ショパンコンクール予備予選が延期! 出場者164名の負担はいかに?
何かと行事が多い(予定の)2020年ですが、音楽界にとってはベートーヴェン・イヤーと並ぶビッグイベント“ショパコン”こと、ショパン国際ピアノコンクールを忘れるわけにはいきません。しかし、いよいよ4月の予備予選に注目!……というときに、新型コロナウイルス問題が発生し、9月に延期。コンクールに出場する若きピアニストたちにどのような影響があるのでしょうか。
大学院でインドのスラムの自立支援プロジェクトを研究。その後、2005年からピアノ専門誌の編集者として国内外でピアニストの取材を行なう。2011年よりフリーランスで活動...
第18回ショパン国際ピアノコンクール予備予選の参加者発表!
ポーランド、ワルシャワで5年に1度開催される、ショパン国際ピアノコンクール。
世界に数えきれないほど多くのピアノコンクールが存在する今、コンクール優勝がキャリアの保証にならないとはよく言われること。それでも、このショパンコンクールに関していえば、優勝すれば当面の間、必ず高い注目が集まるといって間違いありません(その後どんな活躍をするかが本人次第なのは、他のコンクールと変わりませんが)。
今年はそんな、音楽業界とピアノファンが大注目するショパン国際ピアノコンクールの年。本大会は10月2日〜23日、ショパンの命日である10月17日をはさむ日程で行なわれます。
これほどの大コンクールとなると、応募者のレベルも高く、本大会に出場する80人に選ばれるだけでも大変なことです。
去る3月10日、書類&ビデオ審査を通過し、その前段階となる予備予選で演奏できる164人が発表されました。国別で多いのは、まず中国の34人、続いて日本31人、ポーランド18人、韓国16人ほか。
実際のところ、本大会に出られるのはその半分以下なのですから、この段階であまり騒ぐのもどうなんだろう、なかには出場が決まるまでそっとしておいてほしい人もいるのでは……と思わなくもありません。
しかし、コンクール事務局自体がこの段階から写真付きでドーンと通過者を発表しているのだから、みんなが話題にするのも当然のこと。そんなプレッシャーを乗り越える覚悟のある者だけが、ショパンコンクールに挑戦できるということかもしれません。
一方、この狭き門である予備予選が免除され、すでに本大会出場が決まっているピアニストも発表されました。指定コンクールの2位以上が対象です。
4月の予定が9月に延期!?
さて、この予備予選、本来は4月17〜28日に開催の予定で、4月30日には本大会出場者が発表されることになっていました。しかし3月13日、「ポーランド政府の新型コロナウイルス危機管理チームが一時的に公的な文化イベントをキャンセルすると決定した」ことをうけて、予備予選は、本大会直前の9月に延期となりました。
この延期により、どんな影響が出るのでしょうか?
まず単純に、審査員、参加者ともにスケジュールを調整する必要が出てきます。とくに今回の参加者にはすでに演奏活動を行なっているピアニストも多いので、コンサートの日程やプログラムを調整しなくてはならないケースもありそうです。
さらに、本大会に出られる確証もないまま、1次、2次、3次、ファイナルのため、エチュード、バラードまたはスケルツォ、ポロネーズ、ソナタまたはプレリュード、マズルカ、そしてコンチェルトなどなど、ショパンの心を理解するうえでマストな主要ジャンルを網羅した、膨大なレパートリーを準備することになります。いざ出られることになったときのため、完璧に磨き上げておかなくてはなりません。
多くの参加者は何ヶ月も前、人によっては何年も前から課題曲を準備しています。もちろん、これを本大会で弾けなかったところで勉強が無駄になるわけではありません。それでも、ショパンのみという特徴的な内容だけに余計、せっかく完成度の高い状態まで準備したからにはなんとか本大会の舞台に立ちたいという気持ちは強くなるでしょう。
ピアニストたちに余計なストレスがかかるわけで、なんとも気の毒……。
しかし思い返せば、予備予選で混乱が起きたことは、これまでにもありました
これまでにもあった! 波乱万丈な予備予選
2005年
初めて予備予選が実演で行なわれたのは、2005年(ラファウ・ブレハッチ優勝回)のこと。それまでは書類&音源審査で本大会出場者を選出していたところ、より適正な審査を目指し、本大会開催直前の9月末、応募者全員の実演をワルシャワで聴くことになったのです。その人数、約250人!
このときは、練習室不足の問題、さらに、審査員が2グループに分かれ、2会場で審査したことによる公平性の問題も取りざたされ、次回以降に課題を残しました。
2010年
そして続く2010年(ユリアンナ・アヴデーエワ優勝回)。ショパン生誕200年ということで、国をあげて盛り上げようという華やかな雰囲気のもと開催されました。
しかし、この年の予備予選は、思い出しただけでグッタリするような混乱続きでした。
まず、書類&映像審査の結果発表で一波乱。予備予選参加承認者160人がホームページで発表された10日後、承認者リストがさしかえられ、「承認のボーダーを変更し、予備予選には55人追加の215人が参加」となったのです。
当時のショパン研究所ディレクターが述べた理由を簡単に紹介しておくと、「私が知っている良いピアニストが選考に漏れているようだったので精査しなおした。また、より多くのピアニストに現地で演奏する機会を与えたかった」とのこと。理由が釈然としないうえ、予備予選の日程が3日延長されたので、混乱しました。ちなみにこのディレクターは、本大会開催前に辞任させられています。
そして4月、予備予選開始2日前、再び事件が起きます。ポーランド大統領夫妻らを乗せた航空機が墜落、政府要人97名が亡くなったのです。これにより、ポーランドではすべての文化イベントが中止に。予備予選は開催の危機を迎えます。
しかし日程を動かすことは無理だということで、予定通り4月12日に審査がスタート。すると3日目、今度はアイスランドの火山が噴火したのです。次々とフライトが欠航、ヨーロッパ中の空港が閉鎖され、完全に空の交通が麻痺。ピアニストがワルシャワに来られなくなりました。なんと災難が続くのか……。
このような状況ゆえ、中止も検討されましたが、続行が決まったため、ピアニストたちはみんな、まさに這ってでもたどり着くという勢いでワルシャワにやってきました。モスクワから延々電車に乗ってきた人、長距離バスやタクシーを使ってきたという人など、さまざま。せっかく掴んだこのチャンスを無駄にするまいという気迫を感じました。
そして、クタクタの状態にもかかわらず、着いた人から1日後にはどんどん演奏しなくてはなりません。それは気の毒な状況でありました。
結局、飛行機が再び飛び始めた後半の日程で、朝10時から夜23時までびっしり審査を実施。ピアニストも審査員もスタッフもグッタリ、という状態でこの年の予備予選は終わったのでした。
ちなみに今回のコンクールには、この2010年参加組も多く再エントリーしています。今回のウイルス蔓延による混乱で、「またか……」と思っている人もいるはず。
2020年の予備予選、本大会の行方は……
ところで、1927年にスタートしたショパンコンクールが過去開催を断念したのは、第二次世界大戦中のみ。それ以外は5年に1度の開催を続けています。
今は、いち早く世界の人々の安全で健康的な暮らしが取り戻され、若いピアニストたちによるショパンの祭典が無事開催されることを祈るしかありません。
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