,21年末に結婚した侯の妃が音楽に無趣味のため侯の音楽熱が冷めたらしいこと,息子たちの大学教育に好都合な大学都市に職を得たいこと,ライプツィヒの新しい職が経済的に好条件と思われることの3点を挙げている。実際,ケーテン宮廷の音楽予算は侯が結婚した21年から9%減少し23年には楽団員数も14人に減る。バッハ夫妻の給料も3.6%削減された。その他の要因として,ルター正統派のバッハが教会の私的使用や子供の就学条件などで種々の不当な扱いを受けた点も挙げられよう。しかし侯との変わらぬ親交はケーテンを離れた後も続き,侯の誕生日や息子の生誕あるいは追悼に際しカンタータを贈った。
6.ライプツィヒ時代(1723-没年)
ザクセン地方の商業と学問の中心地ライプツィヒは市長と市参事会が行政を,聖職会議が宗教上の諸問題を処理し,精神文化面では大学と教会が采配を振るった。市全体はルター正統派に属す。市の2大教会のうちトーマス教会ではカントルのクーナウが1722年6月に死去したため,後任の人選中であった。テーレマン,グラウプナーが当職への依頼を断り,「最高の人材が得られぬとならば,並でもやむを得ぬ」(当市議会議事録)としてバッハがやむなく選ばれた。23年2月の採用試験ではカンタータ《イエスは12弟子をひき寄せ Jesus nahm zu sich die Zwölfe》BWV22と《汝まことの神にしてダビデの子 Du wahrer Gott und Davids Sohn》BWV23を演奏している。
1723年5月,バッハ一家は当市に移住し,トーマス学校付属のカントル用宿舎に入居した。身分は「トーマス学校カントル兼市内4教会担当の音楽監督<ディレクトール・ムジチェス>」である。カントルの地位は副校長に次ぎ,職務は器楽・声楽の個人指導と合唱指導,初級ラテン語と教理箇条の授業であるが,音楽教育以外は先例に従い他の教師に任せた。また,トーマスとニコライ両教会に対し交互に日曜・祝祭日用カンタータを提供し,市議会議員選挙や市参事会員交代の式典および冠婚葬祭用の音楽も一任され,大学の音楽活動にも関与した。そこで校長以外に市参事会,聖職会議,大学当局を上司に持つ結果となり,しかも上司は互いに反目し合っていたため心労が絶えなかった。仕事は多忙な上,各上司と衝突する。大学付属のパウロ教会で開催の音楽行事を,大学当局はバッハを無視して専属の音楽監督に一任しようと企てたため争いを起こす。また,礼拝の賛美歌の選定権をめぐり聖職会議と衝突し,合唱団員の人選問題から市参事会と敵対関係となり,30年8月には激しい抗議文を参事会に提出する。
一方,経済条件は厳しく固定給はケーテンの約4分の1に減少,その上,妻は職を失う。ただし冠婚葬祭や教会のチェンバロ管理への謝礼などの副収入が入り,住居費は無料,相当の暖房・光熱費も支給され,概算年収は妻と合計したケーテンの収入にほぼ等しい。しかし物価・生活費は小侯国と大商業都市との落差が倍以上に及ぶ。次第に職務への情熱を失い,ダンツィヒでロシア大使を務める旧友エールトマンに1730年10月28日付で,有名な「エールトマン書簡」を送り就職を依頼するが,返信の有無は不明である。次いでザクセン選帝侯が当市に及ぼす権力に着目し,ドレスデン在住の新選帝侯兼ポーランド王から宮廷作曲家の肩書を得ようと尽力する。33年7月にミサ曲ロ短調のキリエとグロリアをドレスデンで演奏し,そのパート譜一式に選帝侯付き宮廷作曲家の肩書を賜りたい旨の書簡を添えて献呈。3年後の36年11月にようやく念願がかない,上司たちからの表立った妨害は治まる。
バッハのライプツィヒ時代を3つの時期に大別して創作ジャンルと活動の推移を概観する。第1期の1729年までは教会音楽家としての職務に専念。この期間に受難曲,モテットなどの大部分が書かれたが,中心は教会カンタータである。現存する210曲余りのカンタータ中,少なくとも約80%がライプツィヒ時代,しかも大半は第1期に集中している。年間のほぼ全ての日曜および各祝祭日の礼拝用に作曲し,家族や弟子も総動員でパート譜を作成後,演奏指導の末に間に合わせた。バッハは後年に継続するこの職務に使い回しが利くように,年度ごとの一覧(年巻 Jahrgänge)を《故人略伝》によると5年分作成したとされるが,3年分のみが現存している。カンタータが演奏されない受難節聖金曜日用に2曲(《故人略伝》では5曲)の受難曲大作,つまり《ヨハネ受難曲》(1724初演)と《マタイ受難曲》(1727初演)も成立。
1735年頃までの第2期では,バッハが29年からの41年頃までに監督・指揮を務めた大学の演奏団体コレギウム・ムジクム用の作品群が目立つ。自他の作品から編曲したクラヴィーア協奏曲,各種室内楽曲,《コーヒー・カンタータ》BWV211を含む楽しい世俗カンタータなどである。大学内以外にゴットフリート・ツィンマーマンが経営するカフェを舞台に定期・不定期,夏の庭園や野外などの演奏会を催し,オペラ以外の世俗音楽の場を市民に提供し交流を図った。
1736年以降の第3期では新作が減少し,過去の自作を推敲して体系的な曲集にまとめる作業に専念。オルガン曲も含め,名人級の技術を要する全4巻の《クラヴィーア練習曲集 Clavier-Übung》の第3,4巻を39,41年に出版した。47-48年頃には6曲の《シュープラー・コラール集 ‘Schübler’ chorales》,カノン変奏曲《高き天より,われは来れり Vom Himmel hoch da komm ich her》を出版,後者はミツラー・フォン・コロフ創立の音楽学協会に入会の際の寄贈作品である。《平均律クラヴィーア曲集》第2巻およびオルガン前奏曲《17(18)曲のコラール編曲》も編纂された(生前未出版)。47年5月,ポツダムのC.P.E.バッハを訪ねてフリードリヒ2世に謁見した際,王が与えた即興演奏の主題を基に帰宅後,曲集《音楽の捧げ物 Musikalisches Opfer》を作成して,2カ月後に王に献呈,さらに数曲を追加して出版した。過去の音楽遺産の総決算として,具象性を超えた《フーガの技法 Die Kunst der Fuge》の創作に42年頃から着手する。白内障進行のため49年秋より視力をほとんど失う。有名な英国の眼科医ジョン・テイラーの2度に及ぶ手術の失敗後,卒中の発作に襲われ,《フーガの技法》は未完のまま翌年7月28日20時15分頃他界,31日午後ヨハネ教会に埋葬された。ライプツィヒ,ベルリン,その他の新聞はバッハの複数の肩書と死因(眼の手術の失敗)を報じ,「傑出した才人の逝去を全ての真の音楽愛好者が哀悼する」と記述した。埋葬箇所は長らく不明であったが1894年に開始されたヨハネ教会改築の際に確認され,遺骨の詳細な科学鑑定の結果,バッハの遺体と特定されて,1950年にトーマス教会内に移葬。
7.様式
現存する作品は,オペラ以外のほとんど全ジャンルに及ぶ。所属する職務,状況に応じて要請の多いジャンルに集中を示す。北ドイツの厳格な対位法様式,イタリアの協奏曲と声楽様式,フランスの鍵盤楽器様式と管弦楽法など,バロック音楽の多様な様式を吸収,同化,統合する。線的思考と和声思考,世俗性と宗教性が止揚されて偉大な頂を築く。さらにベッセラーのように,古典派の出発点となる多感性や主題労作などの諸要素を指摘する見解もある。しかしシャイベの《批判的音楽家》誌(1737年5月14日号)における「過剰な技巧によって……自然性を欠く」という評価,あるいは1734年以来のトーマス学校の上司ヨハン・アウグスト・エルネスティ(1707-81)との激しい対立に象徴されるように,伝統的なドイツ・プロテスタントの合理思想に根差すバッハの職人精神が,新しい世代の始まりを示す啓蒙思想とは妥協点を見いだしえなかったのも事実であろう。
8.研究史,全集,作品目録
死後,最初の「生涯と作品」の情報は上述の《故人略伝》であり,C.P.E. バッハとJ.F.アグリーコラが《新設音楽文庫》誌1754年号に掲載した。貴重な資料であるが,のちの研究により記述に若干の誤りが認められる。その後は久しく脚光を浴びぬまま19世紀に至り,フォルケルによる評伝とメンデルスゾーンによる《マタイ受難曲》の復活演奏(1829年)を皮切りに,ロマン派時代の神聖なる教会音楽家バッハ像が築かれる。
1850年,ヤーン,シューマン,リストらによりバッハ協会が創設され,翌年より全集《バッハ協会版》(略称:BG,通称:旧バッハ全集)の刊行を開始,99年に完結した。シュピッタの《バッハ Johann Sebastian Bach》(全2巻,1873,80)など,記念碑的な業績が相次ぐ。20世紀に入ると新バッハ協会(1900年)の設立により,《バッハ年鑑 Bach-Jahrbuch》(1904- )に始まる研究の促進と作品の普及に新たな展開をみる。世紀後半では資料研究の目覚ましい進展と併せて,教会音楽家としての一面のみに定着した従来のバッハ像に警鐘を鳴らすブルーメらの観点を反映する歴史的様式論が現れる。
さらに1950年のバッハ没後200年大会で《新バッハ全集 Neue Bach-Ausgabe》(略称:NBA)刊行が決定し,翌年ゲッティンゲンにバッハ研究所が設置されて,編集・校訂作業を開始した。53年ライプツィヒのバッハ・アルヒーフがこの企画に参入し54年に第1巻を配本後,2007年に一部未完を残し出版を完了,10年に総索引も刊行された。旧全集では「序文」で処理された「校訂報告」は各巻別冊として詳述される。しかしNBAにもまた,新たに発見された資料や蛍光X線分析法などの開発による改訂の対象と判断された版が生じ,同年より《新バッハ全集改訂版 Neue Bach-Ausgabe: Revidierte Edition》(略称:NBArev,巻末に校訂報告)が刊行続行。NBA刊行決定と同じ1950年,シュミーダーによる作品目録(Bach-Werke-Verzeichnis)が刊行され,その略称BWVはバッハ作品番号としてあまねく使用されて今日に至る(改訂・増補版:BWV2,1990)。さらに,アルフレッド・デュルと小林義武編集でその後の研究成果を補足する目録が出版された(BWV2a,1998)。一連のBWV目録とは別に,ハンス=ヨアヒム・シュルツェとクリストフ・ヴォルフ共編の《バッハ・コンペンディウム Bach Compendium》(略称:BC)が85年より出版を開始されたが,89年の第4巻以降は中断。日本語版では角倉一朗編《バッハ作品総目録》(1997)があり,BWVとBC(既出のみ)番号を併用している。
20世紀後半におけるバッハの伝記・作品研究書は枚挙にいとまがない。今世紀初頭刊行の2つの業績を挙げると,1つは伝記・作品・資料研究のマルティン・ゲック著《Bach Leben und Werk》(2000,日本語版:《ヨハン・ゼバスティアン・バッハ》2001),もう1冊は伝記研究の白眉ヴォルフ著《Johann Sebastian Bach: The Learned Musician》(2000,日本語版:《ヨハン・ゼバスティアン・バッハ――学識ある音楽家》2004)がある。
バッハの主要作品
BWVはシュミーダーによる目録で与えられた作品番号
【管弦楽曲】
管弦楽組曲 : No.1 C BWV1066 1718頃, No.2 h BWV1067 1721頃, No.3 D BWV1068 1722頃, No.4 D BWV1069 1725頃
【協奏曲】
ヴァイオリン協奏曲 : No.1 a BWV1041 1720頃, No.2 E BWV1042 1720頃 ; 2つのヴァイオリンのための協奏曲 d BWV1043 1718頃 ; フルート,ヴァイオリンとチェンバロのための協奏曲 a BWV1044 1738-40 ; ブランデンブルク協奏曲 1721[献呈]: No.1 F BWV1046, No.2 F BWV1047, No.3 G BWV1048, No.4 G BWV1049, No.5 D BWV1050, No.6 B BWV1051 ; チェンバロ協奏曲 : d BWV1052 1738-39頃, E BWV1053 1738-39頃, D BWV1054 1738-39頃, A BWV1055 1738-39頃, f BWV1056 1738-39頃, F BWV1057 1738-39頃, g BWV1058 1733-46 ; 2台のチェンバロのための協奏曲 : c BWV1060 1736頃, C BWV1061 1733-34, c BWV1062 1736 ; 3台のチェンバロのための協奏曲 : d BWV1063 1730頃, C BWV1064 1730頃 ; 4台のチェンバロのための協奏曲 a BWV1065 1730頃
【室内楽曲】
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 1720 : No.1 g BWV1001, No.2 a BWV1003, No.3 C BWV1005 ; 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 1720 : No.1 h BWV1002, No.2 d BWV1004, No.3 E BWV1006 ; 無伴奏チェロ組曲 1720頃 : No.1 G BWV1007, No.2 d BWV1008, No.3 C BWV1009, No.4 Es BWV1010, No.5 c BWV1011, No.6 D BWV1012 ; 無伴奏フルートのためのパルティータ a BWV1013 1725 ; ヴァイオリン・ソナタ 1720頃 : No.1 h BWV1014, No.2 A BWV1015, No.3 E BWV1016, No.4 c BWV1017, No.5 f BWV1018, No.6 G BWV1019 ; ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ : G BWV1021 1720頃, e BWV1023 1714-17 ; ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ : No.1 G BWV1027 1720-39頃, No.2 D BWV1028 1720-39頃, No.3 g BWV1029 1730-39頃 ; フルートとクラヴィーアのためのソナタ : No.1 h BWV1030 1736?, No.2 Es BWV1031 1734以前, No.3 A BWV1032 1724? ; フルートと通奏低音のためのソナタ : e BWV1034 1717-20?, E BWV1035 1720頃 ; トリオ・ソナタ G BWV1039 1720頃
【クラヴィーア曲】
インヴェンションとシンフォニア BWV772-801 1720 ; 4曲のデュエット BWV802-805 1739刊 ; イギリス組曲(1.A BWV806 2.a BWV807 3.g BWV808 4.F BWV809 5.e BWV810 6.d BWV811) 1712-25頃 ; フランス組曲(1.d BWV812 2.c BWV813 3.h BWV814 4.Es BWV815 5.G BWV816 6.E BWV817) 1722-25頃 ; 組曲 : a BWV818 1720-22, Es BWV819 1725頃, F[序曲] BWV820 1703-04, g[序曲] BWV822 1700-03? ; 6つのパルティータ(1.B BWV825 2.c BWV826 3.a BWV827 4.D BWV828 5.G BWV829 6.e BWV830) 1731刊 ; フランス風序曲[パルティータ] h BWV831 1735刊 ; 組曲 A BWV832 1707以前 ; 平均律クラヴィーア曲集 : 第1巻 BWV846-869 1720-22, 第2巻 BWV870-893 1738-42頃 ; 前奏曲とフーガ : a BWV894 1708-17, A BWV896 1708以前? ; 前奏曲とフゲッタ : F BWV901 1717-23?, G BWV902 1717-20? ; 半音階的幻想曲とフーガ d BWV903 1714-23 ; 幻想曲とフーガ a BWV904 1725頃 ; トッカータ : fis BWV910 1710頃, c BWV911 1710頃, D BWV912 1710-13頃, d BWV913 1708以前, e BWV914 1708以前, g BWV915 1708以前, G BWV916 1710頃 ; 9つの小前奏曲 BWV924-932[BWV925,931は偽作か] 1720-26 ; 6つの小前奏曲 BWV933-938 1717-23? ; 5つの小前奏曲 BWV939-943 1717-23? ; フーガ : C BWV946 1708頃, h BWV951 1712頃, C BWV953 1723-24 ; フゲッタ c BWV961 1712以降 ; ソナタ D BWV963 1704頃 ; イタリア協奏曲 BWV971 1735刊 ; ゴルトベルク変奏曲[アリアと30の変奏曲] G BWV988 1741刊 ; アリアと変奏 a BWV989 1713以前 ; カプリッチョ : B《最愛の兄の旅立ちにあたって》 BWV992 1703-04?, E《ヨハン・クリストフ・バッハをたたえて》 BWV993 1704頃
【クラヴィーア用編曲】
ソナタ 1712以前? : a BWV965, C BWV966[以上原曲はラインケンによる]; 協奏曲 1713-14 : D BWV972, G BWV973[以上ヴィヴァルディによる], d BWV974[A. マルチェッロによる], g BWV975, C BWV976[以上ヴィヴァルディによる], C BWV977[原曲作者不明], F BWV978[ヴィヴァルディによる], h BWV979[トレッリによる], G BWV980[ヴィヴァルディによる], c BWV981[B.G. マルチェッロによる], B BWV982[ヨハン・エルンスト公による], g BWV983[原曲作者不明], C BWV984[ヨハン・エルンスト公による], g BWV985[テーレマンによる], G BWV986[原曲作者不明], d BWV987[ヨハン・エルンスト公による]
【オルガン曲】
ソナタ 1727頃 : No.1 Es BWV525, No.2 c BWV526, No.3 d BWV527, No.4 e BWV528, No.5 C BWV529, No.6 G BWV530 ; 前奏曲とフーガ : C BWV531 1709頃, D BWV532 1709頃, e BWV533 1709頃?, f BWV534 1716頃, g BWV535 1709頃, A BWV536 1716頃?, d BWV539 1724-25, G BWV541 1724-25, a BWV543 1709頃, h BWV544 1727-31, C BWV545 1730頃, c BWV546 1716-30頃, C BWV547 1744頃, e BWV548 1725-36, c BWV549 1703-04, G BWV550 1709頃, a BWV551 1706以前, Es BWV552 1739刊 ; 幻想曲とフーガ : c BWV537 1716頃, g BWV542 1720頃 ; トッカータ,アダージョとフーガ C BWV564 1709頃 ; トッカータとフーガ : d BWV538 1708-17, F BWV540 1708-23, d BWV565 1709頃 ; 前奏曲 : G BWV568 1708頃, a BWV569 1709頃 ; 幻想曲 : C BWV570 1709頃, G BWV572 1705-06 ; フーガ : c BWV574 1709以前, c BWV575 1703-05, g BWV578 1708-17, h BWV579 1708-17 ; パッサカリア c BWV582 1708-10 ; トリオ d BWV583 1723-30 ; カンツォーナ d BWV588 1708-17 ; パストラーレ F BWV590 1703-17
【オルガン用編曲】
協奏曲 1713-14頃 : G BWV592[原曲はヨハン・エルンスト公による], a BWV593, C BWV594[以上ヴィヴァルディによる], C BWV595[ヨハン・エルンスト公による], d BWV596[ヴィヴァルディによる]
【コラール前奏曲】
オルガン小曲集(1.いざ来れ,異教徒の救い主よ BWV599 2.神よ,汝の慈悲により/神の子は来りぬ BWV600 3.主キリスト,神のひとり子/主なる神,今ぞたたえられよ BWV601 4.全能の神をほめまつれ BWV602 5.みどりごがベツレヘムに生まれた BWV603 6.ほめられよ,イエス・キリスト BWV604 7.かくも喜びあふれる日は BWV605 8.高き天より,われは来れり BWV606 9.空から天使の群れが来りて BWV607 10.甘い喜びのうちで BWV608 11.神をほめまつれ,キリストの徒よ,もろともに BWV609 12.イエス,わが喜び BWV610 13.キリストを,われら今やほめるべし BWV611 14.われらキリストの徒は BWV612 15.神の恵みをともにたたえん BWV613 16.古い年は過ぎ去った BWV614 17.汝にこそ喜びあり BWV615 18.平和と歓喜のうちにわれ逝かん BWV616 19.主なる神よ,いざ天の扉を開きたまえ BWV617 20.おお,罪のない神の小羊 BWV618 21.キリストよ,汝,神の小羊 BWV619 22.キリストはわれらに至福を与え BWV620 23.イエスが十字架にかかったとき BWV621 24.おお人よ,汝の大いなる罪を嘆け BWV622 25.われら汝に感謝す,主イエス・キリストよ BWV623 26.神よ,われを助けて成し遂げさせたまえ BWV624 27.キリストは死の縄目につきたまえり BWV625 28.イエス・キリスト,われらの救い主は死に打ち勝ち BWV626 29.キリストはよみがえりたまえり BWV627 30.聖なるキリストはよみがえりたまえり BWV628 31.栄光の日が現れたり BWV629 32.神の子はこの日に勝利したもう BWV630 33.来れ,創り主にして聖霊なる神よ BWV631 34.主イエス・キリストよ,われらに眼を向けたまえ BWV632 35-36.最愛なるイエスよ,われらここにあり BWV633-634 37.これぞ聖なる十戒なり BWV635 38.天にましますわれらの父よ BWV636 39.アダムの罪により,ものみな滅びたり BWV637 40.われらに救い来れり BWV638 41.われ汝に呼びかけん,主イエス・キリストよ BWV639 42.われは汝に希望を抱けり,主よ BWV640 43.われら苦しみの極みにあるとき BWV641 44.ただ愛する神の摂理にまかす者は BWV642 45.人はみな死ぬべき定めなり BWV643 46.ああ,いかにはかなく,いかにむなしき BWV644) 1713-16
【コラール変奏曲】
汝明るい日なるキリスト BWV766 1704頃 ; おお,汝まことの神よ BWV767 1700-03? ; 来れ,恵み深きイエスよ BWV768 1700-17 ; ああ,罪人なるわれ,何をすべきや BWV770 1703-07? ; カノン変奏曲《高き天より,われは来れり》 BWV769 1747または48刊
【コラール編曲】
6曲のコラール編曲[シュープラー・コラール集](1.目覚めよと呼ぶ声あり BWV645 2.われいずこに逃れゆかん/わが愛する神に頼らん BWV646 3.ただ愛する神の摂理にまかす者は BWV647 4.わが魂は主をあがめ BWV648 5.ああ,われらのもとにとどまりたまえ,主イエス・キリストよ BWV649 6.イエスよ,汝は今や天から地上に降りたもう BWV650) 1747または48刊 ; 17[18]曲のコラール編曲(1.幻想曲《来れ聖霊,主なる神よ》 BWV651 2.来れ聖霊,主なる神よ BWV652 3.バビロンの流れのほとりで BWV653 4.身を飾れ,おお愛する魂よ BWV654 5.トリオ《主イエス・キリストよ,われらに眼を向けたまえ》 BWV655 6.おお,罪のない神の小羊 BWV656 7.今ぞ,もろびと,神に感謝せよ BWV657 8.われは神から離れまじ BWV658 9.いざ来れ,異教徒の救い主よ BWV659 10.トリオ《いざ来れ,異教徒の救い主よ》 BWV660 11.いざ来れ,異教徒の救い主よ BWV661 12-14.いと高きところの神にのみ栄光あれ BWV662-664 15-16.イエス・キリスト,われらの救い主は BWV665-666 17.来れ,創り主にして聖霊なる神よ BWV667) 1708-17 ; 21曲のコラール編曲[クラヴィーア練習曲集第3部より](1.キリエ,永遠の父なる神よ BWV669 2.キリストよ,すべての世の慰めよ BWV670 3.キリエ,聖霊なる神よ BWV671 4.キリエ,永遠の父なる神よ BWV672 5.キリストよ,すべての世の慰めよ BWV673 6.キリエ,聖霊なる神よ BWV674 7-9.いと高きところの神にのみ栄光あれ BWV675-677 10-11.これぞ聖なる十戒なり BWV678-679 12-13.われらみな,唯一なる神を信ず BWV680-681 14-15.天にましますわれらの父よ BWV682-683 16-17.われらの主キリスト,ヨルダン川に来れり BWV684-685 18-19.深き苦しみの淵から,汝に叫ばん BWV686-687 20-21.イエス・キリスト,われらの救い主は BWV688-689) 1739刊 ; キルンベルガー・コラール集(1-2.ただ愛する神の摂理にまかす者は BWV690-691 5.われいずこに逃れゆかん BWV694 6.幻想曲《キリストは死の縄目につきたまえり》 BWV695 7.フゲッタ《キリストを,われら今やほめるべし》 BWV696 8.フゲッタ《ほめられよ,イエス・キリスト》 BWV697 9.フゲッタ《主キリスト,神のひとり子》 BWV698 10.フゲッタ《いざ来れ,異教徒の救い主よ》 BWV699 11-12.高き天より,われは来れり BWV700-701 13.フゲッタ《幼子イエスこそ,わが慰め》 BWV702 14.フゲッタ《神の子は来りぬ》 BWV703 15.フゲッタ《全能の神をほめまつれ》 BWV704 16.アダムの罪により,ものみな滅びたり BWV705 17.最愛なるイエスよ,われらここにあり BWV706 18-19.わが身を神に委ねたり BWV707-708 20.主イエス・キリストよ,われらに眼を向けたまえ BWV709 21.われらキリストの徒は BWV710 22.いと高きところの神にのみ栄光あれ BWV711 23.われは汝に希望を抱けり,主よ BWV712 24.幻想曲《イエス,わが喜び》 BWV713)[3,4は偽作] 1708-20頃 ; 27曲のコラール編曲(1.ああ,神にして主よ,いかに大きく重いことか BWV714 2.いと高きところの神にのみ栄光あれ BWV715 3.フーガ《いと高きところの神にのみ栄光あれ》 BWV716 4.いと高きところの神にのみ栄光あれ BWV717 5.キリストは死の縄目につきたまえり BWV718 6.かくも喜びあふれる日は BWV719 7.神は堅きとりで BWV720 8.われを憐れみたまえ,おお主なる神よ BWV721 9.たたえられよ,イエス・キリスト BWV722 11.神よ,汝の慈悲によりて/神の子は来りぬ BWV724 12.主なる神よ,われら汝をたたえん BWV725 13.主イエス・キリストよ,われらに眼を向けたまえ BWV726 14.心よりわれは求めん BWV727 15.わが確信たるイエスは BWV728 16.甘い喜びのうちで BWV729 17-18.最愛なるイエスよ,われらここにあり BWV730-731 19.神をほめまつれ,キリストの徒よ,もろともに BWV732 20.マニフィカトによるフーガ《わが魂は主をあがめ》 BWV733 21.いざ喜べ,愛するキリストの徒よ BWV734 22.幻想曲《われ汝に別れを告げん》 BWV735 23.われ汝に別れを告げん BWV736 24.天にましますわれらの父よ BWV737 25.高き天より,われは来れり BWV738 26.暁の星はいと麗しきかな BWV739)[10,27は偽作] 1703-23? ; 25曲のコラール編曲(1.ああ神よ,天より見たまえ BWV741 2.ああ主よ,あわれなる罪人のわれを BWV742 10.主イエス・キリスト,わが命の光よ BWV750 13.イエス,わが喜び BWV753 24.暁の星はいと麗しきかな BWV764)[3-9,11-12,14-23は疑作あるいは偽作,25は断片] 1707-20? ; ノイマイスター・コラール集(1.われらキリストの徒は BWV1090 2.古い年は過ぎ去った BWV1091 3.主なる神よ,いざ天の扉を開きたまえ BWV1092 4.最愛なるイエスよ,汝はいかなる罪を犯せしや BWV1093 5.おおイエスよ,汝の姿はいかに BWV1094 6.おお,罪のない神の小羊 BWV1095 8.汝に栄光あれ,苦しみを受けるキリストよ BWV1097 9.われらみな,唯一なる神を信ず BWV1098 10.深き苦しみの淵から,汝に叫ばん BWV1099 11.ただ汝ひとりに,主イエス・キリストよ BWV1100 12.アダムの罪により,ものみな滅びたり BWV1101 13.汝,平和の王,主イエス・キリストよ BWV1102 14.主よ,われらをみ言葉のもとに守りたまえ BWV1103 15.不幸が汝を襲うとき BWV1104 16.イエス,わが喜び BWV1105 17.神はわが救い,わが助けと慰めなり BWV1106 18.わが命の命なるイエスよ BWV1107 19.夜にイエス・キリストが BWV1108 20.ああ神よ,憐れみたまえ BWV1109 21.おお主なる神よ,汝の聖なる言葉は BWV1110 22.今や亡<なき>骸<がら>を葬らん BWV1111 23.キリストこそわが命 BWV1112 24.わが身を神に委ねたり BWV1113 25.主イエス・キリスト,至高の宝よ BWV1114 26.心から汝を愛す,おお主よ BWV1115 27.神のみわざはすべて善し BWV1116 28.人はみな死ぬべき定めなり BWV1117 29.元気になれ,わが心よ BWV1118 30.泉を求めるように BWV1119 31.汝明るい日なるキリスト BWV1120)[7は偽作] 1695-1705
【特殊な器楽作品】
音楽の捧げ物 BWV1079 1747 ; フーガの技法 BWV1080 1742-49頃
【リュート曲】
組曲 : g BWV995 1727-31, e BWV996 1707-17, E BWV1006a 1736-37[BWV997,1000は偽作]; 前奏曲とフーガとアレグロ Es BWV998 1740-45 ; 前奏曲 c BWV999 1720頃
【受難曲】
《マタイ受難曲》 BWV244 1727初演 ; 《ヨハネ受難曲》 BWV245 1724初演
【オラトリオ】
《昇天祭オラトリオ》 BWV11 1735初演 ; 《クリスマス・オラトリオ》 BWV248 1734初演 ; 《復活祭オラトリオ》 BWV249 1725初演
【教会カンタータ】
1.暁の星はいと麗しきかな BWV1 1725初演 ; 2.ああ神よ,天より見たまえ BWV2 1724初演 ; 3.ああ神よ,いかにあまたの心の痛手 BWV3 1725初演 ; 4.キリストは死の縄目につきたまえり BWV4 1707初演? ; 5.われいずこに逃れゆかん BWV5 1724初演 ; 6.われらのもとにとどまりたまえ,はや夕べとなれば BWV6 1725初演 ; 7.われらの主キリスト,ヨルダン川に来れり BWV7 1724初演 ; 8.最愛の神よ,われいつの日に死なん BWV8 1724初演 ; 9.救いはわれらに来れり BWV9 1732初演? ; 10.わが魂は主をあがめ BWV10 1724初演 ; 12.泣き,嘆き,憂い,おののき BWV12 1714初演 ; 13.わがため息,わが涙は BWV13 1726初演 ; 14.このとき,神われらとともになかりせば BWV14 1735初演 ; 16.主なる神よ,われら汝をほめん BWV16 1726初演 ; 17.感謝を捧げる者,われをたたえん BWV17 1726初演 ; 18.天より雨雪降るごとく BWV18 1713初演 ; 19.戦いが起これり BWV19 1726初演 ; 20.おお永遠よ,いかずちの声よ BWV20 1724初演 ; 21.わが心には憂い多かりき BWV21 1713初演 ; 22.イエスは12弟子をひき寄せ BWV22 1723初演 ; 23.汝まことの神にしてダビデの子 BWV23 1723初演 ; 24.飾りなき心こそ BWV24 1723初演 ; 25.わが身には健やかなところなく BWV25 1723初演 ; 26.ああ,いかにはかなく,いかにむなしき BWV26 1724初演 ; 27.だれぞ知らん,わが終わりの近きを BWV27 1726初演 ; 28.ありがたや,今ぞ年は終わりゆく BWV28 1725初演 ; 29.神よ,われら汝に感謝す BWV29 1731初演 ; 30.喜べ,救われし群れよ BWV30 1738または42 ; 31.天は笑い,地は歓呼す BWV31 1715初演 ; 32.最愛のイエス,わが願いよ BWV32 1726初演 ; 33.ただ汝ひとりに,主イエス・キリストよ BWV33 1724初演 ; 34.ああ永遠の炎,愛のみなもと BWV34 1746または47頃 ; 35.心も魂も乱れまどいて BWV35 1726初演 ; 36.喜びて舞いあがれ BWV36 1725-30 ; 37.信じて洗礼を受ける者は BWV37 1724初演 ; 38.深き苦しみの淵から,汝に叫ばん BWV38 1724初演 ; 39.飢えたる者にパンを裂き与えよ BWV39 1726初演 ; 40.そのために神のみ子は現れたり BWV40 1723初演 ; 41.イエスよ,今ぞ賛美を受けたまえ BWV41 1725初演 ; 42.されど同じ安息日の夕べに BWV42 1725初演 ; 43.歓呼のうちに神は昇天したもう BWV43 1726初演 ; 44.彼らは汝らを追放せん BWV44 1724初演 ; 45.人よ,汝によきこと告げられたり BWV45 1726初演 ; 46.思い見よ,かかる苦しみのあるやを BWV46 1723初演 ; 47.高ぶる者は,低くせらるべし BWV47 1726初演 ; 48.われは幸いうすき者,だれかわれを救わん BWV48 1723初演 ; 49.あこがれて求めゆかん BWV49 1726初演 ; 50.今や救いと力が現れ BWV50[断片] 1723初演? ; 51.もろびとよ,歓呼して神を迎えよ BWV51 1730初演? ; 52.偽りの世よ,われ汝に頼らず BWV52 1726初演 ; 54.いざ,罪に抗すべし BWV54 1714初演 ; 55.われはみじめなる者,罪のしもべ BWV55 1726初演 ; 56.喜んで十字架を担わん BWV56 1726初演 ; 57.その人は幸いなり BWV57 1725初演 ; 58.ああ神よ,いかにあまたの心の痛手 BWV58 1727初演 ; 59.われを愛する者は,わが言葉を守らん BWV59 1723初演? ; 60.おお永遠よ,いかずちの声よ BWV60 1723初演 ; 61.いざ来れ,異教徒の救い主よ BWV61 1714初演 ; 62.いざ来れ,異教徒の救い主よ BWV62 1724初演 ; 63.キリスト者よ,この日を銘記せよ BWV63 1714または15頃初演 ; 64.見よ,父なる神の大いなる愛を BWV64 1723初演 ; 65.彼らみなシバより来らん BWV65 1724初演 ; 66.喜べ,汝ら心よ BWV66 1724初演 ; 67.イエス・キリストをおぼえよ BWV67 1724初演 ; 68.神はかくも世を愛したまえり BWV68 1725初演 ; 69.わが魂,主をほめまつれ BWV69 1748初演? ; 70.目覚めよ,祈れ BWV70 1723初演 ; 71.神はわが王なり BWV71 1708初演 ; 72.すべてただ神のみ心のままに BWV72 1726初演 ; 73.主よ,汝のみ心のままにわれわれをあらせたまえ BWV73 1724初演 ; 74.われを愛する者は,わが言葉を守らん BWV74 1725初演 ; 75.貧しき者は,饗せられん BWV75 1723初演 ; 76.天は神の栄光を語り BWV76 1723初演 ; 77.汝の主なる神を愛すべし BWV77 1723初演 ; 78.イエスよ,わが魂を BWV78 1724初演 ; 79.主なる神は太陽にして楯なり BWV79 1725初演 ; 80.神は堅きとりで BWV80 1744または47 ; 81.イエス眠りたまえば,われ何に頼るべし BWV81 1724初演 ; 82.われは満ち足れり BWV82 1727初演 ; 83.新しき契りの喜びのときよ BWV83 1724初演 ; 84.わが幸に心満ちたり BWV84 1727初演 ; 85.われはよき牧者なり BWV85 1725初演 ; 86.まことに,まことに,われ汝らに告ぐ BWV86 1724初演 ; 87.汝らわが名において祈りしことなし BWV87 1725初演 ; 88.見よ,われ多くの漁夫をつかわさん BWV88 1726初演 ; 89.エフライムよ,汝をいかにせん BWV89 1723初演 ; 90.おそろしき終末,汝らを奪わん BWV90 1723初演 ; 91.ほめられよ,イエス・キリスト BWV91 1724初演 ; 92.われは神のみ心のままに BWV92 1725初演 ; 93.ただ愛する神の摂理にまかす者は BWV93 1724初演 ; 94.この世に何を求めんや BWV94 1724初演 ; 95.キリストこそわが命 BWV95 1723初演 ; 96.主キリスト,神のひとり子 BWV96 1724初演 ; 97.わがすべての行いに BWV97 1734初演? ; 98.神のみわざはすべて善し BWV98 1726初演 ; 99.神のみわざはすべて善し BWV99 1724初演 ; 100.神のみわざはすべて善し BWV100 1732または35 ; 101.主よ,まことの神よ,われらから取り去りたまえ BWV101 1724初演 ; 102.主よ,汝の目は信ずる者を見守りたもう BWV102 1726初演 ; 103.汝ら泣き叫ばん BWV103 1725初演 ; 104.聴きたまえ,イスラエルの牧者よ BWV104 1724初演 ; 105.主よ,裁きたもうことなかれ BWV105 1723初演 ; 106.神の時は最上の時なり BWV106 1707または08? ; 107.汝,何を悲しむや BWV107 1724初演 ; 108.われ世を去るは汝らのためなり BWV108 1725初演 ; 109.われは信ず,愛する神よ,不信仰なるわれを助けたまえ BWV109 1723初演 ; 110.われらの口を笑いで満たし BWV110 1725初演 ; 111.神の欲したもうことが,つねに起こらんことを BWV111 1725初演 ; 112.主はわが忠実な牧者なり BWV112 1731初演 ; 113.主イエス・キリスト,至高の宝よ BWV113 1724初演 ; 114.ああ,愛するキリストの徒よ,心安らかなれ BWV114 1724初演 ; 115.わが心よ,準備せよ BWV115 1724初演 ; 116.汝,平和の王,主イエス・キリストよ BWV116 1724初演 ; 117.至高の善に賛美と栄光あれ BWV117 1728または31 ; 119.エルサレムよ,主をほめまつれ BWV119 1723初演 ; 120.神よ,人はひそかに汝をほめ BWV120 1728または29 ; 121.キリストを,われら今やほめるべし BWV121 1724初演 ; 122.新たに生まれしみどりごは BWV122 1724初演 ; 123.愛するインマヌエル,信仰厚き者の将軍よ BWV123 1725初演 ; 124.わがイエスを離すまじ BWV124 1725初演 ; 125.平和と歓喜のうちにわれ逝かん BWV125 1725初演 ; 126.主よ,われらをみ言葉のもとに守りたまえ BWV126 1725初演 ; 127.主イエス・キリスト,まことの人にして神よ BWV127 1725初演 ; 128.ただキリストの昇天に BWV128 1725初演 ; 129.わが神なる主をほめまつれ BWV129 1726初演? ; 130.主なる神よ,われらみな汝をほめん BWV130 1724初演 ; 131.深き淵から,主よ,汝に呼びかけん BWV131 1707または08 ; 132.道をそなえよ BWV132 1715初演 ; 133.わが喜びは汝にあり BWV133 1724初演 ; 134.イエスの復活を知る心は BWV134 1724初演 ; 135.ああ主よ,あわれなる罪人のわれを BWV135 1724初演 ; 136.神よ,われを調べ,わが心を知りたまえ BWV136 1723初演 ; 137.主をたたえよ,力強き栄光の王を BWV137 1725初演 ; 138.何ゆえに悲しむや,わが心よ BWV138 1723初演 ; 139.幸いなり,神に委ねる者は BWV139 1724初演 ; 140.目覚めよと呼ぶ声あり BWV140 1731初演 ; 143.わが魂よ,主をほめまつれ BWV143 1709-11 ; 144.汝のものをとりて去りゆけ BWV144 1724初演 ; 145.わが心よ,われは汝を喜ばすために生き BWV145 1729初演 ; 146.多くの悲しみをへなければ BWV146 1726または28初演? ; 147.心と口と行いと生活で BWV147 1723初演 ; 148.主にそのみ名の栄光をもたらせ BWV148 1723初演? ; 149.人は喜んで勝利の歌をうたう BWV149 1728または29初演? ; 150.主よ,われ汝を求む BWV150 1708または10? ; 151.甘き慰め,わがイエスは来ませり BWV151 1725初演 ; 152.信仰の道を歩め BWV152 1714初演 ; 153.愛する神よ,見たまえ,わが敵のいかにあるやを BWV153 1724初演 ; 154.最愛のイエスは失われぬ BWV154 1724初演 ; 155.わが神よ,いかに久しく BWV155 1716初演 ; 156.わが片足は墓にあって BWV156 1729初演? ; 157.祝福したまわずば,われ汝を離さず BWV157 1727初演? ; 158.平和,汝とともにあれ BWV158 1723または35? ; 159.見よ,われらはエルサレムに向かう BWV159 1729初演? ; 161.来れ,甘い死の時よ BWV161 1716初演? ; 162.ああ,われは見たり,今や婚礼におもむくとき BWV162 1716初演 ; 163.人は分相応のものを BWV163 1715初演 ; 164.汝ら,キリストの徒と名乗る者たちよ BWV164 1725初演 ; 165.おお,聖なる洗礼 BWV165 1715初演 ; 166.汝いずこにか行くや BWV166 1724初演 ; 167.人よ,神の愛をたたえよ BWV167 1723初演 ; 168.支払をなせ!そはいかずちの言葉 BWV168 1725初演 ; 169.わが心は神ひとりのもの BWV169 1726初演 ; 170.満ちたりた安らぎ,うれしい心の喜び BWV170 1726初演 ; 171.神よ,汝の名のごとく,汝の誉れもまた BWV171 1729初演? ; 172.歌声よ,響け BWV172 1714初演 ; 173.高められし肉と血よ BWV173 1723? ; 174.心より至高の神を愛す BWV174 1729初演 ; 175.主は羊の名を呼びたもう BWV175 1725初演 ; 176.人の心はおごり臆して BWV176 1725初演 ; 177.われ汝に呼びかけん,主イエス・キリストよ BWV177 1732初演 ; 178.主なる神,われらがもとにあらざれば BWV178 1724初演 ; 179.心せよ,汝の敬神いつわりならざるや BWV179 1723初演 ; 180.身を飾れ,おお愛する魂よ BWV180 1724初演 ; 181.軽薄で移り気な者たちは BWV181 1724初演 ; 182.天の王よ,よくぞ来ませり BWV182 1714初演 ; 183.彼ら汝らを追放せん BWV183 1725初演 ; 184.待ち望みたる歓びの光よ BWV184 1723? ; 185.永遠の愛の慈悲深き心よ BWV185 1715初演 ; 186.おお魂よ,憤ることなかれ BWV186 1723初演 ; 187.ものみな汝を待てり BWV187 1726初演 ; 188.わが信頼を BWV188 1728初演? ; 190.主に向かって歌え,新しい歌を BWV190 1724初演 ; 191.いと高きところでは,神に栄光あれ BWV191 1743または45初演? ; 192.今ぞもろびと,神に感謝せよ BWV192 1730初演? ; 193.汝ら,シオンへいたる門よ BWV193 1727初演 ; 194.待ち望んだ祝いのうたげは BWV194 1723初演 ; 195.正しき者には光が BWV195 1727または32初演 ; 196.主はわれらを思いたもう BWV196 1707または08? ; 197.神はわれらの確信なり BWV197 1736または37 ; 199.わが心は血の海に泳ぐ BWV199 1713初演? ; 200.かの人の名を告げん BWV200[断片] 1742頃 [BWV15,53,141,142,160,189は偽作,BWV11はオラトリオ,BWV118はモテット,BWV198は世俗カンタータ]
【世俗カンタータ】
楽しいヴィーデラウよ,お前の牧場で遊べ BWV30a 1737初演 ; 喜んで舞い上がれ BWV36c 1725初演 ; 時は日と年を生み BWV134a 1719初演 ; レーオポルト殿下 BWV173a 1722初演? ; 侯妃よ,なお一条の光を BWV198 1727初演 ; 急げ,うずまく風よ――アポロンとパンの争い BWV201 1729初演 ; 消え去れ,悲しみの影よ[通称:結婚カンタータ] BWV202 1718または25? ; 裏切り者の愛よ BWV203[年代不明]; わが心は満ち足りて――満足について BWV204 1726-27 ; 墓を裂き,墓を砕け――満足したエーオルス BWV205 1725初演 ; 忍びよれ,戯れる波よ BWV206 1736初演 ; 競いあう弦の響きもひとつになって BWV207 1726初演 ; 響け,晴れやかなラッパよ BWV207a 1735初演 ; 狩りだけがわたしの喜び[通称:狩りのカンタータ] BWV208 1712-13? ; 悲しみが何かを知らず BWV209 1729または34? ; おおやさしい日,待ち望んだ時よ BWV210 1740初演 ; そっと黙って,おしゃべりしないで[通称:コーヒー・カンタータ] BWV211 1734初演? ; おいらは新しい領主様をいただいた[通称:農民カンタータ] BWV212 1742初演 ; われらにまかせて,見張りをさせよ――岐路のヘルクレス BWV213 1733初演 ; 太鼓よとどろけ,ラッパよ響け BWV214 1733 ; お前の幸をたたえよ,恵まれたザクセン BWV215 1734初演
【その他の教会音楽】
ミサ曲 h BWV232 1724-49 ; マニフィカト D BWV243 1733初演?
【モテット】
おおイエス・キリスト,わが命の光 BWV118 1736-37頃 ; 主に向かって歌え,新しい歌を BWV225 1726-27 ; 聖霊はわれらの弱さを助けたもう BWV226 1729初演 ; イエス,わが喜び BWV227 1723-35 ; 恐れることなかれ,われ汝とともにあり BWV228 1726初演? ; 来れ,イエスよ,来れ BWV229 1731-32以前 ; すべての異教徒よ,主をほめまつれ BWV230[年代不明]; いと高き神よ,わが罪を消し去りたまえ BWV1083 1746-47? ; 祝福したまわずば,われ汝を離さず BWV Anh.159 1713 (主要作品は角倉一朗監修)
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