読みもの
2021.05.29
飯尾洋一の音楽夜話 耳たぶで冷やせ Vol.27

オペラ《カルメン》に登場する強烈キャラクターを原作から読み解く!

音楽ジャーナリスト・飯尾洋一さんが、いまホットなトピックを音楽と絡めて綴るコラム。第27回は、ビゼーのオペラ《カルメン》の登場人物について、原作をヒントに紐解きます。魔性の女として名高いカルメンは、一体何者なのでしょうか?

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飯尾洋一
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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

初演時(1875年)の《カルメン》第1幕より(ピエール・オーギュスト・ラミーによるリトグラフ)。

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音楽と物語が織り成す最高傑作《カルメン》

もし古今の名作から完璧なオペラをひとつだけ選ぶとしたら、まっさきにビゼーの《カルメン》を挙げる。音楽と物語がこれ以上に緊密に結びつき、しかも初めて観る人にも強烈なインパクトを残す作品をほかに知らない。

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プロスペル・メリメ(1803~1870)
パリ出身の作家、歴史家、考古学者、官吏。法学を学び、ナポレオン3世の側近として活躍し、元老院議員として出世した。ロシア語翻訳者としても知られ、ツルゲーネフやプーシキンの作品をフランス語に訳した。
2度のスペイン旅行中に着想を得て書いた小説『カルメン』は、1845年に月刊誌「両世界評論」で発表された。
ジョルジュ・ビゼー(1838~1875)
パリ出身の作曲家。9歳でパリ音楽院に入学し、19歳でローマ賞受賞。25歳のときにオペラ《真珠採り》が成功を収め、オペラ作曲家としての地位を確立する。
《カルメン》は、1875年にオペラ・コミック座で初演される。初演の反応はあまり良くなかったものの、のちにドビュッシーやチャイコフスキーに絶賛された。

数多の顔をもつ女、カルメン

《カルメン》では、主要登場人物がいずれも強烈なキャラクターを持っている。題名役のカルメンとは何者だろうか。答えはいくつもある。まずは魔性の女。カルメンの名はオペラの世界に留まらず、男の運命を狂わせる女の代名詞として広く知られている。

初演でカルメン役を演じたフランス出身のメゾソプラノ、セレスティーヌ・ガッリ=マリエ(1837〜1905)。

オペラの登場人物一覧では、カルメンは「たばこ工場の女工」と記される。およそ堅気の世界とは縁遠いカルメンだが、最初に登場する場面では、たばこ工場で働く女のひとりにすぎない。

だが、これはカルメンの表の顔。本来のカルメンは、密輸団の一味だ。その仕事ぶりはオペラにはあまり描かれてないが、メリメの原作によれば、彼らはときには殺しも辞さない犯罪者集団である。

フランスの週刊誌「ジュルナル・アミュザン」に1875年に掲載されたカルメンのイラスト(フランス国立博物館蔵)。

7月の新国立劇場《カルメン》新制作で演出をになうスペインのアレックス・オリエは、カルメンは本来カンタオラ(フラメンコ歌手)であると語っている。そもそもカルメンとは、ラテン語で「歌」の意。生計を立てるための仕事を別に持つアーティストは、今も昔も珍しくない。

そして、カルメンはなによりロマの女である。カルメンとドン・ホセの関係は、お互いがアウトサイダーである点を抜きにしては語れない。

翻弄されるドン・ホセは情に厚いバスク男?

カルメンに比べると、ドン・ホセという役柄にはわかりづらいところがある。オペラの登場人物一覧では、ドン・ホセは竜騎兵(ドラグーン)。ファンタジー系のゲームや小説に親しんでいる方は、ドラゴンに乗って戦う戦士を思い浮かべるかもしれないが、もちろん、ここにそんな含意はない。

現実の竜騎兵は、火器で武装した騎兵といった程度の意味でしかない。ドン・ホセは生まじめな堅物で、本来ならカルメンのような奔放な女性と出会うこともなかっただろう。最初はカルメンに対して無関心な態度をとったために、かえってカルメンの興味をひいてしまう。

エリーナ・ガランチャ演じるカルメンとロベルト・アラーニャ演じるドン・ホセ(メトロポリタンオペラ、2009年)

しかし、ドン・ホセの「ドン」は貴族の尊称のはず。それなのにホセはなぜ竜騎兵なのだろうか。同じ「ドン」でも、「ドン・ジョヴァンニ」はあんなに享楽的な暮らしを送っているのに、ドン・ホセはどう見ても庶民にしか見えない。

この疑問は、メリメの原作を読むと解ける。ホセの本名はドン・ホセ・リッザラベンゴア。スペイン人であれば、姓からバスク人であるとわかる名前だ。

ホセはたしかに貴族の家系に生まれたのだが、ハイアライという球技に熱くなりすぎて、これをきっかけとした喧嘩騒ぎから、故郷を捨てることになってしまう。そこで軍人となり、マジメ一筋で伍長に出世する。あと一息で軍曹に昇進しそうだ……というところでカルメンに出会ってしまったのが運の尽き。カルメンはホセの訛りからバスク人であることを見抜き、旅暮らしで覚えたバスク語を操って、自分も同郷であると嘘をついて、ホセの気をひく。

スペインのバスク自治州

スペインサッカーに興味があれば、スペインにおけるバスク人の同胞意識の強さはたびたび耳にしているだろう。バスク地方の名門クラブ、アスレティック・ビルバオは、所属選手をバスク系に限るという純血主義を掲げている。外国人選手だらけのグローバル時代に逆行し、彼らは同胞ゆえの強い結束力を武器に戦う。

それでいて、強豪ひしめくスペイン1部リーグでしばしば上位に躍り出るのだから、バスク人の結束力はよほどのものなのだろう。そう思えば、故郷を捨てたバスク人ホセが、たまたま出会ったカルメンの同郷であるというウソにころりと騙されてしまうのも無理はない。

カルメンと対照的に描かれる田舎娘ミカエラはオペラオリジナル

メリメの原作になく、オペラ《カルメン》で創造されたのはミカエラだ。カルメンとは正反対の純朴な田舎娘として、ミカエラは物語的にも音楽的にも鮮やかなコントラストを描き出す。ミカエラがいるからカルメンの存在が際立つ。ミカエラは台本作家の偉大な発明といってもいいだろう。

ミカエラという人物を思いつくヒントになったのは、原作にある以下の1文にちがいない。ホセが身の上話を語る場面だ。

そのころ私は若かったので、たえず故郷のことばかり思いつづけていたものでした。そして空色のスカートも、肩まで垂れるおさげ髪も持たない美しい娘なぞというものが、世の中にあろうとは思えなかったものでした

メリメ『カルメン』(新潮文庫、堀口大學訳)

このバスク風農婦スタイルを実体化したのがミカエラ。そういえば、多くの演出でミカエラはおさげ髪で、空色のスカートをはいていたっけ。

公演情報
新国立劇場《カルメン》(新制作)

日時: 2021年7月3日(土)14:00開演、7月6日(火)18:30開演、7月8日(木)14:00開演、7月11日(日)14:00開演、7月17日(土)14:00開演、7月19日(月)14:00開演

会場: 新国立劇場 オペラパレス

演出: アレックス・オリエ

出演: ステファニー・ドゥストラック(カルメン)ミグラン・アガザニアン(ドン・ホセ)、アレクサンドル・ドゥハメル(エスカミーリョ)、砂川涼子(ミカエラ)

大野和士(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団(管弦楽)

料金: S席27,500円、A席22,000円、B席15,400円、C席8,800円、D席5,500円

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飯尾洋一
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飯尾洋一 音楽ライター・編集者

音楽ジャーナリスト。都内在住。著書に『はじめてのクラシック マンガで教養』[監修・執筆](朝日新聞出版)、『クラシック音楽のトリセツ』(SB新書)、『R40のクラシッ...

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