読みもの
2021.02.17
林田直樹の越境見聞録 File.16 Bunkamura ザ・ミュージアム「写真家ドアノー/音楽/パリ」

紙焼き写真から聴こえてくる、ドアノーが捉えたパリの音楽風景

カラス、ジャンゴ、グレコ...…ジャンルを問わず、あらゆる音楽ファンにとって垂涎の写真が集められた展覧会「写真家ドアノー/音楽/パリ」が、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催されています(3月31日まで)。
ロベール・ドアノーといえば、パリ市庁舎前の恋人たちのキスの写真で有名な、20世紀フランスを代表するカメラマン。今回はそのうち、音楽に関連する写真がテーマごとに構成されています。パリの音楽シーン、そして街と音楽との関係はいかなるものだったのか? 写真展の模様を、林田直樹さんがレポート。

林田直樹
林田直樹 ONTOMOエディトリアル・アドバイザー/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

ロベール・ドアノー 《運河沿いのピエレット・ドリオンとマダム・ルル》パリ 1953年2月 ゼラチン・シルバー・プリント 
©Atelier Robert Doisneau/Contact

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パリのカメラマンが写した、パリの音楽家たちの展覧会

今回、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている「写真家ドアノー/音楽/パリ」は、2018年12月から2019年4月にかけてフィルハーモニー・ド・パリで開催された展覧会をもとに、それをさらに発展させたものである(監修はジャーナリスト・映画監督・美術史家でドアノーの孫であるクレモンティーヌ・ドルディル)。

まず注目されるのは、20世紀のパリで活躍した音楽家・芸術家たちの在りし日の様子をつぶさに観察することができることだ。

たとえば、展示の冒頭で、目に飛び込んでくるのは、音楽家たちのアパルトマンを模した《共同住宅》というコラージュ作品のなかにある一組の男女。これは夭折の名ヴァイオリニストとして、今もなお人気の高いジネット・ヌヴー(1919-49)と、作曲家フランシス・プーランク(1899-1963)のツーショットである。1943年初演の「ヴァイオリン・ソナタ」における二人の協力関係をしのばせる貴重な1枚だ。

会場の展示風景より。ロベール・ドアノーの音楽関係の写真を集めた《共同住宅》2018年(シュテファン・ジメルリによる再構成)の一部。手前の二人は、1943年に撮影されたジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)とフランシス・プーランク(作曲家)。※筆者撮影

プーランクがヌヴーに助言を得て作曲、初演もヌヴーと作曲者のピアノによって行なわれた「ヴァイオリン・ソナタ」

紙焼き写真の「漆黒」から聴衆の息遣いを感じる

ここで、ひとつ重要なポイントをご紹介しておきたい。

それは、ほとんど全体が真っ黒になっていて、左の片隅に小さく遠くスポットライトを浴びた歌手エディット・ピアフが写っている奇妙な1枚、1956年6月4日、オランピア劇場でのコンサートの写真についてである。

写真の大部分を占めているこの黒——こんなにもしっとりとした、優しい、漆黒の闇があるだろうか。この中で、無数の聴衆が息をひそめてピアフの歌に耳を傾けている。こんな黒は絵の具でも印刷でも、ましてやデジタル画像でも、実現できないのではないか?

ドアノーの写真に詳しく、今回の展示の企画も担当された佐藤正子さん(株式会社コンタクト)の話によると、生前のドアノーはフィルム撮影した写真を暗室で、自ら焼く作業にも大変強いこだわりを持っていて、とりわけ黒の引き締まった表現に特徴があったのだという。当時の印画紙はすでになく、ドアノー自身によるオリジナル・プリントには大きな価値があるという。

いまや誰もがスマホでデジタル写真を気軽に撮影し、SNSであっという間に拡散されていく時代である。そうしたなか、紙焼きした写真を実物展示することの意味とは何だろうか?

その答えのひとつが、このかけがえのない豊かな黒にあるのではないか。生の音楽に匹敵する、ドアノーがこだわった紙焼きの美しさにも注目しながら、作品を見ていこう。

ロベール・ドアノー 《ロベール・ドアノーのセルフポートレート》ヴィルジュイフ 1949年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact 

プロフィール:ロベール・ドアノー(1912-94):20世紀フランスを代表する写真家。往来で恋人たちがキスをする瞬間をとらえた《パリ市庁舎前のキス》が特に有名だが、それ以外にもパリの生活風景を題材としたあらゆる写真を撮り続けた。芸術家や文化人の写真も多い。

レコーディングもファッショナブルに挑むディーバ、マリア・カラス

不世出のオペラ歌手マリア・カラス(1923-77)のパリでのレコーディングの模様も、ドアノーは撮影している。今回の展示のために新たに紙焼きされたものを含む数点には、1963年5月、および1964年12月の日付がある。後者はプッチーニのオペラ「トスカ」全曲録音の際のものである。

これらを展示会場で続けて見ると、カラスのみならず周囲の演奏家やスタッフの雰囲気がリアルに伝わってくる。衝立を背にカラスの歌う場所が少し高くセットされ、指揮者のジョルジュ・プレートルやオーケストラと横の位置関係にある様子、そしてEMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグらと休憩中にくつろぐ姿も見られる。

また、当時のヨーロッパ中のマスコミから一身に注目を浴びていたカラスが、レコーディング中にもファッショナブルな服装で臨んでいたことがわかる。

ロベール・ドアノー《録音中のマリア・カラス、パテ・マルコーニ・レコードのスタジオにて》 1963年5月8日 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

このときにカラスが歌ったと思われる録音「フランス・オペラ・アリア集Vol.2」から、ベルリオーズ「ファウストの劫罰」よりロマンス「燃える恋の思いに」

内気なジプシー・ジャズの帝王ジャンゴ

ロマ音楽とジャズを融合させ、新しくジプシー・ジャズ(マヌーシュ・スウィング)を切り開いた伝説のギタリスト、ジャンゴ・ラインハルト(1910-53)の写真もドアノーは撮っている。死の3年前、派手なポスターの横を、まるで気配を隠すように手をポケットに入れて足早に歩く横顔からは、ジャンゴの内気で孤独な一面が伝わってくるようだ。

ロベール・ドアノー 《ジャンゴ・ラインハルト》パリ 1950年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

ジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリ、エディ・サウスによる「バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調第1楽章による即興」

シャンソン「枯葉」を作詞した民衆詩人プレヴェール

ドアノーは詩人ジャック・プレヴェール(1900-77)と親しい友人どうしであった。プレヴェールはシャンソン「枯葉」の作詞者として知られるが、何といっても重要なのは、戦時中にナチ支配下のパリを逃れた映画人たちが南仏で制作したフランス映画史上不朽の大作「天井桟敷の人々」(マルセル・カルネ監督、1945年)の台本作家であることだ。

ドアノーが1955年に撮影した一連のプレヴェールの写真は、サン・マルタン運河から19区にかけてが背景となっている。労働者階級や移民が多く、芸術・文化施設も集まる界隈をバックにしているところが、いかにも民衆詩人らしい。

ロベール・ドアノー 《ポン・ド・クリメのジャック・プレヴェール》パリ19区 1955年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

ジャック・プレヴェールの台本作家としての代表作、映画「天井桟敷の人々」(4K修復版、現在公開中

戦後の新・文化地区、サン=ジェルマン=デ=プレの住人たち

戦争直後の混乱期のパリで、新しい文化の拠点となっていたのが、セーヌ左岸のサン=ジェルマン=デ=プレである。当時の街の様子を、ドアノーは数多く撮影している。

そのサン=ジェルマン=デ=プレで1947年に、多くの著名人に愛された犬ビデを連れて街の風景をドアノーが撮影していたとき、まだ無名のモデル、デビュー前の歌手ジュリエット・グレコ(1927-2020)に出会ったときの1枚は、ドアノーがいかに写真家として、被写体を引き寄せる強運の持ち主だったかを物語る。

ロベール・ドアノー 《サン=ジェルマン=デ=プレのジュリエット・グレコ》 1947年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

シャンソン「枯葉」(歌:ジュリエット・グレコ、曲:ジョゼフ・コズマ、詩:ジャック・プレヴェール)

サン=ジェルマン=デ=プレでは、シモーヌ・ド・ボーヴォワールやマルグリット・デュラスといった作家たちがカフェで過ごす姿も、ドアノーは撮影している。音楽家のみならず、そうした文学におけるパリの表情も、今回の展示には盛り込まれている。

ロベール・ドアノー 《ル・プティ・サン=ブノワのマルグリット・デュラス(作家)》サン=ジェルマン=デ=プレ 1955年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

ドアノーが捉えた、パリの「音楽風景」

ドアノーが撮影したのは、必ずしも有名人だけではなかった。むしろ、無名の街の音楽家たちの写真こそ、パリの音楽風景を伝えるものとして真価が発揮されている。

なかでも、1953年2月、流しの美しいアコーディオン弾き、ピエレット・ドリオンをモデルに撮影された一連の写真は、今回の展示でも、もっとも素晴らしいもののひとつである。大衆食堂のカウンターの横で彼女が演奏する傍らでは、当時近くにあった中央市場からやってきたのだろうか、汚れたエプロンを付けた肉屋たちが演奏に耳を傾けている様子がうかがえる。

ロベール・ドアノー 《音楽好きの肉屋》パリ 1953年2月 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

これらの写真で重要なのは、ドアノーは音楽家ばかりを撮影せず、必ずといっていいほど、その演奏に耳を傾ける人々の真剣な表情や態度にもスポットを当てていることだ。1930年代から始まり、戦時中、そして戦争直後のパリの路上や町中で、いかに生の音楽がたくさん演奏され——人々は、何と真剣に音楽を聴いていたことだろう。

チェリスト、モーリス・バケとの遊び心あふれる写真たち

今回の展示で、ひとつの大きなまとまりをなしているのが、チェリストでスキーヤ ー・登山家・俳優のモーリス・バケをモデルにした一連の写真である。

ドアノーとバケは、1944年秋にパリ解放直後に知り合って以来、終生の友人同士となった(そのときバケは米軍への慰問演奏で、フレッド・アステアやグレン・ミラー と共演していたという)。やがてバケはパリのあらゆる場所で積極的にドアノーの撮影モデルをつとめるようになっていく。

その中には「音楽家が、演奏しているところを写真に撮ってもらう」などという次元をはるかに超えた、ドアノーのやりたい放題の遊び心への積極的な参加……たとえば池の中や、雪の上にまでチェロを持ち込んだユーモラスなものもある。

一見変哲もないような《雨の中のチェロ》の写真でも、よく見ると、自分は濡れながらチェロのケースに傘をさしている一方で、描きかけの絵が濡れても構わずにそれを見つめているフード姿の画家の姿を横に配するあたり、計算された面白さがある。

ロベール・ドアノー 《雨の中のチェロ》 1957年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

今回は、その他、当時パリで活躍していたあらゆるジャンルの音楽家たちの写真が数多く展示されている。なかでもメシアン、デュティユー、ジョリヴェ、クセナキスといった作曲家たちの表情は生々しく、彼らの音楽が身近に感じられてくることだろう。

また、フランスの管楽器メーカー、ビュッフェ・クランポン(1825年創設)における1930年代のクラリネット製造風景(原木から完成まで)、ローラン・プティやジジ・ジャンメールらバレエ・ダンサーたちの様子や舞台写真も貴重だ。
あらゆる音楽好きにとって必見の写真展と言えるだろう。

展覧会情報
写真家ドアノー/音楽/パリ

会場: Bunkamura ザ・ミュージアム(東京都渋谷区道玄坂2-24-1)

会期: 3月31日(水)まで開催中。会期中無休。

時間: 10:00~18:00(入館は閉館30分前まで、金・土は夜間開館を予定)

入場料: 一般1,500円、大学・高校生700円、中学・小学生400円

問い合わせ: 050-5541-8600(ハローダイヤル)

公式サイトはこちら

林田直樹
林田直樹 ONTOMOエディトリアル・アドバイザー/音楽ジャーナリスト・評論家

1963年埼玉県生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業、音楽之友社で楽譜・書籍・月刊誌「音楽の友」「レコード芸術」の編集を経て独立。オペラ、バレエから現代音楽やクロスオーバ...

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