読みもの
2020.07.13
7月の特集「ダンス」

バロックダンスの魅力~フランス宮廷文化を発展させた華やかな表現芸術

バロックダンスとは、どのような踊りなのでしょうか。キーワードはルイ14世、リュリ、舞踏譜!
バロックダンスの研究家、指導者としての活動と同時に、現代でもバロックダンスを忠実に再現しようと試み、公演を監修・制作・出演してきた浜中康子さんが、動画も交えながら解説します。

浜中康子
浜中康子 バロックダンス研究家

桐朋学園大学ピアノ科卒業。東京藝術大学大学院音楽研究科修了。ピアノを中山靖子氏に師事。W.Hilton、E.Campianu両氏のもとでバロックダンスを学ぶ。ピアノ演...

リュリのオペラ《アルミード》よりパッサカイユ。
©K. Miura

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フランス宮廷で発展した表現芸術、バロックダンス

17世紀の初め頃から18世紀半ばにかけて、フランス宮廷を中心に栄え、ヨーロッパ中に広まっていったダンスをバロックダンスと呼んでいますが、まさに貴族のイデオロギーを反映して、宮廷社会の中で作り上げられた表現芸術と言えるでしょう。

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当時、貴族たちの理想像は、調和と秩序を保ち、決して感情的に心情をあからさまにさらけ出すことのない沈勇な姿。まさにギリシャ神話に登場する神々や英雄でした。作曲家リュリのオペラ作品《テゼ》、《ファエトン》、《イシス》、《ベレロフォン》や、マレの《アルシード》などは、すべてギリシャ神話に登場する英雄や女神の名称です。宮廷社会の象徴的な一面とも言える、フランス特有のエスプリを効かせた品性や知性のアピールという貴族の価値観と、神々や英雄への信奉との関連は、とても興味深いものに感じます。

このような精神性を背景に、フランス貴族スタイルとしての宮廷舞踏は、上流社会の、あるいは高貴なという意味から「ベル・ダンス(Belle Danse)」と称され、確立していきました。

バロックダンスはこのようなシューズで踊ります。
これは、バロック貴族スタイルシューズ。当時もいろいろなデザインがありました。かぶりの深い前面にバックルやリボンなどの装飾があること、また真ん中が窪んでいるカーブがあるヒールの形が、ひとつの象徴的スタイルだといえます。

では、このダンスがどのような場で踊られていたかというと、1つは宮廷の舞踏会、もう1つはオペラやバレエなど宮廷のエンターテインメントにおいてでした。貴族によって踊られた舞踏会のダンスが、社交ダンスの源泉であるように、エンターテインメントのなかで、プロの踊り手やダンスの得意な貴族が披露した劇場用のダンスは、クラシックバレエへとその歴史をつないでいます。

ルイ14世の功績

バロックダンス発展の中心人物こそ、フランス国王ルイ14世、そしてその舞台はヴェルサイユ宮殿でした。

1653年、プティ・ブルボン宮で上演された《夜のバレエ》で、14歳のルイ14世は、最後に昇る太陽神アポロンとなって登場し、その後も32歳までバレエの舞台に立ち、舞踏会では41歳まで見事なダンスを披露したと伝えられています。

《夜のバレエ》

太陽神アポロンに扮するルイ14世(1653年)
プティ・ブルボン宮

リュリ:アポロンのアントレ
「バロックダンスと音楽のスペクタクル ヴェルサイユの祝祭V 〜華麗なる宮廷舞踏〜」(2008年、制作・監修:浜中康子)より

国王がもっとも得意としたダンスは「クラント」。派手な動きは何ひとつないものの、バランスのとれた美しい姿勢や知的な音楽性までもが求められる玄人のダンスとして、舞踏会において国王以上に上手に踊れる者はいなかったと伝えられています。

国王が舞踏会から引退したあとは、「クラント」に代わり「メヌエット」が舞踏会の花形ダンスとして君臨し、その後1世紀以上にもわたってヨーロッパ中の宮廷で踊り続けられました。

M.マレ:オペラ《アルシオーヌ》より「メヌエット」
「バロックダンスと音楽のスペクタクル ヴェルサイユの祝祭V 〜華麗なる宮廷舞踏〜」(2008年、制作・監修:浜中康子)より
宮廷舞踏会の場面です。
©K.Miura

バロックダンスを現代に蘇らせる舞踏譜

フランス宮廷文化における舞踊の存在はとても重要であり、それはルイ14世時代にピークを迎えました。その当時踊られていた振付やダンスステップがどのようなものであったかについては、幸運にも現存している舞踏譜のおかげで、300年以上たった今も、私たちはそれらに基づいて復元することができます。

ルイ14世から高く評価されていたボーシャンが開発し、1700年にフイエによって出版された舞踏記譜法に基づいて記述された振付は、舞踏会用と劇場用と合わせて約350種類存在しています。

舞踏譜には、主に3つのことが示されています。それは「踊り手の進路(軌跡)、ステップの記号、音楽との関係」です。バロック時代の視覚芸術の美学の根幹をなすシンメトリーの重要性……。ダンスの軌跡は、まさにこの美学に基づいて建てられた、宮殿を空中から見た鳥瞰図のように美しく感じます。

ヴェルサイユ宮殿と一体になった舞踏譜「ボーシャン=フイエ・システムによる舞踏譜」
浜中康子『栄華のバロックダンス』(音楽之友社)29ページより

また上方に書かれた楽譜を、ダンス教師はポシェットヴァイオリンを弾きながら教えました。ダンスの進路に記された区切りと、楽譜上の小節線は対応しており、音楽とステップとの関係も詳細に示されています。

一般に、動きを書き留めることは至難の技ですが、当時ヴェルサイユ宮殿で踊られていた振付を、今日音楽とともに復元できることに、私はいつも感動を覚えます。舞踏譜は、舞踊史において、かけがえのない歴史的遺産ではないでしょうか。

「La Bourée d’Achille」の舞踏譜
《ダンス教師》

バロックダンスのもうひとつの顔、宮廷のエンターテインメント

20年ほど前に話題になった映画『王は踊る』の主人公は、まさに宮廷エンターテインメントの発展に貢献した3人の人物——ルイ14世、劇作家モリエール、そして作曲家リュリでした。リュリは、数多くのオペラやバレエ作品を作曲しましたが、国王の前に初めて登場したのは舞踊家としてでした。

リュリの最高傑作とも言われる晩年の作品、オペラ《アルミード》のなかの舞曲「パッサカイユ」は、大変美しい名曲です。ルイ14世にも高く評価されていた振付家ペクールや、イギリスの宮廷で活躍したラベが、バロックダンスの代表作と言っても過言ではない女性ソロ/デュエットの振付を残しています。

リュリ:オペラ《アルミード》より「パッサカイユ」
「バロックダンスと音楽のスペクタクル ヴェルサイユの祝祭V 〜華麗なる宮廷舞踏〜」(2008年、制作・監修:浜中康子)より

パレ・ド・クール、コメディ・バレ、叙情悲劇(トラジェディ・リリック)、オペラ・バレというさまざまな宮廷エンターテインメントのなかで、劇場用ダンスとしてのバロックダンスは、大きな発展を遂げました。

浜中康子
浜中康子 バロックダンス研究家

桐朋学園大学ピアノ科卒業。東京藝術大学大学院音楽研究科修了。ピアノを中山靖子氏に師事。W.Hilton、E.Campianu両氏のもとでバロックダンスを学ぶ。ピアノ演...

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