読みもの
2023.10.20
ONTOMO MOOK「ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄」より

ブラームスを知るための25のキーワード〜その3:先生

毎週金曜更新! 25のキーワードからブラームスについて深く知る連載。
ONTOMO MOOK『ヨハネス・ブラームス 生涯、作品とその真髄』から、平野昭、樋口隆一両氏による「ブラームスミニ事典」をお届けします。どんなキーワードが出てくるのか、お楽しみに。

平野昭
平野昭 音楽学者

1949年、横浜生まれ。武蔵野音楽大学大学院音楽学専攻終了。元慶應義塾大学文学部教授、静岡文化芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授、桐朋学園大学特任教授。古典派...

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7歳のブラームスにピアノを教えたコッセル先生

伝記によくあるような幼児期の才能の発芽を大袈裟に書くのはよそう。多くの音楽家の場合と同じように、彼も最初の勉強は父親から受けている。それは6歳頃から始められたらしいが、早くも7歳の時にはしっかりとした音楽教師の許に通い始めている。

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その最初の師は、ハンブルクではかなり知られたピアニストで、音楽教育に熱心だったオットー. F. W. コッセル(1813~65)であった。技巧偏重ではなく、音楽の本質を教え、子どものもつ長所と自由な音楽表現を巧く導き出すコッセルのもとで、ブラームスはたちまちピアノ演奏の腕を上げていった。

1843年、10歳の時に父親が主催した公開演奏会でベートーヴェンの「ピアノと管楽器のための五重奏」作品16や、モーツァルトのピアノ四重奏曲の1曲でピアニストとしてデビューして大きな賞賛を受けている。この時アメリカのある音楽マネージャーが、この天才児をアメリカ演奏ツアーに出し、大金を儲けることを父親に提案する。が、これに大反対をしたのがコッセルであった。コッセルは、ブラームスが音楽を創造する面でも良い才能をもっていることに注目し、自分の師に少年を引き渡すことにした。

作曲の才能を見出したエドゥアルド・マルクスゼン先生

この2番目の先生が、ブラームスの将来に大きな影響を与えたと言われるエドゥアルド・マルクスゼン(1806~87)である。

現在ではブラームスの師としてのみ知られているマルクスゼンではあるが当時のハンブルクでは、最も秀れたピアニストで、作曲家で教育家でもあった。彼自身はウィーンに出てC. M. ボックレットにピアノ奏法を、I. ザイフリート(1776~1841)——ザイフリートはモーツァルトにピアノを、作曲法をベートーヴェンも師事したアルブレヒツベルガーに学んでいる——に作曲法を習った人で、いわば最高水準の正統的な技術を修めていた人であった。

そのマルクスゼンは、最初はピアノ・レッスンだけをしていたが、ブラームスに作曲の才能を見い出し、厳格な対位法も教え、作品研究としてJ. S. バッハとベートーヴェンおよびモーツァルト等の多くの作品を取り上げたのであった。

一定期間規則的、体系的なレッスンを受けたという意味で、ブラームスの師と呼べるのはコッセルとマルクスゼンの二人だけである。

エドゥアルド・マルクスゼン
第1章 演奏家が語るブラームス作品の魅力
第2章 ブラームスの生涯
第3章 ブラームスの演奏法&ディスク

今回紹介した「ブラームスミニ事典」筆者・平野昭と樋口隆一による「1853年の交友にみるブラームスの人間性」、「ブラームスの交友録」、「ブラームスを育んだ作曲家たち」、「ブラームスの書簡集」をはじめ、多岐にわたる内容を収録!
平野昭
平野昭 音楽学者

1949年、横浜生まれ。武蔵野音楽大学大学院音楽学専攻終了。元慶應義塾大学文学部教授、静岡文化芸術大学名誉教授、沖縄県立芸術大学客員教授、桐朋学園大学特任教授。古典派...

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