アリシア・デ・ラローチャ~家族を愛し、家族に支えられた“ピアノの女王”の生涯
2023年に生誕100年を迎えた、スペイン・カタルーニャ生まれの大ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャ。生涯現役で、来日公演や多くの名盤で知られていますが、実は録音嫌い? 彼女のピアニストとしての系譜、演奏活動を支えた夫トーラとの関係などを増田良介さんが、おすすめの音源とともに教えてくれました。
ショスタコーヴィチをはじめとするロシア・ソ連音楽、マーラーなどの後期ロマン派音楽を中心に、『レコード芸術』『CDジャーナル』『音楽現代』誌、京都市交響楽団などの演奏会...
今年はスペインの大ピアニスト、アリシア・デ・ラローチャ(1923-2009)の生誕100年だ。スペイン音楽やモーツァルトを中心に、録音で、あるいは来日公演で、たくさんのすばらしい演奏を聴かせてくれた名ピアニストだが、生誕100年と聞いて、もうそんなになるのかと感じる人も少なくないかもしれない。なにしろラローチャは、2003年まで現役だったからだ。
「アルベニス:イベリア、スペイン組曲ほか」 ラローチャといえばこれ、イベリアといえばこれという名演奏。演奏至難で知られるこの作品だが、ラローチャの演奏は情緒たっぷりだ。
音楽一家に生まれた天才少女、カザルスやルービンシュタインも賞賛
ラローチャは1923年、スペイン、カタルーニャ州のバルセロナに生まれた。両親はカタルーニャ出身ではないが、ラローチャ自身はカタルーニャに愛着を持っていたようだ。母親とおばは、同じカタルーニャ出身の大作曲家でピアニストだったエンリケ・グラナードス(1867-1916)にピアノを学んでいる。特におばのカロリーナは、グラナードスが創設し、弟子のフランク・マーシャル(1883-1959)が引き継いだマーシャル・アカデミーでピアノを教えていた。ラローチャもこの学校でマーシャルにピアノを学んだ。
ラローチャは幼いころから目覚ましい才能を発揮した。1933年、10歳のラローチャがバルセロナで行なったリサイタルのプログラムには、アルトゥール・ルービンシュタイン、エミール・フォン・ザウアー、アルフレッド・コルトー、パブロ・カザルスという、当時を代表する4人の大演奏家が彼女の才能を賛美した言葉が印刷されていた。
「シューマン:謝肉祭」ラローチャはスペイン音楽以外もすばらしかった。シューマンは、師のマーシャルが傾倒していた作曲家で、ラローチャも子どものころから得意にしていた。
夫は世界一のラローチャ・ファン!
ラローチャが、将来の夫となるフアン・トーラと恋に落ちたのは1943年ごろだったようだ。マーシャル・アカデミーでピアノを学び、ピアニストを目指したこともあるトーラは、やがて、ラローチャの才能を誰よりも知る、世界一のファンになった。
トーラは、1950年にラローチャと結婚すると(あるいはそれ以前から)、その人生をラローチャのサポートに捧げることにした。ラローチャが演奏旅行で世界中を飛び回っている間、二人の子どもと一緒にいたのもトーラだ。おかげでラローチャは、自らの音楽の追求に専念することができた。
ところでラローチャは、ピアノの演奏には妥協をしなかったが、世俗的な名声にはあまり興味がなかったようだ。アメリカのジャーナリストたちが贈った「ピアノの女王」という称号も喜んでいなかったようだし、伝記を出版する話は断固として拒否していた。「絶対にいや。私がいなくなったら好きにしてもいいけど。」と言っていたという。
あれだけ大量の録音があることを考えると意外だが、本当は録音も大嫌いだったという。彼女の録音が残ったのは、トーラの功績だ。娘のアリシアは、「父が説得していなければ、母は何の記録も残さなかったでしょう」と言っている。
「モーツァルト:ピアノソナタK331」モーツァルトはラローチャのライフワークだった。ラローチャのモーツァルトは、ソナタも協奏曲も、美しい音色と優しい歌にあふれている。
晩年は世界を飛び回り、来日公演も十回以上
しかしトーラは、1970年ごろから健康を害し、1982年、61歳という若さで世を去る。大きな悲しみを振り払うかのように、ラローチャはそれまで以上に世界中を飛び回り、演奏旅行をするようになる。日本へも、ほぼ1年おきに、合計十数回訪れて名演を聴かせてくれた。
ラローチャが引退したのは2003年だった。この年彼女は、お別れツアーとして、日本を含む世界中を回り、演奏旅行をした。80歳を迎えたのは日本に滞在しているときだった。
引退後もラローチャは各国から招かれ、後進を指導していたが、足を骨折してからは自宅で過ごすようになった。その後、体力も視力も認知機能もしだいに衰えていったが、ラローチャは一切不満を言わなかったという。
アリシア・デ・ラローチャは、2009年9月25日、バルセロナで亡くなった。遺骨は遺言によって地中海に撒かれた。
「シューベルト:ピアノソナタ第21番」この演奏は、夫フアン・トーラが死の床にあった時期に録音された。夫のもとを離れることをためらったラローチャに、「君の弾くこの曲をぜひ聴きたいから」とロンドン行きを促したのはフアン・トーラだった。
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