ブラームスを知るための25のキーワード〜その10:バカンス
毎週金曜更新! 25のキーワードからブラームスについて深く知る連載。
ONTOMO MOOK『ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄』から、平野昭、樋口隆一両氏による「ブラームスミニ事典」をお届けします。どんなキーワードが出てくるのか、お楽しみに。
1949年、横浜生まれ。武蔵野音楽大学大学院音楽学専攻終了。元慶應義塾大学文学部教授、静岡文化芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授、桐朋学園大学特任教授。古典派...
バカンスは自由に作曲に集中できる時間
ブラームスが活躍した時代を、その本拠地に従って新グローブ音楽辞典では5つに分けて記述している。これは創作期とか様式による時代分けではなく、彼の日常的な生活基盤の変化に重点を置いて、その時期の活動を概観したものである。
それによれば、彼の生活基盤はハンブルクとウィーンおよびマイニンゲンということになる。旅行好きの彼は15歳を過ぎた頃のハンブルク時代から、ドイツ国内を中心に演奏旅行を頻繁に行なうようになり、特に20歳の1853年以後は、毎年のように演奏旅行をくり返し、多忙な毎日を送っている。その反面、創作活動も盛んになるわけだが、作曲に専念するのは夏が多かったようで、そうした場合には本拠地から離れて、気に入った避暑地や温泉地に行っている。作曲家が作曲に専念するという限りでは、決して休暇を楽しむという意味でのバカンスにはならないが、ブラームスにとっては、ノルマ的な仕事だとか演奏旅行とはちがって、好きな散歩と自由な時間を過ごしながらの創作ということで、気の休まる季節であった。
前述したような意味で夏を過ごした場所は、数か月滞在したところだけ数えても15に及ぶ。そうした避暑を兼ねた創作旅行には、ほぼ5月中に出発するわけで、9月頃までの3、4か月を過ごしている。その中で特に気に入っていた所は、いずれも風光明眉で温暖な気候の南オーストリアからスイスにかけてであった。
彼は1877年から3年間の夏をペルチャッハ(Pörtschach)で過ごしている。ペルチャッハはリンツの南方200キロほどのところに位置し、イタリアとユーゴスラヴィアの3国の国境がちょうど交わるあたりのヴェルター湖畔にある。南オーストリアのアルプス山間にある山紫水明の地で、しばしばブラームスの《田園交響曲》と呼ばれる第2交響曲作品73の書かれた地でもある。
1880年の夏は、ウィーンの西南西およそ200キロ、というかザルツブルクの南東50キロほどのバート・イシュル(Bad Ischl)で過ごしている。このイシュルはその名のとおり鉱泉のある保養地として有名で、多くの名士や交化人の別荘もあり、ウィーンをはじめ、ブダペストあたりからも避暑に来る人々がおり、ブラームスは旧友とめぐり会ったり、親友の来訪とか新しい友人を見い出すことに喜びを感じていた。この年は、彼は5月18日にここに到着し9月半ばまで滞在している。以後、このイシュルでは1882年と、1890年から死の前年である96年までの合計9夏も過ごしている。
第2章 ブラームスの生涯
第3章 ブラームスの演奏法&ディスク
今回紹介した「ブラームスミニ事典」筆者・平野昭と樋口隆一による「1853年の交友にみるブラームスの人間性」、「ブラームスの交友録」、「ブラームスを育んだ作曲家たち」、「ブラームスの書簡集」をはじめ、多岐にわたる内容を収録!
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